中学、高校の制服のデザインが学校選択の大きな要素になっているという。
そもそも、日本人と洋装の出会いは、16世紀のスペイン系の衣服で、今の合羽、襦袢にその残影がある。鎖国時代を経て、幕末の各藩に欧米の軍服が応用され、明治初期には政府高官、軍隊、学校で男子の洋装が定着していった。その反面、女子の洋装化には紆余曲折があった。文明開化の時代から、現在の女子学習院、お茶ノ水大付属学校で洋装化が試みられたが、女子の洋装には強硬な反対があって、しばらくは着物時代が続いたのである。
変化の契機は、1899(明治32)年、ドイツ人医師ベルツが女子の体育について講演し、日本人の体位向上のために女子の運動の必要性と衣服改良を指摘したことにあった。事実、良妻賢母教育の高等女学校が成立すると、将来、母親になる女学生たちにブルーマーでの体育が必修となり、男子の礼装だった袴の着用が認められるようになった。袴姿とリボンで纏めた髪は女学校の象徴となり、当時の憧憬は今日の大学の卒業式にも続いている。
大正期になると、子どもの洋装化がすすみ、女学校にはセーラー服が登場した。さらに、関東大震災の経験は服装の機能性重視をもたらし、女性の洋装化を加速させた。しかし、学校教育全体で女子の洋装制服が定着するのは昭和初期であり、それは男子と比べて半世紀近く後のことだった。この洋装化に関する男女間の時期の格差は、男子中心に準備された日本の教育制度の歴史と女性への差別に対応していた、とも捉えられる。
さて、制服(Uniform)には、実用性と同時に、文字通り統制と帰属意識に関わる側面が存在しているはずである。今の日本人は世界中の服飾文化を受容し、その多様性を享受しているように見える。一方で、学校での制服が依然支持され、そのデザインが進路選択にも大きな影響を与えていることの意味を、少し考えてみたいと思っている。
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