とっておきの話 
ブラブラ、プラハに誘われて

法学学術院准教授 本山 哲人

 東欧革命が起こり、鉄のカーテンが開き始めていた。
 その翌年、大学3年にして初めて親元を離れ、英国留学で自由な生活を経験した。

 冬休み、壁が崩壊して間もないベルリン見物のため、ユーレイル・パスとトーマス・クックの時刻表を片手にドーバー海峡を渡った。土地勘もなく、あてもなく街を彷徨ううちに、カフカの迷宮のような『城』が脳裡を過り、プラハにも足を伸ばしたくなった。ドレスデンから夜行列車に乗るも、夜中2時の国境で、日本人はビザがないとチェコスロバキアに入国できないと、強制降車。同じ車両に乗り、やはり衝動的に行き先を決めてビザなしだったモンゴル人夫婦と3人、寂れた駅の凍える木のベンチで一夜を明かした。

 夏休み、今度はビザを入手して、開通したばかりの高速列車ユーロスターで再び向かうチェコスロバキア。悪趣味な近代的建築物の彼方に聳える荘厳なプラハ城。「モスクワ」という名のハンバーガー店。洒落たデパートに足を踏み入れて目にする、靴を買うための長蛇の列。プラハでは新旧のチェコが錯綜していた。まさに、日常が歪められた、カフカの世界のように。

 ブルノ行きの列車で相席となった地元の農夫が、東洋人がよほど珍しいのか、一生懸命話しかけてくれる。そこで、言葉に頼らずもコミュニケーションが成立することを知る。農夫は、英語はもとよりドイツ語もできず、互いに同じ話題なのかさえも定かではない。でも、車窓越しに長閑な風景を眺めつつ、実に楽しい「会話」が途切れることなく続く。

 最後の目的地、ブラチスラバでは、駅に降りた途端、スロバキアの独立運動をしている青年に話しかけられる。熱弁は昼下がりまで続き、日本でもスロバキア人の苦境の話を広めてほしいと懇願される。まさか2年後に実現するような話だとは露ほども知らず、耳を傾ける。

 あれから17年。自立して多くを得た一方で失った自由もある今、時々、あのモンゴル人夫婦や列車に乗り合わせた農夫、そして何より、あの独立運動の青年はどうしているのだろうかと追慕することがある。


「モスクワ」という名のファーストフード店
▲「モスクワ」という名のファーストフード店

 
1171号 2008年11月6日掲載