えび茶ゾーン 1134号 〜 1147号(2007年9月27日号〜2008年1月17日号) |
2007年9月27日ナショナリズム研究の泰斗、B・アンダーソンが早稲田で講演した時に、「学ぶべき価値のある言語が日本語と英語だけだと考えているような人は間違っている」と語った。世界には民族の数だけ言語があり、多様な文化や考え方を理解し、異言語間のコミュニュケーションを通じて国際理解を深めることを強調したのである。多言語に通じている氏の言だけに説得力がある▼国際共通語としての英語の重要性と必要性に異議を唱える人はいないだろう。教員や学生が論文を作成する場合に、英語の文献を参照したり、英語で表記したりすることは、日常的に行われている。また、外国人学生や研究者とのコミュニケーションも英語の場合が多い。しかし、人間ともすればその言語の背景にある文化や考え方といったものまでにも、無意識に支配されるという危険に陥る。各国、各地域にはその土地独特の文化や習慣があり、それは大国の合理主義の下で軽視され、切り捨てられるべきではない▼世界では様々な人種や民族が独自の言語を発展させ、独自の習慣に従い、独自の宗教を信じている。その独自性を否定することが紛争の種になることは歴史が物語る通りである▼外国語を学ぶことは日本以外の豊かな文化を学び、その国の人々の考え方や生活習慣を知ることで、日本文化の価値を相対評価できるというメリットがある。世界のリーダーを目指す早稲田の学生には、英語以外の言語も習得して、広い視野を有した寛容な精神の持ち主になってほしい。 (モンタ) (2007年9月27日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 Septmber 27. |
2007年10月4日大学の在り方が、日本の中高等教育が、激変するかもしれない。文部科学省は、学校教育法施行規則にある学校の原則4月入学の規定を廃し、大学の9月入学拡大の方向で改正するとの提案を中央教育審議会で示した。9月入学や入学時期の多様化については議論すべきと思う。けれども、重要なのはこの問題を議論するのに誰が・どのような観点が相応しいかであろう▼改正の主要な理由は日本の大学を欧米並みにするという「国際化」である。むろん、「国際化」とは本質的に何なのか、議論されねばならない。その上で、9月入学する留学生のみならず一般の高校生・大学生にとって何がメリットなのか、検討すべきだろう▼他方、3月の高校卒業から9月の大学入学までに猶予期間が設けられ、大学入学予定者は多様な体験を積めるとされる。この期間、誰が彼らの指導を行い、誰が責任を負うのだろうか。高校生でも予備校生でも大学生でもない彼らは、各々の多様な体験のゆえに社会的にどのように認知されるのだろうか。また、大学に進学しない者には多様な体験を保証しなくてもよいのだろうか▼この問題を検討するには、「国際化」といった特定の観点のみが重点となるのではなく、わが国の中等教育・高等教育のあり方といった総合的な観点こそ必要不可欠と思う。そうして、僕たち教員のみならず、この問題に直接利害を持つ高校生や大学生が主体的に議論に関わるべきだろう。是であれ非であれ、学生諸君のさまざまな理性的な意見発信を期待したい。 (亜) (2007年10月4日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 October 4. |
2007年10月11日デジタル世代との付き合いは、インターネットの先進国であるアメリカの大学でも難しいそうだ。「今日の授業に出席できなかったけれど、どんな内容だったか、教えてほしい」インターネットになじんでいる今の学生は、友人感覚で気軽に教員にメールを出す。メールをもらった教員はパソコンの画面を見ながら数知れない学生からのメールに呆然とする。あるアメリカの新聞のコラムを読みながら、ああ、アメリカもそうなんだ、と不思議に納得してしまった▼デジタル世代にとってメールは友人との情報伝達のツールであるとともに、ネットワーク形成の手段となっている。そうした考えから言うと、教員もお友達に入ってくるらしい。とくに周りに適当な友人が見当たらない場合、便利で使い勝手のいいお友達となる。重要なのは当然返事が来るものと彼らが思い込んでいるところにある。自分への特別な関心と配慮を特に求めているのがデジタル世代の特徴である。しかも一対一の関心が必須であると同コラムは言う▼パソコンや携帯電話といったツールを駆使できることは確かに便利である。しかしながら、こうしたツールを使う上でのマナーについて教育がどこかで行われているかといえば、現状ではほとんど聞こえてこない。デジタル世代の大学生との接し方、デジタル世代の大学生が有すべきマナー、そうした問題を教員も学生も真剣に考えることが求められている時代になった。 (R) (2007年10月11日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 October 11. |
2007年10月18日記念すべき創立125周年を迎えてキャンパスは祝賀ムードに満ちているが、同時に学生生活で馴染みの深いもののいくつかが100周年を迎えていることをご存じだろうか。島善高著『早稲田大学小史』※に従って歴史を紐解いてみよう。大学は1907年に創立25周年式典を開催している。式典に合わせて校歌「都の西北」が制定され、還暦を迎えた大隈重信の銅像が建立された。つまり、校歌、銅像がともに100周年を迎えるのである。なお、後に現在の銅像が完成したため、今日ではこの銅像は大隈講堂の大隈庭園側に設置されている▼ほぼ時を同じくして1906(明治39)年5月に、学生監督部が設立されている。何ともモノモノしい名前であるが、学生を取り締まるためではなく、「あくまでも学生を鼓舞激励し、学生にあやまりなからしめんとすること」がその目的であった。以来一世紀にわたって課外活動支援、奨学金など広範な分野にその役割が拡充されてきた▼新たな125年を迎え、数年後のキャンパスには世界各地から5千人の留学生が集うことになるであろう。創立100周年記念式典で、校友の井深大氏(ソニー創設者)は「この世の中を自由に引っ張ってゆける人間を、早稲田大学こそ作り出す責務がある」と述べた。世界を自由に引っ張ることができるよう、学生部のさまざまなサービスを積極的に利用してほしい。 (か) ※『早稲田大学小史』をご希望の方は、早稲田ウィークリー編集室(03-5286-1836)までご連絡を! (2007年10月18日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 October 18. |
2007年10月25日今年もまた就職活動の時期が来た。といっても、昨今の4年生は今頃になると内定が出ている場合が多いから、ここでは3年生のことを指している▼さて、就職希望者の人情として、少しでも名の知れた、そして給料等の待遇の良い企業を望むのは当然であろう。しかし、毎年と言ってよいほど卒業生から転職の相談を受ける▼話を聞いてみると、大半が入社する前の企業のイメージと入社後の「実像」に落差があるとか、自分には合わない会社であったとの内容である▼「自分の希望した会社ではないのか」と喉まで出かかった言葉をかみ殺して、「もう少し辛抱してみたら」、「石の上にも3年というではないか」などとなだめたりすかしたりするのだが、すでに意思は固いらしく、転職していくようである▼日本の終身雇用制は崩壊しかけているし、転職するのが悪いとは言わない。しかし、就職して1、2年で転職するなら、どうしてもっと慎重に会社選びをしなかったのかと問いたくなってしまう。そうしていれば、こんな悩みも、苦労もしなくて済んだのにと思う▼その原因の一つに、自分の本心を抑さえ込んで、優良企業、有名会社へ就職したいという気持ちがあるのではなかろうか。もちろん、その心情がわからぬわけではないが、もっと自分のやりたい仕事、職種を重視するという選択があってもよいと思う▼世間の評判に惑わされず、自らの信念で就職活動をする早大生であってほしいと、願うことしきりである。 (A・K) (2007年10月25日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 October 25. |
2007年11月1日2009年卒学生の就職セミナーが既に始まっている。某研究所の調査によると、今年の大卒求人倍率は2.1倍で16年ぶりに2倍を超えたという。この数字から判断すれば、確かに就職は容易になったかもしれないが、より多くの人が希望どおりの職に就けるようになったわけではない。数字を鵜呑みにして判断することは避けた方がいいようだ▼バブル期に売り手市場という場合、正社員の求人旺盛を表していたが、今や正社員のほかに派遣社員、契約社員を含んでいる。今年は、求人倍率7・3倍というまさに売り手市場を代表する職種もあるが、その内訳は多数の非正社員の求人が中心である。求人状況に関する情報、とりわけ数値で表されるものについては、実態を正確に捉えているかどうか疑ってかかる必要があろう▼景気動向によって求人状況が変化するのは当然だが、数字では表せない変化が起こっている。「ティッピングポイント」(すべてが劇的に変化する瞬間を意味する)の発想からいえば、ある時点から求人状況が急に変化する。それゆえ、わが国の求人状況の質的な変化は、規制緩和によって多くの分野で人材派遣が可能となり、派遣社員の数が急増した時点から起こったと理解される▼売り手市場や求人倍率のように、状況が変化すると内容が異なる用語には注意が必要である。それを真に受けてしまうと、実態を誤解してしまう可能性が高いからだ。学生諸君には、ぜひとも、数値に惑わされず実態を的確に捉えることを心がけてほしいものである。 (H・O) (2007年11月1日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 November 1. |
2007年11月8日「ある日、空から一つのサッカーボールが落ちてきた」。確かこのフレーズで終わる短編小説があった。その詳細は忘れてしまったが、要点だけは覚えている▼サッカー中に、ある少年が大きく蹴ったボールを捜しに行くが見つからない。その代わりにあったのは底の見えない穴だった。深さを調べようと石を投げたが音はしない。そのうちに、多くの人がその穴を知り、要らないものを捨て始めた。一度捨てると止まるところを知らない。多くの人が、否、町中が、果ては遠くの大都市がどんどん要らないものを捨てに来た。ちり紙・残飯・廃家電・廃自動車・有害廃棄物…小物から大物まで要らないものは何でも捨てた。「こんな便利なものはない」。何十年にもわたって人々は止め処なく捨て続けた。そして、ここで最初の言葉が出てくる▼この言葉が、私が廃棄物問題に興味を持った切っ掛けだった。人はつい安易な方向に流れてしまう。臭いものに蓋をし、汚いものは見ない。今話題になっている環境問題にも人のこうした心との葛藤がある▼ただ、人はまた別の心も持っている。労を厭わず人のために尽くす。こつこつと地道によいことをやり続ける。目先の利益に惑わされず大きな視野で物事を見る。これらは環境問題解決の鉄則でもある。欲望は成長の母ではあるが、それだけでは持続的発展とは調和しない。技術開発も必要だが、その前にやるべきことは沢山ありそうだ。 (S・O) (2007年11月8日掲載) First drafted 2007 November 8. |
2007年11月15日「失われた10年」という言葉がある。日本においては、この言葉は一般的に「バブル景気」の後遺症としての不況の時期を表す言葉になっている。年代で言えば、90年代前半から2000年代はじめにかけてだ▼一方、「バブル景気」とは、80年代後半から90年代初頭にかけての、好景気のことを指している。だから、「バブル景気」の時期と「失われた10年」とは、当然、重なりはしない▼しかしながら、「バブル」という言葉は、「バブル」が弾けてからバブルのように広がったことは、記憶に留めておいたほうがいい。「失われた10年」は「バブル景気」の余韻の中から始まったのであり、そうした中で広がった「バブル」言説は、むしろ当時の社会を「バブル」という現実のただ中にあることを可能にしていた▼だから、歴史としての「バブル期」には二種類ある。一つは、「バブル景気」と呼ばれる不動産や株式などに対する過剰な投機熱による「バブル経済」で支えられた好景気の時期のことである。もう一つは、人々のリアリティや生活実感としての「バブル」であり、「失われた10年」と重なりながら、人々の記憶の中に留めている▼私たちの社会の歴史というのは、後から振り返って現在に関係づけながら過去を再構成していく。過去へのまなざしが、現在のリアリティを構成し、その積み重なりがまた歴史となっていくのである。怩ワなざされた揄゚去と、怩ワなざした搆サ在の二重性は、私たちに歴史や記憶というものの奥深さを感じさせてくれるだろう。 (S・S) (2007年11月15日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 November 15. |
2007年11月22日とあるきっかけで、ものづくりに従事する人々のロングインタビュー映像を見る機会に恵まれたことがある。楽器・食品・映画など、何かをつくることを生業としている人たちに、その営みの中で培われた智恵や技を問いかけることで、人間がよりよく生きようとする姿を伝えるために撮られた映像であった▼職人たちは、使う人・食べる人のことを思い浮かべながら、微妙な質感や寸法、温度や湿度に気を配りながら、ものをつくりあげていく。それらを語る人々の表情は実に魅力的であった▼作り上げた楽器が演奏家の手に渡り、信じられないほどゾクッとする音が奏でられたときの喜びは何にも代え難いのだと、村松フルート製作所の職人は語った▼映画監督是枝裕和氏は、表現ではなく対話だと思って作品をつくっている、と語った。制作段階では、監督自身が曖昧なままに編集したシーンの意図が、観客の感想によって明確な言葉になったことがあるという▼私たち人間は、人とかかわりながら、心の豊かさを求め、自分自身を高めようとしている。ものを通して対話しながら、新しいことを見つけていく▼学生諸君も、キャンパス内外で、さまざまな活動や表現を試みていることだろう。その活動や表現の向こう側に、諸君は誰かのことを思い浮かべているだろうか。今はまだ葛藤を繰り返し、暗中模索の日々かもしれない。既に達成感を得たかもしれない。その多くの経験がいずれ、豊かさを共有できる誰かに向けた、そんな営みに結実していってほしいと願っている。 (K) (2007年11月22日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 November 22. |
2007年11月29日最近、夜遅くジョギングする人とよく出会う。多くの人はヘッドフォンで音楽を聴きながら軽やかに走り去ってゆく。音楽を携帯しているのはジョガーだけではない。電車の中で、自転車に乗りながら、街でもそしてキャンパスでも、いつでもどこへでも音楽を持ち歩く人がこのところ急激に増えたような気がする▼いまやデータ圧縮技術などの進歩によって小型化・軽量化が進み、何百何千曲分のデータを収めたプレーヤーが名刺や消しゴムほどのサイズになっている。あらゆる生活シーンに音楽を持ち歩くことのできる時代が来た▼そんななか、米国のある州では道路横断中の歩行者を対象にした「電子機器利用禁止法」なる法律が提案されたという。注意散漫になり事故に遭う危険度が高まるからというのがその理由だそうだ。同じく米国での公式マラソン大会でも携帯プレーヤーは禁止の方向だ。やはり係員の声が聞こえないと困るという安全確保のためらしい。何もそこまでとも思うが、「状況をわきまえる」ということは必要なのであろう▼ヘッドフォンをしながらの生活は、好きな音楽を聞くことで退屈に過ぎていく時間を意味あるものに変えてくれるし、またあるときは自分だけの世界に浸らせてもくれる。誰にも迷惑をかけていないように見えるが、大切な聴覚情報を遮断することによって自分やまわりの人に不利益をもたらすこともあるということを、やはり忘れるべきではない▼状況をわきまえながら「携帯テクノロジー」を使いこなすことの何と難しいことか。 (S) (2007年11月29日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 November 29. |
20007年12月6日日本とアジア諸国、とくに中国、韓国、北朝鮮との外交関係を考える上で避けられないのが、歴史解釈の問題である。たとえば、第二次世界大戦の意味・価値付け、また、いつをもって始まりとし、何をもって終わりとするかは、日本と中国でそれぞれ異なる。過去は不変・普遍の真実としてあるのではなく、現在の要請に応じて自在に再構築され続けるもの、とする歴史観を受け容れることによって、歴史問題に対する打開策が見出せるかもしれない。歴史はそれぞれの国家や民族の記憶をつむいだオープンテキストであり、物語りだからである▼民主主義と人道主義を掲げて再生した戦後の「平和国家」日本は、新たな国家の物語りを要請した。先の戦争は、パールハーバーに始まりヒロシマに終わる被害者(唯一の被爆国)の物語りとして、毎夏終戦記念行事で再演されることとなった▼一方、中華人民共和国は、日本を加害者とする戦争の物語りを要請した。日本植民地帝国による全面侵略戦争の始まりとされる盧溝橋事件から、中華民族・人民の解放と独立を実現した日本の無条件降伏までの、抗日民族解放戦争が戦後中国の公式の記憶として語り継がれてきた▼歴史問題に対しては、これまで政府間レベルでも民間レベルでも、共通の歴史認識の醸成、および、歴史の真実追究を目的として、日本、中国、韓国の歴史専門家らから成る研究会などが組織された。だが、歴史の真実は一つ、という歴史観に拠る限り、国家間、民族間の歴史問題の解決は不可能であろう。 (右左) (2007年12月6日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 December 6. |
2007年12月13日私は大学時代、留学生を主な対象とする国際学生寮に、数少ない日本人の一人として住んでいた。その頃は、ちょうどプラザ合意以降の円高で、私費留学生の生活苦が社会問題化しつつある時期であったし、そもそも日本の大学の留学生の受け入れ体制が未整備で、一緒に住むアジアからの留学生の多くは日本での留学生活に不満と不安を抱えていた▼当時は「成長のアジア」の時代のちょっと手前で、日本の戦争責任や経済進出・アジア人蔑視に対する批判的な意見をもつ留学生も多く、まだ若かった私は、そういう議論に果敢に日本人代表としてナショナリストになって反論していた。しかし、一歩その寮を出てみると、今度は日本人の友人のアジアに対する偏見や誤解を思い知らされ、アジア人代表のようなつもりで日本に批判的な議論をすることになった▼その後、大学院で米国に留学し、自分が留学生となってみて初めて、日本で4年も留学生と暮らしていたのに、彼らが感じていた思いや孤独を理解していなかったと実感させられた。今振り返ると、こうした未熟ながらもさまざまな立場で考えてみる経験こそが、自分のささやかな国際性の萌芽だったと思う▼早稲田大学は日本の大学で最大数の2,700人以上の留学生が在学し、また千人余りの在学生を交換留学に送り出す、国際性豊かな大学である。国際コミュニティセンターや国際学生寮もある。学生諸君に、ぜひこのような機会を生かして、他者の立場や考え方に思いをいたす真の国際性を学びとってほしい。 (K・K) (2007年12月13日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 December 13. |
2008年1月10日留学生が増えてきている。日本語と英語で授業を行ったり、中には英語だけの授業もある。研究室も、英語、日本語、中国語、韓国語、アラビア語と多国籍言語が飛び交う。入学した時には、あまり上手でなかった日本語が、半年経つと日常会話では、ほとんど問題が無くなる。1年経つと、「無理ですよ」と言いながらも、学会発表も日本語でできるようになる▼留学生には、ときどき驚かされることがある。廊下ですれ違う時には、頭を下げて、「先生」と言いながら通り過ぎる。一緒に部屋に入るときには、ドアを開けて、先生を先に通す。エレベーターでは、「開ける」のボタンを押しながら、目上の人から先に出てもらう。「日本もこんなことがあったな」と思いながら懐かしく思う▼仕事で訪問した幾つかの高校では、学内で外部の人とすれ違う時でも、生徒が深く頭を下げる。そのような高校には好感が持てる▼社会生活では当たり前のように行っている「おはようございます」、「こんにちは」などの挨拶や、小・中・高校で普通に行っていた挨拶を大学では忘れてしまっていることが多い。家庭でも、帰ってくれば「ただいま」、食事の時には「いただきます」、出かける時には「行ってきます」などの基本的な挨拶が、昨今の社会環境の中で失われつつあるのかもしれない。せめて、本学の学生諸君は大学だけでなく日常生活でも積極的に挨拶をすることが大切なことではないかと思う。これから未来に向かって世界へ羽ばたく学生諸君へ! グローバル化も日々の挨拶から始まるのではないでしょうか。 (グローバル) (2008年1月10日掲載) Copyright (C) 2008 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2008 January 10. |
2008年1月17日連休頃だったが、16時頃、学生があわてた様子もなく部屋にやってきて、「実験装置が午後からおかしいので見てください」と言った。実験室に行くと、大型装置が、壊れそうな大音響で動いていた。急遽、電源を切り、装置を停止させた。そこで、こんな状態でなぜ長時間運転していたのか質問した。本人は、おかしいと思ったが、大変なことだとは思わなかったと言った。装置を分解し、破損部分を見せ修理したが、そのとき初めて重大さに気づいた▼学生が配属される時期になると、同様のことが、レベルの大小があるがいつも起こる▼例えば、前述した話と違い、規律面でも発生する▼通常クリーンルームは、内部を清浄に保つため、靴を履き替え、上着を着て中を汚さず使用している。全員が、この規律を守る。しかし、毎年あるいは隔年に一人程度、不心得ものが、誰も見ていないのをいいことに、土足でクリーンルーム内に入り実験する。当然だが、その後クリーンルーム内は汚れ、全員で清掃するまで使用不能となる▼なぜこんなことが頻発するのだろうか、最近つくづく考えさせられる。最初の問題は、これまでに現実の体験が少なく、紙の上で(パソコンだけで)勉強してきた弊害かもしれない。また、後者は、清浄さの必要性を理解せず、「めんどくさい」と言う利己的な理由で、結局自分にも、他の全員にも、迷惑をかけて初めて分かる▼大学でも、ある年齢(大学院生)になれば、全て教えられなくとも、自分で判断できる常識人になれるような教育が必要かもしれない。 (T・U) (2008年1月17日掲載) Copyright (C) 2008 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2008 January 17. |