所沢キャンパスの競走部グラウンド。取材のために訪ねると、競走部員がきびきびと応対してくれた。一目で部の体制の良さが分かるが、「監督もコーチも、基本的に自由主義ですよ」と竹澤さんは語る。「僕自身、細かく指示するタイプの主将ではないので。『やらせる』のではなく『やりたい』と思って動く選手が増えたら、と思っています」。もともと個性派ぞろいの競走部。各自が自分なりに模索し、それぞれの陸上観を見つけられるだろうと竹澤さんは考える。「かく言う僕も、よく『個性的だね』と言われます(笑)」
そんな竹澤さんにとって、今年の夏はいつにも増して熱かった。日本代表として北京五輪に出場。「狭い空間に観客がひしめき、競技場が一体になる感覚に圧倒されました」。本年度は思ったような結果が出ていなかった中、自分はチャンスに恵まれたと感じている。「渡辺康幸駅伝監督やOBの瀬古利彦さんなどは、実力は十分にありながらもさまざまな要因で五輪に出場できなかった。お二人が大学時代の素晴らしい実績を通して学生でも世界で戦えることを示し、道を開いてくれたんです」
渡辺監督は、五輪だけでなく陸上人生への道も開いてくれた。小学6年生の時に参加した「S&Bちびっ子健康マラソン大会」。当時ヱスビー食品所属の現役選手だった渡辺監督が、竹澤少年の目にまぶしく映ったという。「早大時代の箱根駅伝の話を聞き、早稲田大学も箱根駅伝も全く知らないのに、『絶対に入って箱根を走ろう』と決意したんです。監督と出会わなかったら、早稲田大学がなかったら、陸上は続けていなかったと思います」と、竹澤さんは振り返る。
その箱根駅伝で、昨年、本学は往路優勝・総合準優勝を遂げた。次なる目標は総合優勝のみだ。「沿道の応援にはいつも励まされています。走っていると、早稲田大学の応援しか聞こえないんですよ!」
「箱根の先の目標は」と尋ねると、「とりあえず、平穏無事に暮らしたいです」。競走部の顔として常に注目され、世界の舞台まで駆け抜けたスーパーエース竹澤健介。その素顔は驚くほど謙虚で堅実だった。
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