すべての人たちは多かれ少なかれ人生の岐路に立つ。その進路を自らの意思で選べる時、人は迷うのだと思う。
今までで人生の大きな岐路に立ったことは3回あった。
1つ目は大学時代に当時のセルビア・コソボ自治州での復興支援活動への参加決断だ。コソボ紛争後、難民を助ける会のスタッフとして3カ月間現地に赴任した。人間のたくましさと残虐さを知り、ニュースが現実であることを感じ、そして世界を感じた。その時から私は日本に居ても、目は世界を向いていた。
2つ目は、証券会社に入社、3年間の営業経験の後、退社したことだ。そこでは営業の厳しさを知り、金融機関の理想と現実のギャップを感じ、そして自分の無能さを悟った。退職後、私は26歳から公認会計士試験に挑戦した。
3つ目は早稲田大学大学院会計研究科に入学したことだ。今は会計の面白さを学んでいる。もちろん在学中に公認会計士試験合格も勝ち取った。そして何より将来を同じ業界生きる仲間を得た。
岐路に立ったとき、私もみなと同様に迷った。どの道が正しいのか、他にもっと道はいのか、と。しかし今はどんな岐路に立とうがそれ程迷いは生じないだろう。なぜなら選んだ道でがむしゃらに頑張ることが、その道を選んだ自分を正当化してくれることを知っているからである。
今、岐路に立っている人は迷い抜けばいい。そして一度道を選択したならば、その道を突き進むのみだ。どの道を選ぼうがその道が正しかったと言えるかどうかは自分次第だ。
このような考えは私の人生の軸になっている。そして人にはさまざまな軸があると思う。だから私の考え方が全てでは決してない。しかし、人に強烈な軸を感じる時、その人の人生の裏側には、がむしゃらさを感じるのも事実なのである。「我武者羅」・「一生懸命」、使い古された言葉だけど素晴らしい言葉だとオリンピックを見ながら思う。 |