先輩に乾杯!進路に迷ったときに読む、 身近な先輩へのインタビュー

難病を克服してアテネに続く 北京パラリンピック出場内定!

佐藤 真海さん

■さとう・まみ
1982年宮城県気仙沼市生まれ。仙台育英高校卒業。2000年商学部入学。在学中は応援部チアリーダーズで活躍していたが2001年12月に骨肉腫発症。02年4月の右足ひざ下切断手術後、リハビリと治療を経て、03年1月から競技スポーツにチャレンジ開始。04年大学卒業後、サントリー(株)に入社。同年9月に行われたアテネパラリンピック走り幅跳びに出場。3m95cmの記録で9位。08年3月行われた九州チャレンジ陸上競技選手権大会で4m46cmを記録し自己ベスト更新し、今年9月に行われる北京パラリンピックへの出場を決めた。現在、サントリー(株)キッズプログラム推進室で次世代育成プログラムの企画・運営に取り組んでいる。モットーは『つらいときでも笑顔で!』

充実した学生生活が急転

 佐藤さんの祖父も父も早稲田大学出身ということもあり、自然と早稲田に進学したいと思っていた。また子どものころからチアをやりたいと考えていた彼女にとって早稲田大学でチアができることになったときは、ふたつの夢が叶った瞬間だった。順風満帆な学生生活がスタートし、充実した生活を送っていた佐藤さんに異変が訪れたのは大学2年の10月ごろ。右の足首に痛みを覚えるようになり、12月には何もしていないときでも強く痛むようになった。「疲労骨折では」と思って行った病院での診断は骨肉腫。医師からは重篤な病気であると説明があり、最後に「どんなに治療がうまくいっても右足のひざから下は残せない」という宣告を受けた。それは「頭を割られるような思いだった」と佐藤さんは振り返る。

  治療が始まった。整形外科系のガンに投与される抗ガン剤は強い薬で、深い倦怠感、激しい吐き気などの副作用に苦められた。さらには右足ひざ下を切断。このつらい治療を支えてくれたのは家族、周囲の仲間だった。特にうれしかったのはチアの仲間が1枚1枚にメッセージを書いた千羽鶴を折ってくれたこと。この千羽鶴を見て「病気を克服して仲間が待っている大学へ戻る」と決意した。また、同じ病気の仲間たちにも励まされた。「つらい入院生活でも明るい話をしたりして、みんな決してあきらめないで病気と闘っていました。」佐藤さんにとって病気の特効薬は仲間の存在だったのかもしれない。

佐藤 真海さん  

■佐藤 真海ブログ
http://blog.livedoor.jp/mami_sato/
http://sato.thestadium.jp/

スポーツに活路を見だしトップアスリートへ!

 病気を克服した佐藤さんは退院後すぐに大学へ戻るが、将来への不安、病気再発への恐怖で気持ちは落ち込んでいた。そんな生活からなんとか抜け出したいと思いついたのは“スポーツ”だった。小学生時代に熱中した水泳を再び始めたのだ。「やるからには高い目標をもって頑張りたい」と大会にも積極的に出場する。水泳を通じて本学OBでパラリンピック・水泳の金メダリストの河合純一さんとも知り合った。お互いに“早稲田好き”ということですぐに意気投合し、時にはアドバイスをもらいながら一緒に練習に励んだ。障害があっても明るく前向きに夢を追っている河合さんとの出会いについて「障害について悲観的なっていた自分の心を外に向けさせてくれました」と振り返る。

  やがて周囲の勧めもあり、陸上競技を水泳と並行して始めた。義足で走るには通常は2年から3年はかかるので、すぐにうまく走ることはできなかったが「絶対走りたい!」という気持ちで必死に練習を重ねた。水泳と陸上で着実に力をつけた佐藤さんは、両方の大会に立て続けに出場した。一つの大会が終われば、また新たな目標を立てて大会に臨んだ。特に陸上では限られた練習期間で結果を出し、走り幅跳びで2004年のアテネパラリンピック出場も果たした。

  しかし、アテネパラリンピックへの出場後はしばらく記録が伸びない時期もあった。北京パラリンピック代表選考前は当落線上ギリギリだったが、それでも「北京に行く!」という強い気持ちで練習を重ねた。「昔の自分だったら記録が伸びなければある程度のところであきらめたかもしれません。でも今は自分の可能性を信じているので限界を作らず頑張ることができるんです」と話す。そして本年3月の九州チャレンジ陸上競技選手権大会で自己ベスト更新の4m46cmを記録。強い気持ちがここで実を結び、念願の北京パラリンピック日本代表に内定した。

病気を通じて学んだこと

 佐藤さんは病気になったことで、食事を摂ることや、話すことなど、それまで普通にできたことができず、また生きていくことすら危うい状況も体験した。『生きたい』と切望しながら命を落とす人も間近で見てきた。そのような経験を通じて「身の回りのことや私を支えてくれるすべての人たちに『ありがとう』という気持ちを素直に持てるようになりました。そういう気持ちを持ち始めてから、初めて幸せや夢が近づいてきたように思います」。佐藤さんは病気をしたことで得たものを見つめ自らの糧にしているのだ。

  義足になったことにも何か使命があったのかもしれないと、考えるようになった。「仕事で小学生と交流し、自分の経験を子どもたちに伝えることがあります。聞いてくれた子どもたちが何かを感じたり、考えてくれたらとても幸せですね。病気をしなければ別の幸せがあったのかもしれませんが、今の私はスポーツを通じて世界で戦えるし、素敵な出会いもありました。これからもっと良い生き方ができると楽しみに思えるんです」と明るい笑顔で話す姿は凛としている。

  佐藤さんの当面の目標は、北京パラリンピックで結果を出すこと。日の丸を背負って羽ばたく彼女にぜひ声援を送ってほしい。
 
1153号 2008年4月24日号掲載