高校教諭である父が、日中友好事業の一貫で日本語教師として中国の大学に派遣された関係で、89年から91年まで現地の幼稚園、小学校に通いながら中国で生活した。印象深かったのは、日本語を学ぶ学生たちの勤勉さである。真冬の夜に、半纏を羽織って質問に
来た学生に応じる父の背中を見て、「こんな仕事が出来たらなぁ」と幼心に思った。
帰国後、大学では日本語教育を専攻。吉岡英幸教授の論文に感銘を受け、迷わず日本語教育研究科に進学した。「さあ、これから」というところで、親族の不幸が続き、実家からの援助が一切見込めなくなった。学費と生活費のためのアルバイトは想像以上に過酷であ
った。食費や住居費も事欠くような時期もあり、一時は研究を続けることを諦めかけた。皆が研究している間にも仕事に追われる自分に焦り、徐々に卑屈になっていくのが分かった。
しかし、そんなときに支えてくださったのが吉岡先生であった。日夜研究指導を通して励ましてくださり、私が目標を見失わないよう導いてくださった。さらに、応募できる限りの奨学金に推薦状を御執筆してくださり、研究につながるような仕事も紹介していただいた。
先生の励ましに応えようと、仕事以外の時間はがむしゃらに研究に打ち込んだ。どんなに睡眠や食事の時間を削っても、机に向かう時間は減らさなかった。その甲斐あってか、総代で修士課程を修了し、博士後期課程に進学できた。また、一度は諦めかけた日本語教師として復旦大学に招聘されることとなった。
自らが望む進路に進むには、多くの困難が伴うものであろう。しかし、諦めたり卑屈になったりしてはならない。たとえ苦しくても自分の道を見失わなければ、道は自ずと拓けるものなのである。
かつてニーチェは言った。「ひとの歩き方で、はたしてかれが自分の道を歩いているかどうかがわかる。わたしの歩くところを見るがいい! 自分の目標に近づいた者の足は踊りだす」と。
大学院で研究を続けながら中国の大学で教鞭を執る。私の足は今、ようやくそのリズムを刻み始めたのだ。
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