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2007年度前期分 目次





『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』 香西 秀信 著
2007年 光文社新書 735円(税込)


論理的思考力を身に つけようと思っている人へ

<評者>
大貫 眞弘
(おおぬき・まさひろ)
高等学院教諭
2007年4月嘱任
担当科目:現代文・文芸・国語表現ほか
専門分野:国語科教育

 次のような場面を考えてみよう。就職先の所属する部課で会議が始まった。部課長が明らかに間違った意見を発し、それに対してあなたが意見を求められた。日頃から論理的思考の研鑽を積んでいるあなたは、さてどうするか。持ち前の論理的思考力を発揮して、「それはこれこれこういう点でおかしいです。論理的にはこう考えた方が正しいです」と言うだろうか。まあ、そうしたところで「若い者は黙ってろ」と言われ、その部課長の意見がまかり通るのを恨みがましく見ることになるだけだろう。

 世の中、そんなものだ。筆者の次の言葉が当てはまる。「われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない(14頁)」。論理的思考力なんていくら身につけたところで、実生活・実社会においてはあまり意味をなさないものなのだ。論を通すのは、論の正しさではなく、論者に属するいろんな意味での「強さ」なのだ。

 筆者はこうも述べる。「論理的であろうとすることが、しばしば正直者が馬鹿を見る結果になる。(略)われわれが論理的であるのは、論理的でないことがわれわれにとって不利になるときだけでいい」(92頁〜93頁)

 ならばどうすればいいのか。詭弁で応じればいいのである。詭弁という言葉に後ろめたさを感じる必要はない。そもそも「言葉で何かを表現することは詭弁である(第1章のタイトル)」のだから。  堂々と「詭弁遣い」になろうとする「現実的な人」にとって、この本は楽しく読め、かつ強力な武器となるに違いない。

(2007年7月12日掲載)

Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2007 July 12.



『第一阿房列車』 内田 百けん 著
2003年 新潮文庫  500円(税込)


自分に戻る
「用のない」旅の風景

<評者>
百武 ひろ子
(ひゃくたけ・ひろこ)
芸術学校客員講師
2007年4月嘱任
専門科目:都市プロジェクト演習、都市空間解読など

 内田百けんのエッセイや小説は、私にとって、ちょっと無理して疲れたり、がんばりすぎたりしたときに舐める飴のような存在である。飴といっても、その文体はベタベタした甘さとは正反対、あっさりしていてむしろ小気味いい。

 特に、百けんの『第一阿房(あほう)列車』は、「〜をしなければ」、「〜であらねば」というプレッシャーで張り詰めていたり、それがパチンとはじけて、自分を見失いそうになっている学生にぜひお勧めしたい。

 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪に行って来ようと思う」。この有名なくだりを読むだけで「用のない」旅の前に広がる満々たる自由に心が沸き立つ。「用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい」と贅沢なことを言う百けん先生、実は借金をして、この用事のない旅に出掛けるのだ。だから、「帰る」という用のある復路は三等でいい。一事が万事、百けんは、自分の流儀を徹底して押し通す。あらかじめ切符を買っておくと切符の日程に束縛されるからと前売券を買うことを断固拒否したり、遅れた電車からの乗り継ぎのために走るのは嫌だといって、二時間ベンチで待ちぼうけを食らったり…。でも、百けん先生の「イヤダカライヤダ」のワガママは、世間の常識とはかけ離れているのに不思議と筋が通っている。同行する「ヒマラヤ山系」と百けんとの噛み合わない会話を聞きながら眺める車窓の風景は、世間のしがらみの霧に隠れていた本当の風景を映し出す。

 この本を持って「用のない」阿房な散歩にふらっと出かけみると、ありのままの自分の意外な一面に出会えるかもしれない。いや、そんな「用」を持たずに、ふらり出かけるのが百けん流だろうか。

(2007年7月5日掲載)

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First drafted 2007 July 5.



『沖で待つ』 絲山 秋子 著
2006年 文芸春秋 1,000円(税込)


同世代という読み方

<評者>
和田 敦彦
(わだ・あつひこ)
教育・総合科学学術院准教授
2007年4月嘱任
専門科目:近代文学演習、日本文学基礎購読など

 若い間は「同世代の作家」という言葉になかなかぴんとこないかもしれない。自分だって大学生のころはそうで、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』や(文体は全然違うが)柴田翔『されど我らが日々』といった同年代の親近感を感じさせる小説はたくさんあったが、当の書いた作家は実年齢では自分とはかけ離れていた。

 私の場合、かろうじて大阪万博の記憶(まだ小さいからと連れて行ってもらえなかった)から、バブルの全盛期で迎えた大学生という世代に属するが、今回紹介したいのは、ようやく数多く読めるようになった自身の同世代の作家の一人。ここでは絲山秋子の小説『沖で待つ』を「薦」として挙げたい。バブルのころに同期入社した仲間の死をほのぼのと(?)描き出している。重松清もやはり同じくらいの世代で、私は共感する部分も多々あるのだが、彼の場合は読み手の感情をゆさぶって涙腺を刺激しようとする技巧がどうも目について「べたべた」の感がある。

 絲山は、同僚や友人同士の何気ない会話やエピソードで読者を笑わせながら、死や性をめぐるどうしようもない欠落感や喪失感が「どうしようもなくそこにある」ことを小説の中にうまく仕組んでゆく手際があざやか。絲山は方言や地方都市をよく使うけれども、その場合も「ごくふつうにそこにいる」というクールな書き方ができる。

 同著者の『海の仙人』も秀逸。そしてこうした同世代作家が、現在の学生たちにどう読まれるのかも、また私は気になっている。

(2007年6月28日掲載)

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First drafted 2007 June 28.



CDアルバム『Ya Salam...』 Nancy Ajram
EMI Music Arabia, 2003


アラブ世界の倖田來未???

<評者>
小島 宏
(こじま・ひろし)
社会科学総合学術院教授
2007年4月嘱任
担当科目:世界人口移動論、現代家族論ほか
専門分野:人口学

 ヨーロッパ出張の帰りにはエールフランスの夜行便を利用し、パリ市内で本を買う時間を作るように心がけてきた。半日しかない時はカルチェラタンの書店を回り、最後にアラブ世界研究所の書店に立ち寄るというのが常であった。3年前、本の買い出しを終えて同研究所の書店横のカフェでビールを飲んでいると、心地良い女性歌手の歌声が聞こえてきた。そこで、急いでビールを飲み干し、お金を払う際に歌手の名前を聞いて書店に戻り、CD売り場へと走った。「ナンシー・アジュラム」とかいう女性歌手のCDが欲しいと店員さんに頼んだところ、レバノンのコーナーから探し出してくれたのが、このアルバムであった。

 帰国直後に聴いてみたところ時差ぼけと疲れがいやされたので、その後1カ月以上にわたり深夜の帰宅後に聴いていた。当初はどのような歌手かわからなかったが、「エジPOPレビュー」のサイト(http://www005.upp.so-net.ne.jp/nobuta/ 管理人は昨年度まで社会科学部の「アラブ史」非常勤講師で、今年度からアジア研究機構客員研究助手の中町信孝先生)を見たところ、歌唱力もあり、コカコーラのCMにまで登場するアラブ世界の人気歌手だということがわかった。セクシー系とはいうものの、アルバムの裏の写真は同じコカコーラ・ガールの倖田來未というよりは八代亜紀のようにも見えたが、オフィシャル・サイト(http://www.nancyajramonline.com/)を見て納得した。このアルバムは南欧風にアレンジされていて聴きやすい曲が多く、聴くと元気が出てくるので、ウェッブ上で試聴した上、CD店・書店のサイト(DVD付きの2007年版販売中)や米国系CD店でお買い求めになることを薦めたい。

(2007年6月21日掲載)

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First drafted 2007 June 21.



クラシック音楽CD『カルミナ・ブラーナ』
作曲:カール・オルフ 演奏:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:アンタル・ドラティ
ユニバーサルクラシック2001  1,000円(税込)(録音は1976年)


心や体が疲れたときは

<評者>
小林 ミナ
(こばやし・みな)
日本語教育研究科教授
担当科目:教育文法論、日本語教育の文法など
専門分野:日本語教育、言語学(語用論)

 「カルミナ・ブラーナ」(Carmina Burana)は、バイエルンのボイレン修道院で発見された13世紀の古い詩歌集に、ドイツの作曲家カール・オルフ(1895-1982)がメロディーをつけた世俗カンタータである。オルフの世俗カンタータ三部作の第一作目にあたるもので、1937年にフランクフルトで初演された。2007年の今年は、初演70周年にあたることから、日本国内でも演奏される機会が多いようである。

   世俗カンタータというのは、宗教的(キリスト教的)な題材を扱っていないカンタータ(オーケストラ伴奏を伴う合唱組曲)のことをいう。たしかに全25曲のタイトルには、「小間物屋さん、色紅(べに)を下さい」、「胸のうちは、抑えようもない」、「酒場に私がいるときにゃ」、「天秤棒に心をかけて」など、まさに「世俗」が満載。この25曲を、混声合唱、少年合唱の2つの合唱隊、ソプラノ、テノール、バリトンの3名のソリストが歌いあげる。

   ドラティ指揮のこの演奏は、某CMで有名になった最初の曲「O Fortuna"(おお、運命の女神よ)」からして、スローなテンポで始まり、オケの演奏も他の指揮者のような華やかさはなく、どちらかといえば全体的に地味な仕上がりである。しかし、心や体が疲れたときには、かえってこのぐらいのほうが心地よい。自由奔放な歌詞を眺めれば、人がこの世のさまざまな物事に心惑わすのは今も昔も同じであるとあらためて気づき、励まされる。力強い混声合唱と透明な少年合唱の歌声は、人の体の逞しさ、美しさを思い出させてくれる。

   人の心と体を癒してくれるのは、やはり「人」なのかもしれないと思う。

(2007年6月14日掲載)

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First drafted 2007 June 14.



『勝者の思考法』 二宮 清純 著
2001年 PHP研究所 693円(税込)


弱者が勝者になるためには

<評者>
内田 和成
(うちだ・かずなり)
商学学術院教授
2006年4月嘱任
担当科目:経営学特論(競争戦略)

 この本にはスポーツに関する日本人の勘違いや感情をベースにした議論を木っ端みじんにしてくれる気持ち良さがある。そして、また人生のヒントにもあふれた本である。

 日本人は弱者と敗者を同情的な視点で同一視しているが、これらは別物であり、弱者には理解と配慮が必要であり、敗者には復活のチャンスを与えるべきだと主張している。その通りである。日本人はつい敗者に同情しがちで、時にそれを美化さえする。しかし、それは間違いであり、負けは負けであると認識するところから、真の進化が始まる。サッカーのワールドカップ出場を逃した試合を「ドーハの悲劇」と言っているのが良い例である。

 一方で著者は弱者がどうしたら勝者になれるかについても考察している。「凡」から「非凡」を引き出す魔術といった思わず読んでみたくなるタイトルがついている。

 サッカーのゴールについて、「予定通りのことをしていてもゴールは奪えない。ゴールを想定してディフェンスの練習をするのだから、当然のことである」。ではどうしたら、ゴールが奪えるのかと言えばアイデアと決断力だという。言われたことをこなすことが身に付いた諸君には耳が痛い話だろう。

 中にはこんな言葉がある。「勝負師とギャンブラーの違いがここにある。ギャンブラーは運を天に任せるが、勝負師は最後まで自分で運を仕切ろうとする」。最高の言葉ではないか。みんなにも自分の将来は自分で仕切る人間になってほしい。

 そんな彼が、さんざん勝負に勝つ方法について語りながら、「ゲームの勝者が人生の勝者とは限らない」と言っているところがまた良い。

(2007年6月7日掲載)

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First drafted 2007 June 7.



『99.9%は仮説』 竹内 薫 著 2006年 光文社新書 735円(税込)
『フラット化する世界』 (上下巻) トーマス・フリードマン 著
  2006年 日本経済新聞社 1,995円(税込)


世の中を広く深く理解するための入門書

<評者>
関根 泰
(せきね・やすし)
理工学術院准教授
2007年4月嘱任
担当科目名:物理化学1、触媒化学Aなど
専門分野:環境・エネルギー工学 触媒化学 放電化学

 大学は専攻について深く学び極める場であるが、一方で俯瞰的視野を失い専門の周辺領域が見えにくくなり、世俗の事象の本質を見失う学生がいる。また昨今、Network/Webの発達で、学生はBlogやSNS、携帯電話でのメールなどに割く時間が多いものの、成書をじっくり読む時間が著しく少ないと感じられる。電車の中など至る所で携帯電話や漫画を手にしている姿は、知識人・常識人たる早稲田生には相応しくない。物事の本質をバランスよく考えるために、空いた時間があれば少しでも多くの書を手にとってほしい。あまり本を読み慣れていない学生にぜひ読んでほしい二つの入門書をお薦めする。

 一つはテレビでもお馴染みの竹内薫さんの『99.9%は仮説』(光文社新書)である。「飛行機が飛ぶ理由は科学では解明されていない」、「マイナスイオンの効能は科学的にはかなり怪しい」など、とりわけ日ごろ科学から遠ざかっている文系学生にとっては目から鱗の内容であろう。ちなみに、この著者はそれこそInternet上で科学に関して多様な視点からBlogを執筆しているが、余裕があればこの成書とBlogを読み比べてみてほしい。成書を一冊読むことで、あまた記載のあるBlogの内容を包含していることに気付き、Blogは校正前の草稿のようなものであり、成書はその完成系であることに気付くであろう。

 もう一冊はピュリッツアー賞受賞作家であるトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』上下巻(日本経済新聞社)である。世界経済とテクノロジー、ビジネスモデルの収束が手に取るようにわかる素晴らしい一冊である。わが無資源国日本が世界と対峙するにはヒューマンリソースの利活用以外になく、いかに考え行動するかが次世代日本の在り方を決めるであろう。いずれもベストセラーであるため容易に入手可能である。共にぜひ一読を。

(2007年5月31日掲載)

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First drafted 2007 May 31.



『深夜特急』1〜6 沢木 耕太郎 著
1994年 新潮社  420円(税込)


ミッドナイト・エクスプレスに乗り遅れるな

<評者>
広瀬 統一
(ひろせ・のりかず)
スポーツ科学学術院客員講師
2006年4月嘱任
専門科目:アスレティックトレーニング論、コンディショニング指導実習など

 「持っている金をかき集め、デリーからロンドンまで乗り合いバスで旅をする」。そんな気持ちになることが時にあるかも知れない。程度こそ違えど、そんな酔狂なことをしてみたくなることがあっても良い。しかしそれを実践するとなれば相当な勢いが必要だろう。そんな勢いを自分もどこかで持っていたいと感じさせる一冊である。

 この小説を初めて読んだのは24歳のころである。自分がやっていること、やろうとしていることに、どこかで不透明さを感じていた。そんなタイミングで出合った一冊に、自分がやっていることを突き詰める道を後押しされた。今から思えば、その時すでに答えは出ていたような気がする。ただそれを正当化する何かが欲しかっただけだったのかも知れないが。

 学生の諸君には自分がやっていることに不安を感じたときや、これから行おうとすることに躊躇したときにぜひ読んでみてほしい。どんなことでも、それをやりきったときには何らかの結果がでる。やらずに結果を愁うより、やりきって結果を受け入れる方がよほど次の発展につながるというものだ。ぜひ一歩目を踏み出す勢いを持ち続けてほしい。

 さらにこの小説の結末が、若者の無謀さ加減が出ていて良い。計算なしで、とりあえずやってみることの過程に得た素晴らしい数々の経験。それこそが結果の如何にかえがたいものであることを感じさせるだろう。ぜひ6冊、読破してもらいたい。

注釈> ミッドナイト・エクスプレス(深夜特急)とは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの隠語で、脱獄することをミッドナイト・エクスプレスに乗る、といったそうだ。

(2007年5月24日掲載)

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First drafted 2007 May 24.



『ことばと国家』 田中 克彦 著
1981年 岩波新書 735円(税込)


国語とは陸海軍を そなえた方言

<評者>
岡田 正則
(おかだ・まさのり)
大学院法務研究科教授
2006年4月嘱任
担当科目:行政過程論、行政法総合ほか 専門分野:行政法

 おそらくいつの時代でも、どこの地域でも、言葉づかいは人々の悩みの種であったに違いない。約30年前の学生時代、私も、「田舎者」といった否定的なレッテルを貼られないようにするために標準語を身に付け、あるいは性別役割や上下関係を演じるために、それに応じた言葉を操ることに腐心していた。そして、このような日常の言葉づかいの中に「権力」の問題が潜んでいることを認識したのは、大学院で研究を始めた後のことであった。

 当時私は、20世紀前半のドイツ公法学を研究対象としていた。そこではしばしば、法が妥当する前提条件として「共同体」が存在するという論理が用いられていた。そのひとつの淵源が「言語共同体」論にあるらしいことも分かってきた。本書に出合ったのは、ちょうどそのころである。母語と母国語の違い、言葉が変化することの社会的意味、近代国家における「国語」の創出(表題の箴言はこの脈絡で出てくる)、少数者に対する言語的圧殺とこれに対する抵抗など、本書を読み進むうちに、言語と法との構造的類似性を意識するようになった。また同時に、自分の言葉を持つこと、一人ひとりのかけがえのなさを理解すること、真の意味で分かり合うことの大切さも学んだように思う。ソシュールと構造言語学、フレーゲやヴィトゲンシュタインと分析哲学、ロシアや東欧の言語学とマルクス主義を上記のような問題意識から視野に入れることができたのも、本書のおかげである。

 以上のように、人間関係に絡みついているイヤラシさ、あるいは日常生活に潜む「権力」の問題を深く考えたいと思った時に、本書は何らかの指針を与えてくれるだろう。同じ著者の『言語からみた民族と国家』 (岩波現代文庫、2001年)やいくつかの新書もお薦めできる。

(2007年5月17日掲載)

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First drafted 2007 May 17.



『新幹線をつくった男 島秀雄物語』 高橋 団吉著
小学館 2000年 1,890円(税込)


真の「創造」とは?

<評者>
前原 文明
(まえはら・ふみあき)
理工学術院准教授
2006年4月嘱任
担当科目:情報理論、信号処理、情報ネットワーク
専門分野:無線信号処理

  本書は、高度経済成長を見越して、高速輸送に対する拙速な要求があった昭和30年代初頭、国鉄の技術者「島秀雄」が、鉄道による高速輸送を夢見て、新幹線建設という一大プロジェクトのリーダーとして奔走する姿を描いている。

 新幹線実現に向けての最初の難題は、線路幅の狭い既存の狭軌とは独立した、より幅の広い標準軌の線路を建設しなければならないことであった。そこには技術的な問題だけでなく、政治・財政的な問題が立ちはだかり、その判断に多くの時間を要する状況となっていた。このような困難な状況においても彼は与えられた条件で考え得るあらゆる技術課題を克服し、それを積み上げてゆく。すなわち、既存の狭軌において最高速の列車の開発を推進する。新幹線建設のゴーサインが出たときには既に標準軌で想定される技術的な問題点の多くを解決していたとのことである。これは狭軌の方が標準軌よりも技術的難易度が高く、狭軌における、より厳しい最高速への挑戦が標準軌での実現に活かされるという彼の卓越した先見性によるものであった。彼はこれを「たまたま条件が整って完成できた。既存の技術を活かして、現場の創意工夫によって完成したのであって、自分は技師長として、それらをまとめ上げたに過ぎない」と語る。

 時代の大きな変化は、ややもすると「既存」という言葉を遠ざけ、「創造」や「ブレークスルー」を求める。しかし、真の「創造」とは、これまで、先人の築き上げてきた貴重な知見に対する深い理解と敬意、そして、それらの知見を地道に集積していくことに他ならないと再認識させられる。本書は、いろいろな意味において変化の大きい現代において、物事へのアプローチの正攻法を与えてくれる一冊である。

(2007年5月10日掲載)

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First drafted 2007 May 10.



映画『リバー・ランズ・スルー・イット』
2,500円(税込み) ジェネオン エンタテインメント


忙しい毎日から 少し離れてみたいときに

<評者>
菊地 恵太
(きくち・けいた)
国際教養学術院客員講師
2006年4月嘱任
担当科目:English Plus, English Support, First Year Seminar(国際教養学部)留学への英語(オープン教育) 専門分野:英語教育

 東京生まれ、東京育ちの僕にとってこの映画はいつもほっとしたいときに見る映画といえる。皆さんは、ふと近所の川にぼーっと歩きに行ったりしますか。東京都内でも奥多摩などの散策はとても気持ちいいものだ。この映画をみたら、なんか川を見に行きたい…そんな気分になってしまうかもしれない。

 1900年代前半のアメリカ・モンタナ。この映画は、とても伝統的な家庭に育った、エリート大学の大学院を卒業し、そしてシカゴ大学の教員になっていく兄ノーマンと、自由奔放な性格で新聞記者になっていく弟ポールの兄弟の生き様をモンタナの自然をたっぷりと見せながら鮮やかに描いている。この兄弟が、父親や友人たちと子ども時代から大人になっていくまで雄大な自然に囲まれた川で何度もフライフィッシングに出かけていく。森を流れる川のせせらぎなど見ている僕らもモンタナの自然の美しさに引き込まれてしまうであろう。ICカード決済がはやったり、辺りを見渡すとたくさんの人たちが携帯電話のスクリーンをじっと見ていたり…。電車、新幹線、飛行機などない時代を描くこの映画を見ているとそんな現代生活から本当にかけ離れたような世界にどっぷりつかることができるかもしれない。今、ちょうど見終わったところでこの原稿を書いているが、青春って何かなってあらためて考えてしまう。ブラッド・ピットの初期の作品としても有名なこの映画は、ぜひ大学生の皆さんに見ていただきたいちょっと懐かしい映画である。

 また、時々どうやって英語を学んだらいいですかという質問を受けるが、この映画の英語はそれほど難しくなく英語の勉強としてもおすすめである。DVDで日本語字幕・英語字幕を駆使しながらゆっくりと味わってみてほしい。

(2007年4月26日掲載)

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First drafted 2007 April 26.



『富の未来』(上下巻)
アルビン・トフラー ハイジ・トフラー著 山岡洋一訳
2006年 講談社 1,995円(税込み)


今、何故こんな事件が起きるのか?

<評者>
奥山章雄
(おくやま・あきお)
会計研究科
客員教授(専任扱い)
2006年4月嘱任
専門分野:会計監査

 現在、新聞などを見ていると、ある日突然にドカッと記事が出て、その問題が次々と広がっていくという構図が多い。本当に今の世の中、そんなに事件が多いのだろうか。マスメディアの一人相撲ではないのかとの疑問が去らなかったが、この本を見てあらためて、世の中は大変になっているのだと感じた。それも新聞などによる見かけの現象よりもっと底辺で、大きな変化が起きているのだ。 

 しかし、アルビン・トフラーという著者には驚かされる。ずっと以前に『パワーシフト』という本でガツンとやられたが、今回の『富の未来』でも私の想像外の発想が大胆に述べられている。彼は決して経済学者でもエコノミストでもない。それなのに何という分析力、組み立て力の持ち主なのだろうか。世界のあらゆる現象(もちろん日本を含めて)を総合的に分析し組み立てていく論の進め方は圧倒的な迫力である。本の中から若干、その迫力を紹介しよう。

 「企業と経済の動きが大量に報じられていながら、何よりも重要な動き〈富の歴史的な変化〉が見失われている。」、「革命的な富は、金銭で計られるものではない。目に見えない富がある。富の変化はまだ完全には現れていない。この半世紀の動きは始まりに過ぎない。変化は加速していく。」、「何の意味もないように見える無数の変化と衝突、今、荒れて狂っている変化と衝突は実に一貫した意味がある。」 

 どうやらわれわれは、目に見える現象に驚かされることなく、今目に見えない根底から起こりつつある変化を認識し、その変化を恐れず、積極的に受け止めて対応していくことが求められているようである。

 さあ、マスメディアとは別の次元で現象を分析してみよう。

(2007年4月19日掲載)

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First drafted 2007 April 19.



『エンデュアランス号漂流記』
 アーネスト・シャクルトン 著 木村義昌/谷口善也 訳
 2003年 中央公論新社 820円(税込)


絶望からの脱出

<評者>
大島 洋
(おおしま・よう)
商学学術院
客員教授(専任扱い)
2006年4月嘱任
担当科目:人材・組織・リーダーシップ
専門分野:経営学(経営組織論、リーダーシップ論)

  南極へ向かう途中、船ごと氷の中に閉じ込められてしまった。10カ月間、氷の中で耐え抜いた挙句、結局船は破砕され、沈没してしまう。そこにあるのは、救命用の手漕ぎボートだけだ。

 あなたがこの船に乗っていたら、どうするだろうか。しかも、あなたが、27人の乗員を率いるリーダーの立場にあったとしたら、さらに、それが今から100年近い昔、1915年の出来事だったとしたら、あなたはこの困難に、どのように立ち向かっていくだろうか。

 船の沈没からさらに9カ月後、この船の乗員全員が奇跡の生還を遂げる。本書は、世界初の南極点到達からわずか3年後、世界初の南極横断を目指した冒険隊の隊長シャクルトンによる挫折と漂流の記録である。

 予想をはるかに越える困難が襲い、絶望の崖っぷちに立たされる中、そこから脱出するために必要な力とは何か。極限の状況の中、争いを回避し、誰ひとり脱落することなくチーム全員が生き残るために、リーダーが果たすべき役割は何か。そもそも人間の忍耐を支えるものは何か。困難にひるまず現実的な楽観主義を維持するためのエネルギーの源泉は何か。

 これらの疑問に、シャクルトンは、直接答えてはくれない。しかし、自分をシャクルトンの立場において、この冒険を自分事として考えれば考えるほど、本書は、単なる冒険記としての枠組みを越え、自己の内面に潜む、自分自身の答えを導くための道標となってくれる。

 時代が異なり、形は変わっても、人生には必ず予期せぬ困難が待ち受けている。そうした困難に遭遇した時こそ、自己の生きる意味が問われる決定的瞬間だ。専攻分野を問わず、これから社会の荒波の中に飛び込んでいく学生の皆さんに、お薦めの一冊である。

(2007年4月12日掲載)

Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2007 April 12.