スダディ・アブロード 連載「ぐろーかる・らうんじ」は「スダディ・アブロード」に名称変更しました

早稲田から韓国へ 

第一文学部5年
岸 加那子さん

韓国から早稲田へ

大学院教育学研究科 交換留学生
宣 鍾(ソン ジョンミン)さん      
                 

岸 加那子さん
韓国と出合ったきっかけは「韓流ブーム」

  「日本ではいつも何かに流されてばかりだったんです」。韓国へ留学前の自分について快活に話す今の岸さんからは、内気な姿など想像できない。韓国との出会いは大学に入学してからだった。「冬のソナタ」に代表される韓流ブームを通じて、韓国の俳優や現代文化に漠然と興味を抱くようになっただけだった。しかし岸さんにとって、このささやかな韓国との出合いは、一過性のブームだけでは終わらなかった。

韓国現代文化と放送事業への関心
  大学1年生と2年生の夏休みに体験した2度の韓国への短期留学をきっかけに、韓国への関心はどんどん高まった。3年生の時に、ソウルの高麗大学へ1年間の交換留学を経験。以前から放送事業に興味のあった岸さんは、高麗大学では韓国の伝統音楽、言論学、番組制作などの関連科目を履修した。しかし「授業の板書は読み難いし、ネイティブの聞き取りも難しいし・・・」と、留学当初を振り返る。それでも必死で覚えた韓国語を使って放送サークルで活動をし、学内放送も担当した。日韓高校生交流ツアーでは通訳に抜擢されるまでになった。そんな努力家の岸さんに、留学期間の終了間際、大学の教授から韓国文化放送(MBC)に番組制作インターンの声がかかった。即答でOK。留学を2カ月延長して、番組の制作から放映までのすべての工程に携わり、実務でも存分に韓国語能力を発揮した。

留学で感じた韓国人の「こころ」
  来年3月の本学卒業後は、高麗大学校の大学院へと進学を決意、再び韓国に戻る予定だ。岸さんが韓国にひかれる一番の理由、それは韓国人の「人とこころ」にほれ込んでいるから。「日本よりも友人や知り合いがたくさんいます。ウリ(韓国語で私たち)のなかに一度入ってしまえば、おせっかいなほど濃密な人間関係が維持されます。それが本当に魅力。決断力の無かった自分に、自立心や積極性を与えてくれたのは、韓国の友人たちでした」と、笑顔で話す。「将来は通訳や韓国語教育に携わり、韓国と日本の架け橋になりたい」。その自らの積極的な行動で、語学だけでなく韓国人の「こころ」を学び取った。岸さんの屈託のない笑顔に、今後さらに成熟した関係が求められる日韓両国の交流の姿が見えた気がする。

教師をめざして日本語を学ぶ
  交換留学で日本に1年半滞在した宣さんは朝鮮大学校教育大学院で日語教育を専攻していた。長男で、当時27歳で兵役も終えていた宣さんは、「年だから、留学なんて今さら必要ないんじゃないの?」と家族からも言われた。「韓国は、まだまだ伝統的な考えや社会的な制約にしばられている部分があります」という。
  高校2年生の時から、第二外国語として日本語を学び始めた。「漢字がなぜか好きでした」と流暢に語る宣さん。大学で日本語を専攻した。「小さいころから漠然と軍人になりたい、という気持ちがあったのです」。日本語力を生かし軍隊の将校として、日本の韓国大使館に勤務したいと考えていた。結局、その夢はかなわず、教職課程を履修し、日本語の先生になろうと考えたが、単位不足。今度こそ、教員免許を取得しようと考え、教育大学院に進学した。学んでいくうちに、日本での滞在経験がないと教え子への説得力に欠けるのではないかと考えるようになったのだ。

寮での食事(本人右から2番目)
▲寮での食事(本人右から2番目)

1年半の交換留学

  2006年9月から08年3月までの1年半、国費奨学金を受けながら、本学で学んだ。教育学研究科での専門は「日本語の丁寧体の比較」で、日本人にとっても難しそうな「ないです」「ありません」などの比較研究に取り組んだ。宣さんの日本語は丁寧で美しいわけだ。しかし、留学生である宣さんが、日本語研究を専門にする日本人学生とともに学ぶのは苦労の連続だった。

留学そして今後
  本学に来て、その国際的な環境に驚いたという。これほど、留学生が多く、英語を話す機会も増えるとは、留学前には想像していなかったことだ。「大学生なら、絶対に、留学した方がよい。国際的な感覚が身に付き、自分の考え方が変わる」と力強く断言した宣さん。年末には韓国で教師になるための国家試験があり、目下そのために勉強中だ。ぜひとも、言葉だけではなく、「肌で感じた日本」を教え子たちに伝えてほしい。


▲新潟のスキー場にて(本人右)

 
1182号 2009年4月16日号掲載