青山さんの描く絵本の中の世界は、やわらかい光にあふれた森や街並みが舞台だ。レンガや木材のマチエールが描き込まれ、建築家ならではの視点で建造物が描かれている。大聖堂や、中世のお城の垂直分解図を初めて目にした時は誰もがその緻密な表現に息を飲む。絵本作家のみならず、「週刊ユネスコ世界遺産」に見られるように透き通った色彩と正確なパースが描けるイラストレーターとしても活躍中である。
数学が得意、そして絵を描くことが好き。だから建築学科進学を決意
「唯一無比の答えが出る数学が大好きでした。何通りもの答えがある国語はほんと苦手で…」と苦笑いをする青山さん。高校時代の夢はマンガ家。手塚治虫氏(故)にあこがれ、『少年チャンピオン』の投稿欄に応募したこともある。受験勉強の傍ら「絵を描くことは好きだったからずっと続けていました」。「絵と得意な数学を活かせる道は、建築しかない」本学理工学部建築学科に進学。その夏、新たな絵の才能が開花する出来事に遭遇するのだ。
描けるか?」リアルパースを描くことが始まる
先輩の課題制作手伝いに突然かり出された青山さん。いきなり「パース描けるよね?」と図面を渡される。平面図から、実際の建築物を立体的に描きおこす図がパースだ。まだ一度も描いたことはなかった。でも「描けませんと断れる雰囲気じゃなくて」。「描けます」と受け取り、見よう見まねで描き始めた。なんと結果は上々。以前、テレビで見た細密画家長岡秀星氏の作風が好きで「まねして、ちょこちょこ描いていた」ことがおおいに役立った。課題制作に追われる3、4年生の間で後輩の青山さんは重宝がられた。パース画作成の掛け持ちはきつかった。でも「青山に頼んでよかった」と思ってもらえるようなパースを描きたくて「寝る間も惜しんで描き続け、描く力がめきめきついた時期でした」。得意のパースで自分の課題制作も絶好調。自信にあふれていた。
「もしかして建築に向いていない・・・?」
専門が本格的に始動する3年の時。青山さんは戸惑っていた。提出作品が全く評価されないのだ。「緻密にパースを描くことが好きなだけで、本当は建築には向いていないのか?」。でも図面から形のあるものを造りあげていく建築は好きだった。描き続けていれば見えてくるものがあると信じ、ひたすら手を動かした。その姿勢が評価され、研究科修了後は講師の建築事務所に就職。社会人3年目、大分にある会員制ホテルの設計・施工の仕事を任され、約1年間現地に赴任。その間、腕試しのつもりで建築雑誌のコンペに応募した。結果は佳作。表彰式に臨み青山さんは愕然とした。「他の入賞作品を見ると、クリエイターとして大切にしている視点が全然違うことに気づいたんです」。自分のやりたいことは、絵を描くことだ。就職5年目、辞表を提出した。
自分の作品を形にしたい
退職はしたものの、絵を描きたいという気持ちは、はやるばかり。そんな時「講談社絵本新人賞」への応募を薦められた。出品期限は3ヵ月後。安野光雅氏の『旅の絵本』という絵本と出合い「こんな美しい本をつくりたい」と思っていたことも原動力になった。結果はまた佳作。入賞はしたものの、本にはならない。「絵本も建築と同じ。形にならなくちゃ意味がない」。作品ファイルを手に出版社に持ち込みを始めた。期待をしてはがっかりする…そんな日々が続いた。やがてパロル舎という出版社を紹介され『こびとのまち』を持ち込んだところ、すぐに
何でも興味をもって接してみれば、いつかそれが自分の題材になる
現在の青山さんは精密な画面構成と、透明感あふれる色彩が海外でも高く評価される絵本作家として活躍中だ。かつて『火の鳥』のようなすごい作品を描くマンガ家になりたいと思っていた。今は、子どもも大人も「ああ、おもしろかった」と笑顔になるような本をつくりたいと考えている。「青山さんにとって絵本作家が唯一無比の明確な回答ですか」と問うと「この答えでまちがいありません」と笑みをこぼした。
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