とっておきの話 痕跡 柱のキズ、頭の傷

人間科学学術院 太田 俊二准教授

 いまの自宅に引っ越してすでに3年が経過した。十分に広くて機能的できれいだし、快適な要素は備えているはずなのだが、あまりそのような実感を持てないでいる。一方で、私が生まれる2ヶ月前に父が建て、大学入学までを過ごした家には、数回の改築を重ねたものの、いまでも姿を変えていない柱があり、私はそれとの間に何とも言えない一体感を抱いている。

  一般に柱のキズと言えば背比べであるが、私には4歳にしてこの柱に後頭部をぶつけて残った傷がある。正確には、ふざけていた私が母にたたかれてすっ飛んでいった先にこの柱があったということだろう。その後この傷口からは髪の毛は生えてきていない。これを機に賢くなったとか逆に頭が悪くなったとかあれこれ言われたものだが、私は後者であると密かに思っている。そしていま、問題の柱の傍らで4歳になったばかりの甥がおもらしをしている。その母親である私の妹がガミガミ怒っている。

  先日恩師の自宅を訪ねることがあった。家も家財道具も決してピカピカというわけではないが、どれも美しく使われ、何よりも家にあるすべてのもの―趣味で集められた多くの小物や書籍・資料、サンルームの植物までも―が亡くなった先生が今でも大切にしているのではないかと思えるほどごく自然に家のなかにとけ込んでいた。旧いものばかりではなく、比較的最近に先生が集めたものとも相まって現在進行形の一つの世界を作り出していた。高級マンションのモデルルームや最新のホテルの客室とは異なる心地良さを私は感じた。過去だろうがいまだろうが、私も恩師もそれぞれの家の痕跡と一体になっている。生きていてもすでに亡くなっていても、である。そこに快適さを感じる源泉があるに違いない。そんな家を残した二人の先達のように素敵な家を現在の私に建てられるだろうか。

  いま、頭の傷を指で確認しながらそんなことを考えている。


問題の柱
▲問題の柱。多数のキズがみえるが、背比べや私の頭に傷つけたキズとはまったく関係なく、その後モノをぶつけたりした単なる経年変化である。ちなみに指差ししている手が30数年前に私を叩き飛ばした。


 
1153号 2008年4月24日号掲載