先輩に乾杯!

初監督作品が天草映画祭「風の賞」を受賞した
山本 草介さん


 出会いは人だけとは限らない。土地や風土との出会いもある。構想から実に13年もの歳月をかけて生まれた初監督作品『もんしぇん』。大学時代から映画監督を目指していた山本さんにお話を聞いた。

山本 草介さん
やまもと・そうすけ
 1976年東京葛飾生まれ。教育学部卒。映画サークル「サイドヴァーグ」に所属。在学中から8mm自主映画を撮影し始め、3年生の時に制作した『ダイダイバイセコー』が早稲田映画祭で第11回グランプリ、東京学生映画祭第3位、神奈川映像コンクール優秀賞を受賞。井口奈己、佐藤真、東陽一、ペドロ・コスタなどの映画監督作品に演出助手として参加。現在はテレビドキュメンタリーやドラマの演出をしながら、新作映画を準備中。

  子どものころから映画が大好きだった。中学、高校生時代は、映画館通いをしていた。早稲田に入学して、どのサークルに入るか悩んだ。「いろいろ見ている時に、小さな映画サークル『サイドヴァーグ』に出会ったんです」。先輩が作った映画の面白さにもひかれたし、他のサークルでは感じられなかった「映画で食べて行くんだ」という真剣なその姿勢にも心を打たれた。自分の居場所はここしかないと思った。

3年時で制作した8mm映画が早稲田映画祭でグランプリを受賞

 山本さんの映画制作にはこだわりがあった。他の学生がアルバイトなどで制作費を捻出するのに、山本さんはスポンサーを見つけることに執着した。「実際の映画制作では、スポンサー探しも仕事のうちでしょう?」。親戚、友人、高校時代の恩師…。出演者も高校の同級生にノーギャラで頼んだ。テンポの遅い大学生が自分と一緒に自転車に乗ってくれる女性を探す『ダイダイバイセコー』を3年生の時に発表。約1年間、90万円をかけての大作だった。その映画が、早稲田映画祭でグランプリ、神奈川映像コンクール優秀賞などを受賞。審査員の原一男監督に「あなたは商業映画を撮るべき」と言われ、初めてその気になる。

キューバの映画専門学校への留学に失敗して

 だから、就職活動はしなかった。卒業後の進路は決めていた。キューバにあるハバナ国際映画テレビ学校への留学だ。当時、授業料は無料。英語論文さえクリアすればよかった。だが結果は不合格。そこで日雇い労働をやりながら、佐藤真、ペドロ・コスタの演出助手を務める。また東陽一監督の映画『風音』の助監督をするチャンスにも恵まれた。そんな中で出会ったのが、やがて映画『もんしぇん』の主人公となる玉井夕海だった。

ロケハンから生活者へ、何のための映画づくりか

  1993年以来、天草を舞台にした映画の構想を温めていたのは、玉井さんだった。2000年の秋、山本さんは玉井さんらと天草を訪れる。御所浦町の人々の懐の深さと、ゆったりとした時間の流れにすぐに魅了された。映画を撮るならここだと直感した。「月の満ち欠け、潮の満ち引きが生活のリズム。最近まで『太陰暦』が使われていた所だったんです」

  映画の話を住民にもちかけると「なぜ映画を撮りたいの?」という素朴な疑問を投げかけられた。「自分は何のために映画を撮るのか。そこまで突き詰めて考えたのは初めてでした」と山本さんは振り返る。ロケハンで訪れたはずの山本さんと玉井さんは、やがて天草と東京を行き来することに。そして小さな資料館の臨時職員などをしながら町の人々と交流を深め、天草の風土に馴染んでいった。

  2005年に入ると、近藤正臣らのキャストが決まり、町の人たちにも重要な役で出演してもらうことに。4月にようやくクランクイン。撮影期間、21日間という商業映画の厳しい制約の下、何とか撮り終えた。

涙を流して喜んでくれた天草の人々、そして次回作

 出演者やロケ地を提供してくれた天草に感謝を込めて、御所浦町で完成披露試写会が行われた。新しい命を宿した若い娘がふと訪れた天草の島で自然に抱かれて過ごす日々。それはまさに天草のたゆとう海そのものを描いた作品だった。「こんな風に海を見たのは初めて」と静かに涙する老婆の言葉に、山本さんは映画監督としての手応えをひしひしと感じたという。

  次回作は、少年時代を過ごした葛飾が舞台。既にストーリーはほぼ出来上がっている。脚本執筆に、プロデューサー、スポンサー探し。ハードルは高いが、映画の世界で生きていく覚悟はできている。

【URL】http://www.cine.co.jp/monshen/official/04kantoku/index.php

(2007年6月7日掲載)

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First drafted 2007 June 7.