「日本人離れしたスケールの大きなプレー」、「“激”の異名を持つ大型バックス」。
彼を評する言葉はいつも大きい。熱くチームを牽引していく男、という印象があるが、取材に現れた彼は内なる闘志を秘めた静かなたたずまいであった。
質問に対して適した言葉を選びながら訥々と答える。「早稲田での4年間は一言では語れません。あまりにも充実していて…」。大学進学時、兄が進学していてなじみのある関東学院に行くか、早稲田に進むか悩んだ。「でもアカクロを着て日本一になりたい、そう思って早稲田に来ました」
左手の傷が痛々しい。顔にも擦過傷が散っている。「身体をはる分、人の痛みを感じる感性は強くなります。特に早稲田はそこが強いところだと思います」一時は後輩から『俺に話しかけんじゃねぇ』というオーラが出ていると恐れられていたらしい。苦笑しながら彼は話す。「いや、そんなに怖がらせた覚えはないんですけど(笑)。間違っていたらそれは違うだろ、って言っていただけです」。「でも4年生になってからは、後輩に対してコミュニケーションを意識して取るようにしていました」。これは副将としてチームをまとめようとした決意の表れでもあった。
清宮克幸、中竹竜二という二人の監督のもとで闘った。どちらの監督のときも日本一になれたことが自信につながった。「監督との出会い、メンバーたちとの出会い、そして海外遠征でできた友人との出会い。すべてが得難く大切なもの。ラグビーを続けていたからこそ、出会えた人たちがたくさんいるんです」。病床から自分のプレーに心躍らせ、病の身を押して応援にきてくれたファンの方との交流もあった。
将来は指導者として夢を継ぐ後進との交流ができたら、とも思っている。「まずはトップリーグで日本一になるのが一番の目標です」。いつかワールドカップのフィールドで「GORO!」の連呼が聞こえる日がくることを心から願おう。
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