こんな授業! どんなゼミ? |
深川由起子教授『地域協力論』
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▲熱弁をふるわれる政治経済学術院深川由起子教授
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政治経済学部3年 内海 有智
通貨危機後の東アジアの地域内協力が進んでから、「東アジア共同体」という言葉は現代国際社会の中においてホットなキーワードの一つになっている。しかし、実際に経済統合への道をたどることは可能なのかについては議論が絶えない。この授業では、東アジアにおける経済協力がどのようにして行われてきたか、また先行して発展してきた日本や現在成長著しい中国のプレゼンスなどを捉えていく。
普段、私たちの受講する講義では「現在進行形」を扱う授業は多くはない。基幹となる理論や、思想、また教養となる授業などを通じ、知的枠組みを作り上げていく講義が多いのである。しかし、この授業ではそういった基礎的な部分を折に触れながらも、それに加えて普段の講義とは異なる「現在進行形」の経済協力が熱く語られる。東アジアとしての経済協力の成立から、背後にある政治経済的な背景、旧ECのときとは異なる経済協力の発展形態、アメリカの東アジアに対するプレゼンスなど、知的好奇心を強く刺激する現在進行途中のトピックが次々に取り扱われるのだ。そして私たちを東アジア共同体の新たな認識の入り口に誘う。
さらに、学びの入り口に誘った後も先生はプリントに、「討論」項目と「Suggested Reading」項目を加え、今後の学びの道標を示してくれる。講義のフォローとしての参考文献は、各回10項目ほど挙げられ、理解を深めるきっかけとなる。文献をあたることに慣れていない私たちでも、この道しるべをもとに理解を深めることが可能である。
確かに扱う内容は複雑で、切り口となるトピックもたくさんあり、理解が大変だ。しかし、先生は、鳥瞰的に東アジアを捉えられるよう、また専門用語についても分かりやすく解説してくれる。先生は板書をあまりなさらないが、指導の手法は鮮やかで、大きな障壁なく理解することができる。
東アジア経済はグローバル化の中で躍動感に富んでいる。そして私たちは、このダイナミックな変化の中に生きている。そのダイナミズムをこの授業でぜひ味わい、体感しよう。
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▲真剣に授業を受ける学生
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(2007年1月18日掲載)
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第一・第二文学部「アウシュヴィッツと現代」
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▲ 山本浩司文学学術院助教授
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アウシュヴィッツという言葉を聞いて思い起こすのは、ナチス政権によるユダヤ人の虐殺である。そして、ホロコースト、ゲシュタポ、といった歴史用語たちが脳裏をかすめる。しかし、ユダヤ人の絶滅計画が組織化されたヴァンゼー会議から65年が経過しようとしている現在、日本の私たちにはアウシュヴィッツ強制収容所の出来事は、夢物語のようにしか感じられない。これは当然のことと言えばそれまでである。何しろそれは遠い外国の昔の出来事であり、現実的に感じることは困難であるからだ。しかし、それを覆すのがこの講義である。
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▲ 第一・第二文学部合併科目だが、他学部からも学生が集まる。筆者は写真右端
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この講義を受けて、アウシュヴィッツでの出来事から表面的に世界史の一部として学んだ時とは違った印象を受けた。詳細を知ることにより、アウシュヴィッツが現実味を帯びてきたのである。ガス室の構造の話で、ベルトコンベアで運ばれるユダヤ人の死体のことを知った時、彼らはモノとして扱われたのだということを感じとった。驚愕である。アウシュヴィッツという場所の深淵さを垣間見た気がした。しかし、同時にそれは、実際にアウシュヴィッツに関わった者でなければ到底到達できない深淵さであるように思えた。そして、たとえそこに到達できないにしても、アウシュヴィッツの深部まで見ようとすることが重要なのであろう。そうすることで過去を個々に解釈し、未来につなげることが可能であるからだ。この講義はそのような面で役立っている。7人もの先生方の興味深い話を聴くことができ、一つの事象を多面的にとらえるのにも有用であった。
聴き手に、考える機会を多く与えてくれる講義、それが「アウシュヴィッツと現代」である。そして、多く考えることにより、聞き手である私たちはより豊かな人間となれるであろう。
最後に、私たちが豊かになるきっかけを与えてくださった先生方に感謝をしてこの講義紹介を終わりたいと思う。
(2007年1月11日掲載)
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3・4年法学演習(民法・環境法)
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▲大学院法務研究科大塚直教授
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法学部4年 五味 俊太郎
昨今環境の大切さが叫ばれて久しい中で、「環境を守る」ことに反対する人はいないだろう。しかし、地球環境の悪化が進む一方で、対策は進んでいないのが現実。それはなぜか。そして私たちにできることは何なのか。そんな問題意識を持つ学生が集まってゼミが形成されている。
「環境」といえば、環境政策や環境NGO・環境先進企業の取り組みがクローズアップされがちだが、「法」を学ぶ私たちにできることはないのだろうか。その糸口が大塚ゼミで見つかるのだろうと思い、日々議論を重ねている。
紛争として環境問題が取り上げられたときに、どうすれば訴訟にできるのか。具体的な紛争にはならないが、重要な環境理念・原則はどうあるべきか。「環境法」といわれても何を学ぶべきかを知らぬ未熟な私たちも、課題となった文献を研究し、授業中に先生の助言を受けながら議論を行う中で、確実に手ごたえを感じている。
環境法ゼミといっても、盲目的に「環境さえ守れればそれでいい」という学生が集まって理想論を語っているわけではない。環境法と共に民法を学ぶのも、「広く社会の問題を見ろ」ということであると思っている。私たちのゼミは本当にいろいろな考えの学生が集まっている。私の同期でも、今後省庁で環境政策を作る者もいれば、デベロッパーになって開発を行う者もいる。しかし、その仲間を認め合っているからこそ、互いの意見を尊重し合う、居心地の良いゼミが生まれている。
ゼミの最大の特徴は、勉強も遊びも全力で取り組む姿勢、そして学生同士の仲の良さ。これは積極性・主体性を重んじる先生のおかげだろうが、各々の視点から自由な議論が展開される。仲間同士で協力し、時に葛藤しながら取り組んだ論点は心に深く残り、世の中の出来事も今よりさらに生き生きと見えてくるだろう。
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▲テーマについて報告、コメントし議論が行われる。
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(2006年12月14日掲載)
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「Comparative Cultural Studies」
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▲麻生享志国際教養学術院教授
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▲国際色豊かな学生が授業に参加している
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国際教養学部3年 砂押 壮明
ハリウッド映画などを観ていて、何か情けないような気分に見舞われることがある。日本人がバイクに乗りながら刀を振り回してアメリカ人をいじめていたり、武士でもない女性が切腹したりするシーンを観たときだ。
そんなとき、「ちょっと待ってくれ、それはないだろう」と私だけでなく多くの日本人が思うのではないか。そういった何か得体の知れない理不尽さは何処から来て、それを作り出している原因は何なのだろうか。またそれはどのような形で映画や文学に表現されているのか。そういったことを考えていくのが麻生享志教授の「Comparative Cultural Studies: "Orientalism, Occidentalism, and the Representation of Japan"」だ。
ハリウッド映画などに出てくる日本や日本人のイメージというのが、何故とうの日本人にはしっくりしないのかというと、それはオリエンタリズムに縛られているからだ。オリエンタリズムは東洋に対する西洋の優位性や先進性といった偏見、また東洋に対する憧れといったものを含んで作られた概念であり、そのため実際の東洋の姿を無視している。日本人がバイクに乗りながら刀を振り回すことなどは現実にはあり得ないことなのに、映画のワンシーンに使われる。
また、その反対をオクシデンタリズム(東洋側からの西洋を見たときのイメージ)という。実はあの人気シリーズ『オー!マイキー』(石橋義正監督・テレビ東京放映)は、このオクシデンタリズムを反映した映像作品である。キラリと光る白い歯、能天気な家族ややんちゃな子どもなど、こういったイメージはなるほど、日本人がアメリカ人に望んでいるものである。登場するのが平凡な日本人の家族では、あのブラックユーモアは成り立たない。『オー!マイキー』にそんな学術的要素があったとは全く思いもよらなかった。そんな新しい発見が授業ごとにある「Comparative Cultural Studies」。これからもますます面白くなりそうだ。
(2006年12月7日掲載)
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「漢字文化圏論」
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▲ 笹原宏之社会科学総合学術院助教授
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▲ 授業風景。前列左端が筆者
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社会科学部2年 小西 英昭
「漢字文化圏論」と聞くと、小難しい内容なのだろうと距離をおいてしまう人がいるかもしれない。しかし、この授業においては、そのような心配は全くいらない。笹原宏之先生の話を一度聞けば、病み付きになるだろう。
私が初めて笹原先生に出会ったのは1年の時に履修した「言語表現論」の講義である。この講義もまた堅そうなネーミングだが、1回目の講義で私の心は奪われた。難しそうな講義名とは裏腹に、自然と言語の世界へと導かれていったのである。この講義を受け、私の中で大学の講義像が一変した。
「漢字文化圏論」の講義内容はいたってシンプルで、漢字を取り巻く事象について探求するといったものだ。まず「漢字文化圏とは何なのか」から始まる。漢字について学んでいく中で、「中国でなぜ漢字が生まれたのか?」という疑問にぶつかるだろう。それは授業が自然と解決してくれる。
言語の異なる韓国でも、ハングルに混じって、漢字が使われている。例えば、「カムサハムニダ」の「カムサ」は「感謝」と書くという。またベトナムでは「ありがとう」を「カムオン」という。恩を感じるで「感恩」と表記する。このように、いろいろな漢字圏の言葉を比較することにより、ぼやけていたものが鮮明になってくる。
また、日本語の多彩さにも気付くだろう。日本では、例えば「生」で「なま」、「いきる」、「うむ」、「はえる」などの大和言葉を表す訓読みまで行っている。私の口からこれ以上内容を申し上げるよりも、興味のある皆さんは「漢字文化圏論」を受講することをお勧めする。
最後に、私の忘れることのできない"笹原節"を挙げておこう。ある時、先生がこうおっしゃった。
「辞書に載っているものを答えだと思ってはいけないこと。辞書はあらゆる分野の入口に過ぎない」
私はこの言葉に強い衝撃を受けるとともに、言語の奥の深さに少しでも触れてみたいと思った。「言語表現論」、「漢字文化圏論」を経て、私は現在、笹原ゼミに参加している。
きっかけはどこに転がっているかわからない。入口は辞書であったり、この『早稲田ウィークリー』かもしれない。皆さんも言葉の世界に触れてみてはいかがなものだろうか?
(2006年11月30日掲載)
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「交通論3」 身近な話題の「アツい授業」
商学部3年 高木 尚紀 皆さんは「交通」というものに興味をもったことがあるだろうか。という質問を投げかけるとたいていは、「興味ない」だとか、そういった類の言葉が返ってきそうに思えてしまう。しかし「交通」とは誰にでも身近に接しているものであり、誰もが一度はそれについて考えたことがあるものである。 たとえば、通勤や通学に電車やバスなどを利用する人が、ふと「この混雑はなんとかならないだろうか?」と頭をよぎったとき、その人はすでに「交通」に関して考えているのである。電車やバスを使わない人でも道路を歩いたことのある人は、なんらかの形で「交通」に触れているといって過言ではない。「交通」とは、それだけ私たちにとって身近な話題なのである。
この講義では、交通部門の環境に対する対応、高速道路の将来、航空会社の再編、道路公団の改革問題などなど、さまざまな諸問題にどのように対応するべきかを検討するのが主題である。といっても、とくに専門的な予備知識が必要なわけでもなく、しかもテレビや新聞などで頻繁に取り上げられている単語や話題を絡めて授業が展開されていくので、自然と興味がわいてくるのである。 この講義の魅力的な所は、なんといっても先生のお人柄であると思う。講義を担当している杉山雅洋先生はとてもアツい人なのである。なんというか、昔に比べて、自分の通ってる大学を誇りに思っている学生が少なくなってきている昨今、いわゆる「早稲田魂」なるものをうちに燃やし続けている先生である。そんな先生であるから、講義をとても熱心に展開してくださり、学生の意見も幅広く受け入れてくださる。 交通論とは、「交通」が学べるだけでなく、先生の熱気が講義を聞いているこちらにまで伝わってきて、早稲田の学生であるという誇りを思い出させてくれるような濃密な講義なのである。 (2006年11月16日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 November 16. |
北村 薫 文学学術院客員教授
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▲北村薫文学学術院客員教授(右)と朗読家の北原久仁香氏
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第一文学部3年 小沼 文彦
学生が書いた作品(主に小説)を、教授と学生が皆で批評し合う授業…。このようにこの「文芸演習」の授業を説明するならば、あなたはどんな授業を想像するだろうか? 文学青年らが熱く議論を交わしている場面だろうか。それとも教授がひたすら意見を述べているだけの風景だろうか。
残念ながらこの授業ではそのような場面は見られない。ではどのように小説を批評し合うのか。実際の授業の流れはこうである。
まず、学生が事前に提出した作品が、1回の授業につき3、4作品プリントアウトして全員に配られる。学生は各自それを読み込み、思ったこと、言いたいこと、感想などを紙に書いてその場で提出する。そうして集まった皆の意見をもとに、先生がまとめを行う。ご自身の感想を付け加えながら、皆の意見を読み上げるその先生こそ、作家として有名な北村薫先生である。
先生はこの一連の作業を、作品を"揉む"と呼んでいる。何とも良い表現ではないだろうか。さまざまな意見が自分の作品を揉みほぐしていく。この授業を受けてみると、確かにそんな感じがするから不思議だ。
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▲授業に参加している学生は真剣そのもの(中央が筆者)
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この授業の良いところ、それはまず自分が仕上げた作品に対して、先生や学生から率直な意見が投げかけられることである。他人の目は、やはり自分のそれよりも厳しく、鋭い。それらと向き合う貴重な機会がこの授業では与えられるのである。
もう一つの特筆すべきことは、北村先生の人脈を生かしたゲストスピーカーが、時折、授業に招かれることである。
前期には文芸誌『群像』の編集長唐木厚氏が登壇して、編集者の仕事や、作家との関わりについて貴重なお話をしてくださった。後期にはナレーターであり朗読家として活躍されている北原久仁香氏が朗読家としての苦労、そして目標について語ってくださった。お2人の話は普段、聞くことのできない興味深いものであった。
そんな貴重な体験の連続。それこそがこの授業の魅力である。
(2006年11月9日掲載)
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「教育学演習T」 ― 「学校」を考える教育課程
教育学部4年 渡辺 研悟 「小学校は6年間。中学校は3年間」これを「当たり前」と思う人は恐らく少なくないことだろう。しかしこれは決して揺るぎようのない事実というわけではない。近い将来、この「6・3制」が「4・3・2制」などになるということは十分にあり得ることなのだ。実際すでに日本の一部ではこの「4・3・2制」を導入している学校もある。 教育課程(カリキュラム)とは簡単に言えば私たちが学校から「当たり前」だと思って享受していた文化や学校で教えるもの、またはその枠組みに対して「それをどういった形、時期、内容、方法で教えるべきか」を考える分野である。 私たちは「教育界の風雲児」の異名をとる(と言われる)教育課程研究の第一人者、安彦忠彦教育・総合科学学術院教授の下、この教育課程を勉強している。 教育課程は、その扱う分野が学校教育のほぼすべてに関係すると言えるので、ゼミ生の扱う問題も小中一貫校から個性化教育、いじめの問題など多岐にわたっている。しかし、そんな中でもゼミ生の気持ちは皆、各々の問題意識に基づいて現在の学校の問題点を真剣に考えようとしている点では共通している。 ゼミの形態は、毎週1人ないし2人の発表に対して、意見や感想を交換するというものだが、3年生は中等教育の教育課程に関する主要な論点・問題点別に考察を行い、4年生は卒論に関係した発表を行っている。 また、去年はフィールドワークとして、栃木県の山間部にある生徒数20人以下の過疎地域の小・中一貫校に滞在して授業観察を行い、筆者としても日本の地方の学校の現状を見ることができて大変勉強になった。今年は愛知県の高等学校でフィールドワークを行う予定である。 最後に、教育課程を学ぶとはほとんど「学校を学ぶ」ということと同義であり、学校に独自色が求められるこれからの時代にはまさに必須の分野ではないかと私は思う。 (2006年11月2日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 November 2. |
「アイヌ語(初級口承文芸)」口頭伝承文学を聴き理解し語る
教育学部2年 瀧川 哲郎 「コンルカタ ポーノルケーポ ハーチリ(氷の上で小さなオオカミの子が転んだよ) コンル ヌプル クス タシ ネー ネック(氷がえらいからさ)…」。独特の音韻とリズムが教室に満ちる。志賀雪湖先生のこの授業は、アイヌ語の口頭伝承文学を聴き、理解し、語る(あるいは歌/謡う)授業である。口頭伝承文学とは、元来文字を持たないアイヌ民族が物語や伝説、体験談や人生の教訓などを語り継いだもので、アイヌ文化を形作っているものの一つである。 この授業では、身近な生活の中でのまじないの言葉からユカラ(叙事詩)までさまざまな種類の口頭伝承をテープで聴き、2〜5人のグループで覚えて歌/謡う練習をする。それとともに、その口頭伝承の文化的背景やアイヌ語文法なども学んでいく。自分の耳で聴き、自分の口で歌/謡う。その実践でこそアイヌ文化の独自性を文字で学ぶ以上に深く理解できるのであろう。そのほかにもアイヌ語の聞き取りや作文など、語学としての面も非常に充実している。 文化面では、アイヌ民族の衣食住や精神文化に関する映像資料を見たり、「アイヌ人と和人との間に生まれた人はなに人か」というテーマについて意見を出しあったりもする。中野のアイヌ料理店でのクラスコンパや、夏期に北海道で行われる他大学と合同の体験合宿など、アイヌ文化について知ることのできる魅力的なイベントもある。受講している学生は1年生から4年生まで幅広く、学部や専攻もバラバラでさまざまな価値観を持つ学生が集まっている。 同じ日本国の中で独自の文化として生き続けるアイヌ民族について知り、学ぶことで、普段あまり意識することのない「民族と国家」というテーマが外国だけの出来事ではなく、私たち自身が向き合い考えていくものであるいうことに気付かされる。
(2006年10月26日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 October 26. |
「三・四年法学演習―国際経済法」
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▲ 学生思いの清水章雄法務研究科教授
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法学部4年 鈴木 彩香
国際経済法清水ゼミでは、貿易自由化・関税引き下げを推進している、世界貿易機関(WTO)の法体制について学んでいる。ゼミは毎週木曜の2限に行われる。WTO紛争解決手続・GATT等の実体的規則について書かれた英語文献をもとに、各ゼミ生が発表を進める。その後、質疑応答・清水章雄先生による補足説明を経て、貿易自由化・WTO法体制について理解を深めていく。英語教材を読む際には、WTO紛争処理パネルのレポートなど、難解な英文に取り組むこととなる。そのため専門的な英語力を向上させることができる。
ゼミ生は穏やかな人が多く、和んだ雰囲気の中で授業が進められていく。しかし皆、授業に対して真剣に取り組んでおり、4月にゼミに入ったばかりの3年生からも鋭い指摘がなされる。また、ゼミの担当教員の清水先生はWTO紛争解決手続のパネリストで、先生が学生に投げかける質問は、高度なものだ。しかし厳しいだけではなく、学生思いの方である。
授業後、先生持参のDVDを見ながら全員で昼食をとることも多い。今までに「人種・皮膚の色による差別」、「原爆行使は国際法に違反しているかどうか」といった、深刻なテーマを取り扱ったVTRを見た。貿易のみならず、より広い範囲の国際的問題について考えさせられる契機となった。
農業補助金削減や金融分野の市場開放、自由貿易協定など、WTOに関わる記事が新聞に載らない日はほとんどない。多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)の貿易自由化ルールを巡る交渉が決裂したことは記憶に新しい。貿易立国の日本にとって交渉停滞の痛手は大きい。日本経済をより一層発展させていくために、貿易自由化交渉が停滞している今、WTOに目を向けることの意義は大きいのではないだろうか。
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▲ 和やかな授業風景。右から2番目が筆者
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(2006年10月19日掲載)
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現代小説の楽しみ(村上春樹を読む)
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▲ 筆者と石原千秋教育・総合科学学術院教授。先生の研究室にて
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▲ 授業で扱う村上春樹の作品
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教育学部2年 和島 江里香
大きな講義教室が学生で埋まっている。それなのにこの熱心な静けさ。ペンがたてるカリカリという音だけがやまない―こんな現象を引き起こす理由のひとつは、この講義が人気作家村上春樹の小説を扱うものであるということ。だが何よりも大きいのは、その講義をする石原千秋先生の魅力である。
この授業で先生が扱うのは村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』から『ノルウェイの森』までの計5つの長編小説。1作品につき2回のペースで講義が進められ、それぞれの作品における先生の読み方を学んでいく。
先生のすごいところは、まさしくその読みの奇抜さである。授業の醍醐味はそこにあると言っていい。自分が読んだときには予想もしなかった読み方であったり、まったく分からなかった作品が見事に解読されていたり…。細かい部分を細かい解釈だけにとどめておくのではなく、細かい部分をキーとしながら物語の世界全体を見事にまとめ上げていくのが先生の特徴なのだ。最終的に先生から「この物語はこう読む」とスパッと言われる瞬間などは最高にしびれるものである。講義が終われば、すぐにも本を読み返したくてうずうずしてしまう。
先生の印象的だった言葉に「小説とは宝さがしだ」というのがある。作家にしてみれば「一番書きたいことを隠すために書くのが小説」。つまり小説には作家の書きたいことがわざと見つかりにくく書かれていて、読者であるわたしたちは読み解くための「呪文」をさまざまに試してみることでその「宝」を見つけ出すというのだ。確かに、先生の読みを聞いて得られるものには「宝」の名に負けない価値があるかもしれない。
この講義を聞けば誰もがきっと、今まで見たことのない「宝」を見つけられることだろう。
(2006年10月12日掲載)
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テーマカレッジ「ユネスコの寺子屋事業と世界遺産」
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▲ 野口昇ボランティアセンター客員教授
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法学部4年 田川 早百合
カンボジアは内戦や恐怖政治の残したつめ跡を抱えつつも、そこに生きる人たちは前を向き、力強く生きている国である。この研修を通してたった1週間とは思えないくらい多くの人に出会い、多くのことを学んだ。
私がこの授業「ユネスコの寺子屋事業と世界遺産〜途上国の現場で考える」を履修したのは、「社会人として目先の利益を追求するようになる前に、今しかできない体験を通して自分の視野を広げたい」という漠然とした動機からだった。
授業に参加すると、それぞれのメンバーが明確な将来像を持って臨んでいた。将来国際的に活躍したい人、ボランティアや識字教育に興味がある人、教師を目指している人…それぞれのベクトルは異なっているが、その延長線上にこの授業があった。
数回の事前学習を経た後、カンボジアへ。本当に一生に一度できるか分からない体験をたくさんさせてもらった。
どこまでも続く青空の下、お互い泥だらけになってボールを追いかけたサッカーの親善試合。日本から持参した大縄や習字で一生懸命遊んだ、水上寺子屋での子どもたちとの交流。村人が総出で歓迎してくれた、現地の村への訪問…。
やはり印象に残っているのは、カンボジアに生きる「人」である。都心では近代化が進んでいるものの、この国では今でも多くの人が自然に抗わない生活をしている。木で作られた高床式の家、放し飼いにされている牛やヤギなどの家畜、裸の子どもたち。村では全体で子どもたちの面倒を見ており、隣人の顔も知らない現在の日本では考えられないような地域のつながりや温かさがあった。
私たちよりも物質的には貧しいはずの彼らの屈託のない、幸せそうな笑顔から本当の「豊かさ」について考えさせられ、人間本来の生命力を肌で感じた。
この研修を通して私たちは、カンボジアの人、空、大地のすべてからたくさんの気付きと学びをもらったと思う。この経験を、これからの人生に大いに生かしていきたい。
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▲ ユネスコの寺子屋があるロカ村を訪問
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(2006年10月5日掲載)
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関根勝先生の実践型授業「キョーゲン」
人間科学部3年 分田 篤志 オープン教育科目の「キョーゲン」は古典芸能である「狂言」と現代演劇を融合させ、全く新しいタイプの演劇を生み出そうとする試みによって誕生した実践型授業である。 このクラスを指導されている国際教養学術院教授の関根勝先生は能楽の「シテ方」の流派である「観世流」の家の出身で、そのため能狂言に関して非常に深い知識をお持ちだ。クラスは20人くらいの規模で、少人数ながら舞台のある大きな教室を借りて、サークルのような雰囲気で和気あいあいと練習をしている。 今年はプロの狂言師にも来ていただき、より本格的な指導を受けることができた。また12月には小野記念講堂と越谷の能楽堂での公演も決定している。私は狂言「棒縛り」の太郎冠者役をする。
またオープン教育科目ゆえの、さまざまな学部、学年の方々が共に学べるという環境もこの科目の大きな魅力の一つとなっている。 ここまで書くと「キョーゲン」クラスの学生は皆、古典芸能も含めよほど演劇に精通しているように思えてくるかもしれない。しかし実際は演劇に詳しい学生は少なく、基礎中の基礎といったレベルから教わることのできる授業内容であるため、全くの初心者が大半を占めているのが現状である。 私自身、特に演劇サークルに所属しているわけでもなく、この科目を受講するまでは日本の古典芸能に関する知識もほぼ皆無であった。しかし講義の回数を重ねるうちに少しずつ関心を抱くようになっていき、今では演劇、古典芸能を積極的に鑑賞しに出かけるまでになった。 最後に、今はやりの「ちょいワルオヤジ」である関根先生は、人柄も温和で学生から絶大な人気があり、何でも気軽に相談できる良き先生でもある。それだけでもこの科目を履修して損はないかと思ったりもする。 (2006年9月28日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 September 28. |