OB・OGインタビュー

フィギュアスケート選手
村主章枝さん


 創立125周年を迎える記念すべき年のOB・OGインタビュー。今回ご登場いただくのは、ご存じフィギュアスケート選手の村主章枝さんだ。スケート、勉学、そして人生に真摯に向き合う村主さんの今までとこれからについて、お話を伺った。

村主章枝さん
村主章枝(すぐり・ふみえ)
1980年生まれ。2003年、早稲田大学教育学部卒業。
1997年に全日本フィギュアスケート選手権大会で初優勝を遂げ、以後2006年までの間で同大会において通算5回の優勝、9回のメダル獲得。02年および03年に世界フィギュア選手権大会で銅メダル、04年にグランプリファイナルで日本人初優勝など、数々の成績を修める。オリンピックには現在までに2度出場し、02年のソルトレーク大会では5位に入賞、06年のトリノ大会では4位に入賞した。エイベックス所属。
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練習の楽しさから 競技としての面白さへ

 スケートを始めたのは5歳のころです。両親の仕事の関係で米国のアラスカ州に住んでいたとき、「何かアラスカの思い出が残るように」と母に勧められて習うようになりました。あまり当時のことは覚えていませんが、ジャンプやスピンなど難しい技術が多かったので、それに挑戦してできるようになっていくことが面白かったですね。

 18歳のころ、現コーチである佐藤信夫先生に習い始めたのがきっかけで、スケートの奥深さや面白さをより一層感じるようになりました。「ただジャンプが飛べる」などという技術をこなすだけではなく、「演技をする上で何を表すか」という“表現する”楽しさに魅せられていったんです。

 また、滑る楽しさと同時に競技としての面白さも覚えました。フィギュアスケートはどんなに練習しても、最後は心理状態に左右される部分が大きいんですよ。心にゆとりがないと結果が出ず、逆に周りが見えている状態のときの方がうまくいったりする。そういった奥深さが、競技としてのスケートにはありますね。

 もちろん佐藤先生には、技術の向上はもとより、人としてどうあるべきかということなども教えていただきました。先生との出会いで一番大きかったのはそこかもしれませんね。

「壁にぶち当たる」のも、 きっと意味がある

 長野五輪の時はけがをしていたこともあって、「代表落ちしたのも仕方ない」という思いもありました。でもやはりオリンピックが近づくに従って国内が盛り上がってくると、「自国開催でのオリンピックに出られず、大きなチャンスを逃してしまった!」という自分自身への怒りがこみ上げてきましたね。でも、そのときの思いが結果としてソルトレークにつながったと思うんです。

 何か壁にぶちあたるときは、「そこから何かを学びなさい」という何らかの意味がきっとあるのだと私は思います。それは、困難な状況を受け入れて次にどうしたらいいか考えることだったり、自分のこういうところがいけなかったと反省することだったり。困難な状況はそういったことを学ぶ良いチャンスだと思うので、その機会を無駄にしてはいけないと思うんです。

 ソルトレーク五輪で選ばれたのも、長野五輪のことを乗り越えた次の段階として「今度はソルトレークではこういうことを学びなさい」という意味があったと思うんですよ。「その場所で学びなさい」というように、それぞれの人生は違うふうにプランされているのだと思います。私にとってはそれがたまたまスケートでしたが、ほかの人にとってはそれが学問かもしれないし、就職かもしれない。そういう意味で考えると、私にとってスケートとは、たぶん人生の勉強をすることなんですね。つまり、人生を生きていく上での一つの材料に過ぎないんだと思いますよ。

勉強も頑張った 早稲田大学時代

村主章枝さん
「感謝」

 もともと大学進学を決意したのは、元フィギュアスケート選手の八木沼純子さん(教育学部卒)が学業とスケートを両立されているのにあこがれた部分も大きかったんです。それにスケートをしていると国際社会に出て行くことが多いので、教養の身についたスケーターになりたいという思いもありました。ですから、大学では勉学に熱心に取り組みました。

 早稲田大学は大きい大学なので、放任の部分もありますよね。自分の意思や目標が明確にないとなんとなく時が過ぎてしまい、学生生活がつらくなると思います。逆に、大学の勉強は真剣にやろうと思ったら、どこまでも深く学べるのだということも実感しました。

 そんな感じで、大学時代は学校の勉強とスケートだけで手一杯だったので、学生生活自体はあまり楽しめませんでした。友だちをたくさんつくれたわけでもないし、学校と家と練習場を行き来して終わることが多かったですね。「スケートに没頭すれば、いわゆる大学生活の青春は送れないだろう」と思いましたが、それでも自分には大好きなスケートがあるのだし、応援してくれる人もいるのだからと、スケートを選んだんです。やはり学生生活とスケート、両方とることは無理でしたから。

 ただ、大学を出てから早稲田のつながりを強く感じるようになりました。海外に行けば手を差し伸べてくださる校友がいたり、地方に行けば稲門会の方がお花をくださったり…。学生時代にそういう人との交流をもっと大切にしていれば、今の環境はだいぶ違ったのかな、とも思います。その場にいた時には気づかなかったのですが、大学を離れた今、そのありがたみや大切さが分かるようになりました。これからは早稲田の一卒業生として、こういう立場の自分だからこそ何か母校や校友に協力できることがあるといいな、と考えています。

スケートを通して、支えてくれた 人に感謝の気持ちを返したい

 今は、日本にいるときは“ひたすらスケート”の毎日です。あとは、人間が最低限しなければいけない「寝る」とか「食べる」とかをして生きているという感じですね(笑)。中学のころからそんな感じの生活が続いています。でも、スケートが本当に大好きなので、嫌になることはないんですよ。

 こうして続けてこられたのも、両親の支えがあったからです。また、妹(村主千香さん)も同じ競技をやっていたので、昔から仲が良く、一緒にいることが多いんです(※この日の取材でも千香さんが同席)。競技に関して私が彼女にアドバイスをすることもあるし、同じことをやっていても視点によって違う部分もあり、参考になることも多いですね。仲の良い姉妹に育ててくれた両親に、本当に感謝しています。

 もちろん、ファンの方々のサポートにもかなり支えられてきました。観に来てくれる方がいて、初めてフィギュアスケートという競技は成り立ちます。お客さんとの触れ合いがスケートの魅力ですね。私はそんな風に、いろんな人の支えでスケートをやらせてもらっているので、今度は私がスケートを通して社会貢献をしたいと考えています。たとえばチャリティーなどをすることもその一つだと思いますし、演技することで少しでも楽しんで帰っていただきたいという思いもあります。「演技で希望を与える」というほど私は偉くないので、せめて少しでも楽しんで帰ってもらえたら…という思いで滑っています!

「大切なもの」は、それぞれの 人生で平等に与えられている

 学生の青春時代は短いので、それを“楽しむ”人もいれば、“頑張る”人もいると思います。早稲田に通っている後輩の皆さんにも、「こうしたい」と思うものを大事にして、学生時代の一瞬一瞬を大切にしてほしいですね。

 例えば、やりたいことが何もないと思うのなら、何でもやってみるといいと思います。そうすれば、どう動いたらいいか分かってくるのではないでしょうか。あるいは、やりたいことが訪れるのを待つのも一つの手です。待つのって大変なことで、待つ勇気、待てる心のゆとりが必要になってきますよね。でも、いつ訪れるかの違いで、その人にとって大切なのものはそれぞれの人生の中で平等に与えられているのだと私は思います。それが何なのかを見つけて、悔いのない学生生活を送れるよう、お祈りしています!

(2007年7月19日掲載)

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First drafted 2007 July 19.