わたしとパイプとの出会いは、文学研究科の指導教授、三浦修先生の研究室だった。今から三十数年前のことだが、当時、国連ビルと呼ばれていた研究棟の7階にあった先生の研究室は、とりわけ冬の午後ともなれば締め切った室内に紫煙が充満。あの頃はいたって寛大な時代で、われわれ学生などは嫌煙どころかパイプの香りに魅了され、紙縒りでパイプをこまめに掃除される先生の手先を感心するように見入っていたものだった。爾来、パイプはわれわれの憧れとなったが、いかんせん、二十代の若輩者にパイプなどは烏滸の沙汰、わたしが初めて自分のパイプを手にしたのも、もう三十路を過ぎた頃だった。
「桃山」4、「飛鳥」3、「アンフォラ」1のブレンドに、湿り気と香りを与えるため、スコッチを一、二滴。時にはレモンやライムの皮を入れたり、バーボンを垂らしてみたこともあるが、やはりスコッチ。燻蒸様の香りを生かすためには、スコッチに及くものはなし。イギリス通いが頻繁になると、ベイカー街を手始めに、タヴィストック・スクウェア、ヘンドン、ハムステッド、ノッティング・ヒルと居を移したが、煙草といえばオックスフォード街のBonds of Oxford。この店の床から天井まで壁一面の煙草やパイプのディスプレイと強烈な匂いに圧倒されながら、アラブ系の親父に好みを伝えれば、煙草といわず道具といわず、すぐに用意してくれた。Optimumという凄い銘柄などは、重い香りと舌が痺れるような甘みでわたしをしばらく虜にしたものだった。
そんな楽園状態も2005年まで。2006年の春に訪れたときには、あの店の場所には小奇麗なテナントが入っており、店はパイプの煙と消えてしまっていた。わたしも煙草を止めてはや2年。ベイカー・ストリート駅の壁にもご覧のようなプレートが。やれやれ、ご時世ですねぇ、ホームズ先生。
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