早稲田キャンパスでは、制服姿の高校生をどの季節でも見かける。ただ、入試の季節に見かける高校生が保護者同伴で来校する姿には、どうも馴染めない
このような光景だけを見て、「過保護」な親と「自立」しない子供といった構図を描き出すのは単純に過ぎるだろう。しかし、「親の心子知らず」で、入学後も保護者に不要な迷惑をかける学生が多いのも事実であろう
司馬遼太郎は『オランダ紀行(街道をゆく)』で、十九世紀欧州で生まれた児童文学の『フランダースの犬』を、なぜ欧米人が日本人ほど好まないかを問うている。司馬は、自立ということばに「他人に支配されないこと、自分で考えて行動すること、他人の権威を借りないこと、他に依存しないこと、他人の援助を当てにしないこと」という意味が入っていると考える。そして、祖父を亡くした十五歳の少年ネロが、忠犬パトラッシュと寄り添うように死んでしまう物語は、年少者にも自立を促す「近代の美徳」にあわなくなったと解釈する
もちろん、どんな「良い子」も生き残る術を使い尽くす必要がある。しかし、司馬の言う「自立」を一面的に捉えて、他人の言うことを聞かず、社会のルールや規範にすら従わない、というのは、単なる「甘え」だ
キャンパスでは、そんな甘えた学生が散見される。例えば、禁煙の学生ラウンジで喫煙するような学生は、自立した大人とは到底言えない。もしかすると、喫煙者を甘く見逃がすような周りの学生も同罪かもしれない
自立した大人になって、キャンパスの内外で逞しく生き抜いてほしい。(H)
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