いつか礼を言おうと思っていた。ワセダにである。
私自身は早稲田の卒業生ではないが、父が早稲田卒で母が少女時代を早稲田界隈で過ごしたこともあって、幼少時より身の回りにはいつも「ワセダ」の話題があった。母の話は何故かいつも同世代のスター、早実の王貞治選手を見かけたことに帰着する。父の母校についての語り口はいつも自己諧謔に満ちていたが、筆者が早稲田に着任して以来、母校愛を素直に表現する機会が増えた。それまでは照れが邪魔していたようだ。
わが家とワセダの縁は、実は父母の代より前に遡る。百年前に生まれた祖父がワセダ卒だ。祖父は高知の険しい山中に松根油とりの息子として生まれた。貧しく小学校にしか通えなかった祖父は、決死の思いでひとり上京する(それこそ短刀を懐に携えて。これを祖父は警官に取り上げられたらしい!?)。そして今で言えば高卒の資格を検定で取得し、新聞配達などをしながら苦学することになるのだが、その祖父を受け入れ、身を立てるチャンスを与えてくれたのがワセダであった。卒業後、祖父は検事となる。筆者が生まれる直前に他界し、一度も会ったことのない祖父の一生は、平壌に赴任を命じられたその後のことも含め、まるで小説の中のことのように思えてくる。
他方、ワセダ卒らしく教育方針もリベラルだった祖父に育てられた父は、何を考えたか「海の男」を志す。その夢に破れた父を温かく迎え入れ、法律家にしてくれたのもワセダであった。微笑ましいことに、父のワセダの思い出話にはいつもマドンナが登場する。校舎の決まった窓から遠目に見かける商店のお姉さん、覚えてもらえればただ満足で朝一番に通った図書館の女性・・・。青春である。
大隈講堂を見上げるとき、八〇年前、五〇年前に祖父と父が同じ光景を見たことを思うと、何とも不思議な気分になってくる。ワセダにはこれからも逆境や瀬戸際で志を立てた若者の前途をひらく「青春の門」であり続けてほしい。
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