これであなたもワセダ通「ワセ★ネタ 」オリンピック編

『ひとたび戦地に赴けば、生きて故郷の、そして学舎の土を踏むことは叶わないかもしれない、せめて最後に試合を、出来るならば早稲田と試合をしたい』

日本最初の金メダリストは早稲田から輩出!
  1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックでは、日本最初の金メダルリストが本学から輩出された。それは三段跳に出場した、故織田幹雄である。当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」と呼ばれた競技名を自ら「三段跳」と訳したことでも有名だ。本学では2005年に故織田幹雄の生誕100年を記念して、所沢キャンパス内の陸上競技場を『織田幹雄記念陸上競技場』と命名しその功績を称えている。

友情の金メダル
  1936(昭和11)年8月に行われた第11回ベルリンオリンピック棒高跳。決勝に残ったのはアメリカのメドウスと、本学の西田修平、慶應義塾大学の大江季雄ら5人であった。
  優勝したのは4m35cmを跳んだメドウス。西田と大江は順位決定戦へ進んだ。夜間照明を入れての5時間以上の激闘の末、午後9時を過ぎ、審判らは2位決定を日本に任せ競技を打ち切り、4m25cmを1回目でクリアした西田を2位、2回目で跳んだ大江を3位とした。
  帰国後、2人はお互いに健闘を讚え合い銀と銅のメダルをそれぞれ繋ぎ合わせた。そのメダルはのちに「友情のメダル」と呼ばれ現在まで語り継がれている。
  このメダルは2005年6月にご遺族のご厚意により本学に寄贈された。
「早稲田・慶應 ライバルを超えた絆」(2007年10月18日掲載)より

記念会堂は東京オリンピックの競技会場だった!
  保健体育実習および体育各部の練習などに利用されている記念会堂(戸山キャンパス)は1964(昭和39)年の東京オリンピック開催時にフェンシング競技の会場として利用されたことは案外知られていない。ちなみ同大会で、男子フルーレ(団体)で日本選手は4位に入賞している。

日本初の金メダリスト故織田幹雄の跳躍
▲日本初の金メダリスト故織田幹雄の跳躍

つなぎ合わせた”友情”のメダル
▲つなぎ合わせた”友情”のメダル

 
1161号 2008年6月26日掲載