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水と緑の鎮守―水稲荷神社
西早稲田キャンパス19号館の向かいに広がる水と緑に囲まれた空間。その中に鎮座する水稲荷神社の境内は、外の喧噪から離れた穏やかな空気に包まれている。 水稲荷神社はかつて現在の西早稲田キャンパス9号館(法商研究棟)にあたる場所に位置していた。創設は941年(天慶4)。平将門を討ったことでも知られる鎮守府将軍俵藤太秀郷が、「富塚」という古墳に倉稲魂大神(稲荷大神)を勧請(神霊を分かち、ほかの神社で祀ること)したことに始まり、以来「富塚稲荷」、「将軍稲荷」と呼ばれて信仰を集めた。「水稲荷」と称するようになったのは江戸時代以降のこと。1702年(元禄15)、境内にあった大椋の樹の下に霊水が湧き、その際「我を信仰する者には火難を免れしむべし」とのご神託があったことに由来する。湧き出た霊水は眼病に効能ありと江戸市中で評判となったという。この大椋は、1945年(昭和20)に戦災によって焼失したが、根元は残存しており、現在も大切に保管されている。 1963年(昭和38)には早稲田大学と土地を交換し、当時大学が所有していた甘泉園の一部に社地を移して現在に至っている。なお、富塚はこの一帯の地名「戸塚」の由来ともいわれている。富塚も敷地移転に伴い現在の社地に移されたが、その跡地は「富塚跡」として新宿区登録史跡となっている。 通常は公開されていないが、「高田富士」が名所として古くから知られている。江戸時代、富士山を信仰の対象とする「富士講」が江戸を中心に流行した。1780年(安永9)に富士講の人・高田藤四郎らが9年5カ月をかけて富士山頂から岩や土を運び、当時の境内に高さ10メートルにおよぶ塚、「高田富士」を築いた。その後、江戸各地に同じような富士塚が築かれたが、高田富士はその最大最古のものとして知られ、富士登山の気分を味わいに多くの参詣客が訪れたという。社地を移した際、高田富士もまた現在の境内に復元された。現在は毎年7月下旬に行われる高田富士祭りの期間中のみ入山することができる。 水稲荷神社の境内には、かつて早稲田大学構内にあった高木神社や、大隈重信の信奉が厚かったという北野神社など、早稲田大学に縁のある神社もある。お参りをする早大生や合格祈願に訪れる早大受験生も少なくないようだ。 普段は閑静な水稲荷神社だが、祭りが行われる数日は地域をあげて大変な盛り上がりを見せる。散策がてら訪れてみてはいかがだろうか?
1月 元旦祭(1日) (2007年11月1日掲載) Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2007 November 1. |