薦!

2006年度後期分 目次





『夢さがしーこうして私は自分と出会ったー』菅原 亜樹子 編著
2005年 芸文社 1,575円(税込)


<評者>
吉永 武史
(よしなが・たけし)
スポーツ科学学術院専任講師
2006年4月嘱任
担当科目:スポーツ教授学・スポーツ授業指導実習(授業デザイン)ほか
専門分野:体育科教育学

 2006年度の学生生活調査報告書(早稲田大学学生部発行)によれば、学部学生の69.8%が卒業後の希望進路を決定するのは「大学に入ってから」であるという。1997年の就職協定の廃止以降、大学生の就職活動の早期化傾向が強まり、近年では、3年生の秋頃から希望企業への資料請求やエントリー、さらに会社説明会やセミナーへの参加が活発化するようになっている。

 そのような社会的情勢もあり、大学入学期からキャリアプランの設定作業に着手し、極めて早い段階でその実現に向けての取り組みを開始することが求められている。しかし、これは決して容易なことではない。幼少のころは「スポーツ選手」や「食べ物屋さん」といった夢を嬉嬉として語ることができたが、いざ現実社会を目前にしたときに将来のビジョンがなかなか見えないのが実情であろう。

 人の数だけ生き方がある。皆が同じ道を進んでいくことは決してない。自己実現の方法はまさに多様である。そのことを十分に感じさせてくれるのが、この本である。

 この本では、演出家やキャスター、コンサルタント、研究者、起業家、国連職員などの16人が、夢を実現していく過程で何を考え、何を経験してきたのかが語られている。とりわけ印象的だったのが、起業家の船橋力氏の「本当にやりたいことを探しているのなら、自分でそれを作ってしまえばいい。何をするにも答えは一つではない」という言葉である。どちらに進むべきか選択できず時間だけが過ぎてしまうよりも、まずは主体的に行動することの大切さを教えてくれる。 

 目標が見つからず、進路選択に迷い、将来に不安を感じている。そのようなときこの本を開くと、自らの進むべき道を選ぶヒントが見つかるかもしれない。

(2007年1月18日掲載)

Copyright (C) 2007 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2007 January 18.



『松岡正剛の千夜千冊』 松岡 正剛 著
【URL】http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0001.html


<評者>
小林 宏一
(こばやし・こういち)
政治経済学術院客員教授(専任扱い)
2006年4月嘱任
専門分野:情報メディア論

  講義の折、参考文献を紹介しながらも、「どれくらいの諸君が、実際に紐解いてくれるか」と空しい気持ちを抱くことがある。グーグルや Wikipediaで入手した情報をアレンジすれば、日ごろの学習課題を難なくこなせる今日、なぜわざわざ分厚い本を読まねばならないだろうと訝る向きもあろう。

 しかし、本というものが「水や空気」のように遍在し得なくなった環境の下で、人々が抱く強い欠乏感とひそかにそれを癒すことの快楽は、レイ・ブラッドベリ著『華氏451度』(早川文庫で入手可)、あるいは昨秋刊行されたアーザル・ナフィーシー著『テヘランでロリータを読む』(白水社)等の著作からもうかがえるはずだ。

 ここで紹介する『松岡正剛の千夜千冊』は、「編集」をキーワードとして「超人的」ともいえる文化活動を長年にわたり展開してきた松岡正剛氏が、2000年2月に開始したインターネット読書録であり、第1冊目の中谷宇吉郎の『雪』から数えて、昨年の12月時点で、1,163冊(夜)に達している。

 「何か」についての解釈・批判・敷衍といった「引用」行為の無限の連鎖(リンク!)で充満し、他ならぬ「何か」そのものへの遡行がおろそかになっている今日、松岡氏が、千余冊の「何か」と格闘(というより、読書録からは「至福の時を紡ぎ出している」という感興が伝わってくるのだが)しつつ、「セイゴウ・ワールド」を日々再構成しているさまを見るとき、幸いにも「水や空気」のように本が遍在し得ている中で享受できるせっかくの「贅沢」を、私たちが進んで放棄していることに否応なく気付かされるのである。さあ、早速、『華氏451度』をとりあげた第百十夜あたりからいかが。

(2007年1月11日掲載)

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First drafted 2007 January 11.



『いちご同盟』 三田 誠広 著
集英社文庫 1991年 410円(税込)


いちご、苺、一五、一期…

<評者>
浦野 道雄
(うらの・みちお)
高等学院教諭
2006年4月嘱任
担当科目:数学
専門分野:非線形偏微分方程式

  私が中学3年生の時に出会った本である。登場人物が、当時の私と同じ15歳だったせいもあり、その内容に強い衝撃を受けた。

 物語は、主人公である15歳の良一が、同じく15歳の徹也、直美と出会うところから始まる。主人公の良一は、自分の将来に思い悩み、自殺まで考えたことのある少年だ。徹也は野球部のエースで四番、学校中の人気者である。その徹也が、不治の病で入院している幼なじみの直美と良一を引き合わせる。徹也は直美を元気付けたいのだが、自分の性格では、病床に臥している直美の本当の気持ちを分かってあげられないと思い悩む。そこで、全く性格の異なる良一に協力を依頼したのである。徹也は、密かに思いを寄せている直美が良一に惹かれていく様子に複雑な感情を抱くも、直美の本当の幸せを心から願っている。

 良一は自殺を考えていたとはいえ、彼にとっての死とは観念的なものだった。決してリアルなものではない。しかし、直美にとってのそれは違う。「自殺のことを考えるなんて贅沢だ」と直美に言われた良一は、自分にとっての死とは何かを再考することで、自分自身と正面から向き合い、そして、ある種の結論に到達する。

 彼らは、わずか15歳という年齢で死を受け止め、その中で友情や愛情を育み、そして大人へ近づいていく。

 この本は、ひとつの純愛物語としても素晴らしいが、その枠に収まりきるものではない。もちろん、思春期の気持ちを思い出したいとき、感動したいとき、そんなときに読むのもいい。しかし、今の自分を見つめ直したいとき、目標を見失いそうなときに読むのにもいいだろう。何度読んでも、読む度に、私やあなたの心をひとまわり大きくしてくれる本である。

(2006年12月7日掲載)

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First drafted 2006 December 7.



『誰のためのデザイン?― 認知科学者のデザイン原論』
ドナルド・A・ノーマン(著)、野島 久雄(翻訳)
新曜社 1990年 3,465円(税込)


<評者>
東 玲奈
(あづま・れいな)
国際教養学術院客員講師(専任扱い)
2006年4月嘱任
担当科目:Introduction to Psychology, Cognitive Psychology, Biological Psychology, Seminar on Mind & Body, etc.
専門分野:認知脳神経科学

 新学期が始まり、新しい教室に行くといつも困ること、それは設備の使い勝手がよく分からないこと。スクリーンの上げ下ろしや、入力切替、マイクの音量調節のための制御装置が見つからずにうろうろし、ついにはヘルプデスクに戻って助けを求めることさえあった。どれが教壇の電気かも、ラベルがなければ分からない。

 心理学に「アフォーダンス」という概念がある。これは、「モノ」にはそれをどのように扱うかについて人間に働きかける性質がある、という考えで、1950年代にアメリカのジェームズ・ギブソンが提唱し、後にドナルド・ノーマンがインターフェイス・デザインの観点から再定義した。例えば、紙には、何か書いたり、くしゃくしゃと丸めたり、折ったりといった行動を促す「アフォーダンス」があり、ボールには掴んで投げたくなるような「アフォーダンス」があるわけだ。

 ノーマンは、「アフォーダンス」を設計に生かすことで、いかに使いやすいモノが作れるか、また逆に、無視することで、いかに使いにくく、時には危険にもなりうるモノができるか、について語る。押すべきドアを引いてしまったり、蛇口を締めようとして逆にほとばしり出る水にぬれてしまったりするのは、それらのモノが取るべきと逆の行動を「アフォード」しているからなのだ。

 大学1年生の時にこの本と出合ったことが、私が認知心理学に関心を持つきっかけとなった。そして現在は、教室前方の電気を学期末になっても一度で消せず、パチパチやってしまうのは、アフォーダンスを考慮しないデザインが悪い、と開き直れるようになった。この本を読んで見渡してみると、身近なモノの「声」が聞こえるようになるのではないだろうか。

(2006年11月30日掲載)

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First drafted 2006 November 30.



『天才はなぜ生まれるか』正高 信男 著
2004年 筑摩書房 714円(税込)


心の赴くままに

<評者>
渡邊 公夫
(わたなべ・きみお)
教育・総合科学学術院教授
2006年4月嘱任
専門分野: 数学科教育法(数学教育学)

 やっぱり捏造であった。エジソンの母親に教師の経験などない。それは彼が学校へ行かなくてもよかったことを正当化するための口実であった。たった3カ月だけの小学校生活で発明王と呼ばれる天才になった。「『これはまずい』と判断したに違いない」とは著者の分析である。子ども向けの伝記には不自然な脚色が多い。野口英世の伝記を子どもに読み聞かせた時もそんな印象を抱いた。

 数学を志してから数学の分野に限らず「天才」と呼ばれる人物に興味があった。古くは、書庫に宮城音弥の『天才』(岩波新書)がある。天才は頑張ったのだろうか。確かにそう見えるが、そうではなさそうだ。私は「頑張る」ということがどうも好きになれない。それは頑張ったら数学が分かる、あるいは納得できるというものではないからだ。また、他人の評価など気にしていたら、なおさらだ。

 この本では「学習障害を持って生きた6人の物語」が語られている。「劣っている面が存在するからこそ、それを代償しようと常になく他の能力が発揮される。すなわち、『障害があったにもかかわらず』ではなく、『障害があったからこそ』彼らは後世に名を残す仕事ができた」というのである。この視点の転換が「目から鱗」である。努力と根性にその原因を帰せしめるそんじょそこらの本とは一線を画している。

 「成功を遂げるにあたり、学校教育が何らかの貢献をしたケースが見当たらない」というあとがきは教育学部に籍をおく者にとって「耳の痛い、だが当然の」結論である。学校と才能は水と油なのかもしれない。そのような能力を培い、育むことはできないまでも遠くから見守ってやれるゆとりをもちたいと思う。

(2006年11月16日掲載)

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First drafted 2006 November 16.



『どくとるマンボウ青春記』 北 杜夫 著
1968年 中央公論新社
※現在は絶版。文庫本が新潮社から発売中(税込・540円)


人生の目的が 分からなくなったときに

<評者> 竹原 均 (たけはら・ひとし)
ファイナンス研究科教授
2006年4月嘱任
担当科目:コーポレートファイナンス,インベストメントトピックス

  中央高速の塩尻インターを過ぎて、 最初に左手に乗鞍岳、次に松本平を越えて北アルプスを眺めるとき、懐かしさがこみ上げる。故郷を離れて何年経っても、北アルプスの山々はいつも変わらず信州人を迎えてくれる。

 昭和43年初版の『どくとるマンボウ青春期』という古い本を取り上げたのは、その舞台の前半が私の故郷、信州松本であることもあるが、作家北杜夫の青春時代を綴った、この素敵なエッセイを読むことが、読者が大学生活とは何であるのかを問い直すきっかけとなればと考えたからである。

 終戦直後の旧制松本高校(現在の信州大学)思誠寮での生活は、まさに抱腹絶倒である。まず食糧調達に駆け回らなければならず、ノートも本もすべてが貴重品の状況でありながら、北杜夫は生命の危機的状況を楽しむかのように青春を謳歌する旧制高校生たちの姿を描く。周囲には奇妙奇天烈な教授と友人たち。そこで詩を作り、友と文学を語り合う。学生が大学に何を求め、大学は学生に何を与えられるかという問いに対する答えの一つがそこにある。

 特にこの本で私が好きな場面は、内面の心理的葛藤から、北杜夫が一人、徳本峠を越えて上高地へと向かうくだりである。そして北アルプス縦走後の「一陣の風が立って、数限りない黄葉の群を、あくまでも群青の秋空に吹きあげたりするのだった」という一文に接して以来、私も自身の歩む道に迷うとき、一人旅に出て自然の中にしばし佇むことにしている。

 誰も老いることから逃れることはできず、青春は一度限りである。不惑の年齢に達したときに、懐かしく思い出し、そして旧友と語り合える大学生活を過ごされることを期待する。

(2006年11月9日掲載)

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First drafted 2006 November 9.



『修養』 新渡戸 稲造 著
2002年 1,365円(税込)  たちばな出版


自分の生きたい人生を探る

<評者>
大河内 博
(おおこうち・ひろし)
理工学術院助教授
担当科目:環境地球化学、環境機器分析、環境保全工学概論、応用物理化学演習ほか
専門分野:大気・水圏環境化学

 自分の好きなことをやり、それで十分に食べることができ、かつそれが人の役に立つような人生を送れないものだろうか? そう考えている学生諸君は少なくないであろう。かく言う私もその一人である。では、その実現のためにはどうしたらよいのだろうか? 新渡戸稲造著『修養』は、そんな疑問に答えてくれる一冊である。

『修養』の原書は明治44年に出版されたが、昭和63年に著名な地球物理学者であった竹内均先生が現代風に再編集して、『いま自分のために何ができるか』(三笠書房)としても出版されている。

 社会に踏み出す一歩として悩むのが職業選択であろう。『修養』では、職業選択の第一は「好きか嫌いか、自分の性格が向いているかどうかで決めよ」と説いている。

 では、自分の嗜好が分からないとき、就きたい職業が自分の性格に向いているかどうか判断ができないときはどうするか。その時は、「最も自分をよく知っている友人、先輩、両親、教師に相談して決めよ。親切に観察してくれるなら教師が最良である」と説く。自分が好きで、自分の性格に向いている職業が見つかったなら、流行や給料の多少に惑わされずに邁進する覚悟が必要である。『修養』には、決意を持続させる方法、読書法、金・体力・知力・徳の貯蓄法などなど、自分の夢を実現させるための方法が具体的に書かれている。

 自分の人生に責任を持ち、自分の生きたい人生を探るのは自分しかいない。そのための道しるべとして『修養』の一読を勧めたい。また、残念ながら現在では中古本しか手に入らないが、『知的人生に贈る』(田中菊雄著・三笠書房)、『科学を志す人々へ』(石本巳四雄著・講談社学術文庫)も読んでもらいたい一冊である。理工学部生には後者は必読の書である。

(2006年11月2日掲載)

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First drafted 2006 November 2.



『やっぱり、和食かな。』 行正 り香 著
文化出版局 2005年  1,785円(税込)


料理が作る記憶

<評者>
横野 恵
(よこの・めぐむ)
社会科学総合学術院
専任講師
2006年4月嘱任
専門分野:医事法・英米法

 おびただしい数のコンビニエンスストアやファーストフード店がある今の日本で、手間も時間もかけずに食事を済ませるのは簡単なことだ。忙しい日常の中で私たちは、ややもすれば自分で料理を作ることを煩わしいと感じがちである。

  そんなときにキッチンに立ってみようという気持ちにさせてくれるのが、この本だ。紹介されているレシピはどれも簡単で失敗がない。手間をぎりぎりまで省いていながら和食としてちゃんと成立するのである。しかし、本書の魅力はそれだけではない。

  著者は言う。料理を作ることは「香り、味や見た目を含め、自分だけでなく、人のために大切な記憶を作ってあげる行為」にほかならない。顔の見える誰かが作ってくれた料理は、ただ食べ物として消費されるのではなく、記憶として心の中に残り続ける力をもっているのだと。広告代理店で忙しく働く著者(専業の料理研究家ではない)が料理を作り続ける理由はそこにある。

  大学生になってから、家族と離れて生活している人や、家族と同居していても一緒に食事をする機会がほとんどないという人も少なくないだろう。1人で簡単に済ませる食事でも食欲や栄養を満たすことはできるだろうし、食事に手間や時間をかけるのはもったいないという考え方もあるかもしれない。それでも、時には、家族や友人のために料理を作って、一緒に食卓を囲んでみてほしい。楽しい時間を過ごすことができれば、その記憶は自分にとっても一緒に食事をした人にとっても大切なものになるはずだ。

  自分や自分の身近な人のために、少しだけ時間を使って料理を作る心の余裕を持つことの大切さをこの本は教えてくれる。

(2006年10月26日掲載)

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First drafted 2006 October 26.



ザ・ビートルズ・アンソロジー DVD BOX
東芝EMI 2003年  15,750円(税込)


永遠の青春、ビートルズ

<評者>
池島 大策
(いけしま・たいさく)
国際教養学術院助教授
2006年4月嘱任
担当科目:International Law, Introduction to Inter-national Relations, Japan's Foreign Policy, etc.
専門分野:国際法

 「おいおい、ビートルズを知らないでロックを語るなよな」。中学に入りたての私に、級友たちのこの言葉はショックであった。「彼らの登場が自分の人生を変えた」(矢沢永吉)とまでは言わないが、私の場合、彼らは自分の青春の一こまを飾る永遠の存在である。

  ビートルズのナンバーは、いつ聴いても飽きない、つい鼻歌交じりに出てくる、誰もが知っているなどという意味で、すでに「クラシック」ともいえる。しかし、なんといってもジョン、ポール、ジョージとリンゴという、あの4人からなるザ・ビートルズの存在(その革新的な音楽、演奏、生き方、ファッションなど)がサイコーなのだ。それを視聴覚的に味わうには、このドキュメンタリー仕立てのアンソロジーが素晴らしい。全5巻のDVDセットは確かに重厚長大で結構な値段だが、貴重な映像とクリアな音質は非常に見応え、聞き応えがある。当時の時代背景をも醸し出す生々しいシーンと音声(回想・証言等を含む)は、彼らの神髄に触れる再発見を満載し、バンド結成から解散までを中心にした彼らの足跡には、若き4人の間の愛憎、悲喜、確執、嫉妬、不信感などの人間臭い青春群像までもが散りばめられている。

  なぜ20代そこそこの若造にあれほどのエネルギーがあったのだろうか。伝説の来日公演から今年で40年。愛や平和を歌う彼らは、個性、思想、文化であって、いまだに人々の価値観や世界観などにも大きな影響を及ぼしている。同時に、彼らの卓越した新鮮な存在感が、時空を超えて各自に青春のひと時を与えてくれる。このDVDは、10年足らずのビートルズの活動が、音楽というジャンルにはとどまらない世界的な文化遺産だということを教えてくれる。

(2006年10月19日掲載)

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First drafted 2006 October 19.



映画『カポーティ』
日比谷シャンテシネ、恵比寿ガーデンシネマほかにて公開中


「冷血」とは誰か

<評者> 花田 達朗(はなだ・たつろう)
教育・総合科学学術院教授
2006年4月嘱任
科目名:マスコミュニケーション論、ジャーナリズム概論

 作家(あるいは「知識人」やジャーナリスト)を信頼できると考えているあなたはこの映画をご覧になってはいかがであろうか。

  トルーマン・カポーティは米国の作家。1966年にベストセラーとなった『冷血』をノンフィクション・ノベルと彼は名付けた。従来ノベルはフィクションだと相場が決まっていた。しかし、この作品は1959年にカンザス州ホルカム村でクラッター一家4人が惨殺された実際の事件を取り扱ったものであり、フィクションではなかった。彼は新聞の小さな記事でその事件を知り、すぐに現地で綿密な取材を開始した。この作品には「私」という主語は登場せず、あたかもジャーナリストの報告のように書かれている。

  この「小説」が有名なのは、「ニュー・ジャーナリズム」の先がけとされる点にもある。ノンフィクションからすれば、物語る主体/主観が強すぎて、その点で「ニュー」だったのであり、ジャーナリズムのひとつの運動になった。

  この映画は、しかし、『冷血』の映画化ではなく、『冷血』を取材・執筆中のカポーティを主人公にした劇映画である。カポーティを演じたP・S・ホフマンはアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

  さて、この映画で描かれるのは何か。天才作家カポーティの孤独と苦悩と「非善良さ」である。それは犯人の一人、ペリーへの取材と彼との「交友」のなかに現れる。彼はペリーから惨殺のクライマックスシーンを聞き出すために交友を重ねたのか、ペリーとディックが絞首刑になって作品が完成し出版できることを待ち望んだのか。

  作品なり言説の秀逸とそれを産み出す人間の品性とは必ずしも一致しない。「冷血」とは自分のことを指していたのかもしれない。

(2006年10月12日掲載)

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First drafted 2006 October 12.



『科学革命の構造』 トーマス・クーン 著、中山 茂 訳
みすず書房 2,730円(税込)


専門とは何だろう

<評者>
武藤 泰明
(むとう・やすあき)
スポーツ科学学術院教授
2006年4月嘱任
専門分野:スポーツファイナンス

  大学も2年生になると、専門科目の割合が急に増えているはずである。ではそれで専門的な事柄について知識が増えるとか理解が進むかというと、なかなかそういう実感を持ちにくい。理系なら実験、文系なら演習に多くの時間を取られ、ものを考えるというより、一種作業者のような生活になる。こんなことで良かったのかという疑問に対して、良いのだと答えるのがこの本である。

  パラダイム(paradigm)という、もはや普通名詞になった言葉は、この本から始まる。典型的なパラダイムは、例えば地動説、天動説…などである。記載されているポイントをいくつか紹介すると、第一に、理論は理論をコトバで学ぶのではなく、練習問題を解くことによって体得するものである。つまり、実験や実習はパラダイムを体得する手段なのだということだ。体得してはじめて理論を理解できるようになる。社会人大学院の意義の一つもここにあるのだと言えるだろう。

  第二に、古いパラダイムは新しいパラダイムに置き換えられる。これは学問や社会のいわば進歩だが、新旧のパラダイムは並存し得る。例えば、天動説は初期の地動説より、天体の動きを正確に記述することができた。だから天動説は誤りであることが検証されて消えたのではないということである。また、われわれはまだ力学的に世界を見ており、その意味ではニュートンの世代であってアインシュタイン世代ではないということになるのだろう。パラダイムの交代には時間がかかる。進歩とは直線的ではないということでもあるし、今自分が学んでいるのはパラダイムであって事実ではないという認識を持つことも重要なのである。

(2006年10月5日掲載)

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First drafted 2006 October 5.



『天才の栄光と挫折―数学者列伝』藤原 正彦 著
新潮選書 価格1,155円(税込)


個性豊かに生きよう!

<評者>
香村 一夫
(かむら・かずお)
理工学術院教授
2006年4月嘱任
担当科目(専門分野):地圏環境学

 この本はニュートンほか9人の偉大な数学者を、藤原正彦という一数学者の目を通して紹介したものである。「天才」であるが故の孤独や苦悩、人間像を著者独特の筆致で描いている。その中で栄光が輝かしくあればあるほど、底知れぬ孤独や挫折や失意にみまわれていることを指摘している。

  さて、少し話を転じよう。私と藤原正彦氏との出会い(?)は、東京八重洲ブックセンターの書棚で「遥かなるケンブリッジ」という随筆集を見つけた時からである。彼の絶妙なユーモアと流れるような文体に引きずり込まれた。そしてそのような流れの中に、彼が留学生活で体得した考えを綴っている。「国語教育の大切さ」、「わが国の歴史を理解する重要性」などである。今日まで彼の本はほぼすべて読破してきたが、最近は以前の彼の文体の美しさは影をひそめ、自己主張のみを記した文章が目立ち残念な気がする。

  彼の本を読破してきた背景にはもう一つの側面がある。彼の父親は山岳小説で有名な新田次郎、母親は藤原ていである。私は学生時代に自ら山登りをするとともに前述の山岳小説を好んで読んだ。また、太平洋戦争後にベストセラーとなった藤原ていの「流れる星は生きている」、さらに正彦氏の妹である藤原咲子の「父への恋文」も読み、藤原家の精神母胎が自然と理解できた気がしている。

  人間には自らの精神を培ってきた環境がある。藤原正彦の文体の巧妙さは親譲りとしても、彼のもつ「一徹さ」はまさに藤原家の家風からでたものといえる。「天才」でも順調ではないように人生には浮沈がつきものであるが、自分の育ってきたベースを大切にしながら、新しいことにチャレンジする姿勢を学生諸君に期待している。

(2006年9月28日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 September 28.