先輩に乾杯! |
駅伝選手から市議会議員へ
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なかむら ひでゆき
1975年6月26日、山梨県大月市生まれ。1994年本学人間科学部スポーツ科学科に入学。96年に箱根駅伝初出場。往路2区を走った現競走部駅伝監督の渡辺康幸さんからタスキを受けて3区で1位を守り往路優勝と総合準優勝に貢献した。3年時にも3区、4年時は7区を走った。卒業後、1998年日産自動車に入社。2001年に退社。郷里の大月市に戻り地元の高校に就職。2007年6月20日に退職し大月市議選に立候補。投開票が行われた7月1日に見事初当選した。 |
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中村さんは都留高校時代インターハイ1500メートル3位の実績を残し、高校陸上界では注目の選手であった。当時監督を務めていた瀬古利彦さんから熱心な勧誘もあり、特別選抜入試で早稲田大学人間科学部へ入学した。
入学後の4年間のうち3回(2〜4年)箱根駅伝に出場した。特に初出場した96年には往路2区を走った渡辺康幸さん(現競走部駅伝監督)からタスキを受けて3区で1位を守り、往路優勝と総合準優勝に貢献した。在学中の4年間は箱根駅伝での優勝を目指し在学中は苦しい練習を耐え抜いた。「特に毎年夏に北海道で行われる合宿では毎日70キロ走っていました。これが本当にしんどくて今でも忘れられません」
卒業後は日産自動車に就職しオリンピック出場を目指した。1年目は全日本実業団駅伝に出場するなど順調に滑り出した。2年目、業績立て直しを図るためにカルロス・ゴーン氏が社長に就任し大規模なリストラが実施された。陸上部も大幅に規模を縮小され、部員は半分に減った。中村さんは会社に残れたものの、当時在籍していた横浜工場での業務は調達資材のコスト削減交渉業務。取引先にはギリギリの値引きを迫る日々。そんな日々の中でいつの間にかオリンピック出場の夢は消え失せ、好きなことができない焦躁感ばかりが募った。そして3年目に退職を決意する。
日産自動車を退職し、ふるさとの大月市で市立高校へ実習助手として再就職。地元では若者の多くが都会へ流出し、しかも残っている若者の意見もなかなか通らない独特の閉塞感があった。「地元で会合があれば年寄りは『若者が来ない』と嘆くのに、若者が来て意見を言えば『黙ってろ』と一喝するんですから」。若者の意見を取り入れるためには自分がアクションを起こさなければと考え2007年7月の市議会議員選挙へ立候補した。「立候補の不安はありませんでした。まだ若いので失うものは何もない。立候補をあきらめて後悔する方が嫌でした」
選挙期間中は競走部の仲間も応援に駆けつけ、早稲田カラーのエンジのトレーニングウェアを着て1日10キロ走る選挙活動を展開。そのような行動力が評価され見事当選。「大月市議会は8年前は26議席あった定数が現在は18議席に削減され、政策や法律などの知識を持たない議員が議席を確保するのは難しい。そういった勉強もしながら若者の意見を取り入れて心身共に豊かに過ごせるまちづくりをしたい」と語る。
若者から受け取ったタスキ(意見)を次のランナー(行政)につなげるべく、市議会というフィールドで疾走する中村さん。彼のレースは今始まったばかりだ。
(2007年12月6日掲載)
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