〜第2回〜
木陰に佇(たたず)む
高田早苗元総長の銅像
文学学術院 准教授
真辺 将之

 創立129年を迎える本学には、知られざるエピソードがいっぱい。新コーナー「早稲田に歴史あり」では4回連載(年間4シリーズ)でさまざまなエピソードをご紹介します。今回はキャンパス内に点在する「銅像」のエピソードについて専門の先生方に解説して頂きます。

 大隈重信銅像から大隈講堂方面に向かって左手に、高田早苗の銅像がある。うっすらと茂る木の陰にひっそりと佇んでいることから、前を通っても気付きにくく、授業などで説明すると「こんなところに銅像があったのか!」と驚く学生も多い。

 この銅像は1932(昭和7)年、本学創立50周年を記念して、創設以来学校経営の実務を担い、初代学長・三代総長をつとめたその功績を讃えるために、大隈重信銅像と同時に造られたものである。作成者は彫刻の大家として名高い藤井浩祐(のち浩佑と改名)であった。藤井はこの銅像に2つの工夫を行った。

 第1の工夫は、銅像の素材である。当時の銅像は、次第に色が青黒く醜い色になっていき、指を触れると指先が汚れてしまうようなものが多かった。藤井は地金の研究を重ね、こまめに磨き上げなくとも時間の経過とともに良い色合いになるよう工夫を加えた。  

 第2の工夫は高田の姿であった。当時高田早苗は病み上がりであったため、そのまま写すとやつれて見えてしまう。そのため、過去の写真なども参考にしながら、元気な状態の高田を再現できるよう努めたという。そのため、銅像完成の1932年の高田早苗と比べると、少々若い姿(といっても当時すでに70歳を越えているため老人に変わりは無いが)になっているという。

 果たして高田の銅像が、藤井の狙い通り、良い色合い、そして老いてなお活力ある姿になっているかは、ぜひみなさん自身の眼で確かめてもらいたい。

 なお余談だが、学校創設時の高田はみなさんと余り変わらぬ満22歳で、この銅像からはうかがいえないほど若かった。東京大学在学中から美男子で知られ、高田が通う沿道には、高田見たさに若い女性が列をなしていたという。この若き日の高田の写真は、高田早苗銅像の向かいにある建物(2号館)中にある「大隈記念室」にて見ることができる。銅像の高田と見比べてみるのも面白いだろう。

若き日の高田早苗(写真中央)
▲若き日の高田早苗(写真中央)


高田早苗像
▲高田早苗像


 
1245号 2011年6月9日掲載