えび茶ゾーン
 第1104号〜第1115号(2006年10月5日号〜2007年1月18日号)


2007年1月18日


 数年前、卒業を控えたゼミ生から「先生、謝恩会ではどこに連れて行ってもらえますか」と聞かれ、驚いたことがある。また、講義の最中、話をしている学生を追い出した際、後で謝りに来たのは良いのだが、教育的指導に対して「先生は謝っても許してくれないのですか」と"逆ギレ"され、開いた口がふさがらなかった▼自らの学生時代を振り返ると、「いまどきの学生は」などと言えるだけの自信はない。おそらく当時の先生方は、われわれの言動に対して「いまどきの学生は」と嘆いておられたことだろう。しかし、他方で「それでも…」という気持ちもある▼自分自身が年を取ったと思いつつも、「いまどきの学生は」とか、「いまどきの若者は」という言葉は、世につれて繰り返されてきたものと思う。このような思いに至るのは、自らがそれなりに見聞を広めた結果だろうと考えている。学生諸君には、自ら齢を重ねる中で「いまどきの若者は」という言葉が出るように、さまざまな経験をし、世間を知る中で研鑽を積んでほしいと思うのである▼「学生は未来からの留学生である」、と聞いたことがある。確かに、学生諸君の将来には計り知れないものがある。前途は有望となるはずである。そのためにも、学生時代のいま、師との出会い、友との出会い、本との出合いなどを大切にしてほしいと考える。自らの将来を確固たるものにするためには、学生時代にしかできないことに時間・労力・費用を惜しみなく投入し、自分探しに努めてほしいと願ってやまない。

(よ)

(2007年1月18日掲載)

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First drafted 2007 January 18.


2007年1月11日


 最近の犯罪・非行現象をみると、家庭、学校、職場、地域などの共同体の崩壊から生じたと推測できるものが多々あるように思う。それでは共同体を再構築すればいいのではと簡単に回答が出るわけではない点に問題がある。というのは、このような共同体の崩壊は、われわれが望んできたものだからである。すなわち、「他者からの自由」がこれである▼「放っておいてもらいたい」という欲求は、他者との結び付き、共同体の束縛からの解放を意味する。昔、ドリフターズの「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」という歌が小学生の間で流行ったが、あれに端的に表現されているかもしれない。しかも、このような自己解放が自己決定権という名で正当化されることによって、他者への無関心、公共性の喪失を助長したように思われる。最近の大学生も他者との関係に深入りせず、自分だけスマートなコースに行けばいいのだという意識が強いように感じるのである▼しかし、このような傾向は、結局、自己を肯定し、他者を否定するという人間として最低の態度を蔓延させる結果となろう。このような流れを阻止するためには、自己のまわりの共同体を少しずつ再構築して行くしか道はない。その点で、薄れているとはいえ、原理的に共同体的な大学である早稲田大学の学生諸君に期待したいと思うのである。一人閉じこもって勉強するのではなく、みんなとワイワイやりながら、自己の道を進んでほしいのである。すなわち、「他者との自由」である。早稲田大学は共同体を再構築させる起爆剤となるべきであろう。

(N・T)

(2007年1月11日掲載)

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First drafted 2007 January 11.


2006年12月14日


 教育基本法を変えることが話題になっている、とくに「愛国心」の問題が▼人は生まれてくるところを選べない。多くの日本人は、たまたま日本に生まれたから日本人であるのだと思う。そして、簡単には国籍は変えられないので、たいがいは日本人であり続けるしかない。住む場所程度なら変えられる。だから、「この町が好きだ、あの町は好みでない」ということはあり得る。しかし、われわれは普通、国籍を選ぶことはできない▼今のように世界が狭くなって、よその国のことも多くを知ることができるとき、それでも「日本に生まれ育ってよかった」と思えるような社会であれば、「国を愛せ」「その態度を養え」などとことさらに言わずにすむであろう。法律で縛ることで愛が芽生えるものでもあるまい。愛に命令形はそぐわない▼そもそも「国を愛する」とはどういうことなのであろうか▼われわれ住民が総体として国を作っていくのであって、われわれの外に与えられたものとして国が存在するわけではない。国のあり方もまた変わり得るものである▼したがって、今の施政者たちの実権が永遠に続くとも限らないが、それでもあえて彼らに言っておこう:「本当に日本と日本人を愛しているのであれば、われわれ住民が将来にわたって安心してくらせるように、生活保護や保険制度を整えてほしい。自然災害にあったらちゃんと国で面倒を見てほしい。そういうことのためにわれわれの税金を使ってほしい」

(麻矢)

(2006年12月14日掲載)

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First drafted 2006 December 14.


2006年12月7日


 11月3〜5日、北京において第3回中国・アフリカ協力フォーラムが開催された。アフリカ53カ国のうち、48カ国が参加し、35カ国の国家元首と6カ国の首相が参加するという建国史上最大の外交イベントとなった。2000年にスタートした同会議は、元は3年おきに行われる閣僚レベルの会合であったが、第3回を迎えた今回から元首レベルのサミットとして変貌を遂げた。多くのアフリカ諸国の元首が中国にまで足を運んだのは、新たなパートナーとしての中国に対する期待からである▼中国のアフリカへの関与は決して新しいものではない。60年代は毛沢東主義から多くのインフラ支援などを行っていた。現在中国はより戦略的に関与しており、米国、フランスに次いで世界3位のアフリカの貿易パートナーとなっている。2006年現在、中国・アフリカ間の貿易額は5百億ドルを突破している。特にアフリカを新たな石油の輸入源と見做し、輸入石油全体の3割をアフリカに依存しているのである▼TICAD(東京アフリカ開発会議)を1993年から5年ごとに開催し、アフリカ問題を世界に喚起することで、アフリカの支持を得てきた日本は完全にお株を奪われた形となった。アフリカ諸国との間では経済協力の関係しか持てない日本の対アフリカ外交の限界が露呈している▼しかし、中国の方法に問題がないわけではない。戦略はあるが、規範はないということである。中国は些か国際社会のルールを無視した援助を行い、問題の多いジンバブエやスーダン等を無条件でサポートしているからである。日本としては確固たる戦略を策定して、正攻法でアフリカを魅了する外交を行っていかなければならない。

(SK)

(2006年12月7日掲載)

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First drafted 2006 December 7.


2006年11月30日


 生まれたのがトランジスタの発明された年で、企業に入社した年にマイクロプロセサが発表された縁か、LSIを専門としている。長年企業の研究所で開発に携わってきた▼入社当時、配線などを加工するのに、硝酸やフッ酸などの化学薬液を用いていたが、プラズマ反応を用いたドライエッチング法が実用化された。また、不純物をシリコン基板に導入するのに熱拡散という高温の炉で長時間かけて行っていたが、イオンを加速して注入するイオン注入法が実用化された。開発のど真ん中にいた私は、そういった新しい技術が提案されているのは知っていたが、その当時の方法で十分やっていける、装置が大掛かりだとか言って難癖をつけたものだ▼しかし、そういった技術が手ごろな価格の装置で現実に実用化されるのを目の当たりにして、人間の叡智の素晴らしさ、できないと思われたことを克服する努力に敬服せざるを得なくなった。それ以降、人のアイデアに対しては訳も分からないのに安易に否定しないように心がけるようになった▼右の例の外にも、枚挙に暇がない革新的な技術が実用化され、当時想像もつかなかった、0.1μmレベルの技術が実用化され、その技術を使った便利なエレクトロニクス製品をわれわれは使っている。また、有機膜などや磁性体を使った新しいデバイスが提案されている。これらがすべて実用化されることにはならないと思うが、夢、アイデアを実現しようとすることに対しエールを送りたいものである。残念なことに右の例のほとんどは米国発の技術である。

(霧)

(2006年11月30日掲載)

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First drafted 2006 November 30.


2006年11月16日


 過去30年間の数字を見てみると、日本の大学(国立、公立、私立)の数は増え続いている。2004年には709校となった。一方、短期大学(同じく国公私立)の数は1996年の598校から2004年の508校に減った▼18歳人口の減少は大学にとって死活問題となる。特に18歳人口は1992年の205万人から2006年の133万人になり、2008年には126万人となる。そこで優秀な学生の確保はもちろんのこと、学生数の定員割れが特に地方大学の最大関心事となる▼とはいえ、国内の学生数の激減を海外留学生で補充することはそもそも限界がある。欧米留学生数を見れば、日本はまだまだ努力の余地がある。早稲田大学は私大の中で留学生を一番多く確保している。2190人(2006年5月1日現在)に上る。結構なことである。欧米の一流大学を見れば、留学生の数(特に大学院生の数)が多ければ多いほど、その大学の国際的知名度が高くなる。OxbridgeやMIT、ハーバードなどは世界上位3%の留学生を引き付けていると言われる。早大は日本のハーバードと好意的に褒めるアメリカ人もいるが、優秀な留学生を集める余地はまだまだ残っている▼留学生の受け入れに積極的なアジア太平洋研究科の国内外の学生比率の変化も気になる。1998年創立当時は、日本人学生と留学生の比率は50%ずつだったが、現在は38%と62%となっている。留学生数の多いことは良いことだが、日本人学生の数を重点的に増やしていくことが課題として残っている。

(HS)

(2006年11月16日掲載)

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First drafted 2006 November 16.


2006年11月9日


 秋になると初代高橋竹山の三味線が聴きたくなる。竹山は明治43年、津軽に生まれ、麻疹がもとで幼少にして視力のほとんどを失い、本人いわく、そのために他に生きる道とてなく、15歳で門付け(家々の門前で唄や楽器を演奏し、お金や米などを恵んでもらうこと)芸人に弟子入りし、17歳で独立した後は、一人で北海道や東北地方を門付けして歩いた▼戦争で一旦は三味線を措いた竹山であったが、戦後、津軽民謡の大御所成田雲竹の伴奏者に抜擢されたのをきっかけにレコード会社のディレクターの目に留まるところとなり、昭和38年に初めて竹山独奏のレコードが発売された。発売されるや、その音楽は芸能に通じた人のみならず、民謡などに縁のなさそうな若者までも魅了し、各地で演奏を求められるようになった。その後、海外でも高い評価を受け、文字通り津軽三味線の第一人者としての名声を博しながら、平成10年惜しまれつつ逝去した。享年87歳▼聴くたびに、竹山の音楽には哀しみが詰まっている、と思う。手を引いてくれる者とてない盲目の青年にとって、冬には地吹雪のたたきつける過酷な土地での門付けがいったいどのようなものであったかは想像を絶する。しかし、その音楽には同時に、その哀しみを超えるほどの喜びがある、とも思う。それは、生きることへの限りない喜びであり、その喜びを味わいたくて、私は竹山の音楽を聴いている気がしてならない。(竹山の演奏・芸談のCD、DVD、書籍各種あり)

(如)

(2006年11月9日掲載)

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First drafted 2006 November 9.


2006年11月2日


 自分の担当クラスに私と同じ音楽サークル出身の学生が入ってきた。最新事情を探ると、我々との違いは部室があること。「部室などいらん。今、大隈記念タワーになった第二学生会館のロビーにたまり場があったのだ」と、聞こうが聞くまいが無理やり昔話を始める▼その通称「二学」の1階ロビーはガラス張りの上、たまり場は早稲田駅からキャンパスへの抜け道に面した角の部分なので、道行く人がよく見える。急いで授業に出ようとする連中はこの角を通り抜けようとするが、しかしこの場所、網を仕掛けたように一人また一人と自主休講の男女がたまっていく。出ようとしても皆で足を引っ張り合うドロ沼である。そのうち楽器をかき鳴らしたり、まだ日が高いのにそのまま飲みに行ったりと、今思えばひどい体たらく▼誠に汗顔の至りだが、ロビーで隣り合わせの別の音楽サークルも程度は違えど似たありさまで、そのまま一緒に飲んだり、地下にあったスタジオでセッションをしたり、合同でライブをやったり▼昨年たまたま問い合わせがあった大手出版社の編集者氏、どこかで聞いた名前だと記憶を手繰り寄せると、二学で隣りだったサークルの幹事長なのであった。「ほらみろ、部室なんかがあったんじゃできない出会いなんだぜ」と強がりを言う私▼しかし私との最大の違いは、この学生が先生こと私とコミュニケーションを取っていること。「先生と話した記憶がないなあ」と私。「僕は授業に出ているからです」。守れ、先生の馬鹿話を許す知的風土。

(Y)

(2006年11月2日掲載)

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First drafted 2006 November 2.


2006年10月26日


 瀬戸内の地方都市に育った。山すそにへばりつくように建ったアパートの窓から、海の街の全景が見渡せた。夜になるとまたたく街の灯りを眺めながら、その一つひとつに、自分と同じ生活があることが不思議だった。あの灯りの下で暮らしている人々も、自分のように、喜んだり苦しんだりしているのだろうか。そんな喜びや苦しみが、本当にあの灯りの数だけ存在しているのだろうか。なぜ、自分はここにいて、あそこにはいないのか…▼やがて東京へ出て大学に入り、思想史という学問を専攻した。アメリカにも留学し、最近では、台湾、韓国、中国、タイ、インド、シンガポールと、アジアの国々に出かけることも多くなった。滞在した先で、歴史や文化の違いに、驚き思い悩むこともある。でもやはり変わらないのは、街を眺めるたびに湧いてくる、あの不思議な感覚である。どの灯りの一つひとつにも、自分と同じ、泣いたり笑ったりする人間の生活があること。でも自分がここに生まれ、そこには生まれなかったということ。私は今でも、それをとても不思議に思っている▼今の私には、昔眺めていた街の灯りが太い光の帯となって、世界を取り巻いている様がはっきりと見える。そしてあの日と同じように、それら無数の光の下で繰り返される人々の喜びや苦しみの一つひとつを、できることなら知りたいと思う。思想史という学問が、そうした私の希望を叶えてくれる、ささやかな助けとなることを願いながら。

(呉人)

(2006年10月26日掲載)

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First drafted 2006 October 26.


2006年10月19日


 都の西北に位置する本部講内から見てさらに西方約4里、上石神井に学部の弟分に当たる高等学院がある▼昨今外国語―特に第二外国語―教育に対する風当りが非常にきついが、この学院での第二外国語教育についてわずかながらお知らせしたい。学院では露仏中独を選択必修としていずれかを3年間学習する。1年生が週3時間、2年生が週2時間、3年生は週3時間である。これほどの時間を第二外国語に充当している所はまず学院のみと仄聞している▼椅子は物理的には3本の脚で事足りるそうだが4本目の脚を得ると安定度は格段に勝るという。学院は設立以来第二外国語の履修を義務付けているが、その教育理念には幅広い教養を身に付け、複眼的な見方ができて、平衡感覚に富み、安定感のある人物の育成をとする願いが貫流していると思われる。英語という3本脚の椅子にもう1本の脚を装着し、あるいは単眼を複眼とすれば安定度は増し、視野は広がるということである▼第二外国語に対する学院生の反応は概ね良好。高校生で2つの外国語を学ぶことが彼等の自尊心を非常に擽るようだ。教員室に来て、目当てのネイティブと拙いながらも臆することなく会話する学院生も少なからず。社会人になってから第二外国語に感謝として礼状を寄こす卒業生も稀ではない。当然視しているが、考えてみればこれはすごいことである。また現学部1年には週11時間(必修3、他選択8)も履修した猛者がいる。ともあれ4本目の脚をさらに強固にし、その複眼に磨きをかけてやりたいという思いが募る秋である。

(T.A.)

(2006年10月19日掲載)

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First drafted 2006 October 19.


2006年10月12日


 1970年代後半に大学を卒業した私の世代は、「プレ均等法世代」である。均等法という言葉さえ存在しなかった時代であり、男女の就職差別を法律で規制することができるということ自体が、ごく少数の有識者の間でしか考えられていなかった▼1986年に男女雇用機会均等法が施行されてから20年、当初は非常に緩やかな差別規制法であったが、徐々に改正がなされ、今年の改正では間接差別の禁止や妊娠・出産を理由とする差別の禁止が強化された。他方で、均等法や労働基準法の保護を必ずしも受けられない、派遣や請負、契約社員といった非正規雇用の労働市場が急速に広がっている。働いても働いても何の蓄えもできない、ワーキング・プアーと呼ばれる大量の労働者群が登場している▼自由な競争が許されている社会では、競争の勝者と敗者が出ることはやむを得ない。しかし無制限な非正規雇用層の増大は、すでに社会のひずみをもたらしていると思う。消費の低迷、結婚率や出生率の低下、治安の悪化、労働者間での技能が承継されないこと、日本の労働力の強みと言われた企業内でのチームワークや「和」の喪失など▼これから大学を卒業していく人たちには、競争社会の敗者にならないよう、大いに勉強し勤勉に働いてほしい。それと同時に、個人が尊厳を持って働き、働くことによって報われるためにはどのように社会を変えていくべきなのか、「公正さ」について考え、行動してほしいと思う。

(YH)

(2006年10月12日掲載)

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First drafted 2006 October 12.


2006年10月5日


 六年前に早稲田大学に着任した。西早稲田キャンパスである。コーヒーがなくては仕事ができない私は、まずコーヒー屋を探した。街を歩けば必ずぶつかる×××バックスといった類いのコーヒー屋がない。学生街にはコーヒー屋ではなくても、喫茶店がもっとあるはずではなかったか。少なくとも以前に入ったことのある喫茶店もなくなっている。自分が学部生だったころ、喫茶店で随分時間を使った記憶があるのだが、何かおかしい▼おかしいのはコーヒー屋だけではないようだ。他の飲食店もよく店が変わる。昼食を食べに行っていた店がなくなったり、いつの間にか新しい店になっていたり。数万人の学生がいるはずなのに、もうからないのだろうか▼喫茶店が少なかったり、飲食店がよく変わったりということは、つまり学生が、この早稲田の街でお金を落としていないということなのだろう。では学生は、どこにいて、どこにお金を落としているのか▼高田馬場にはたくさん飲食店があり、盛況のように見える。学生は早稲田にはいつかず、高田馬場や新宿などに行くということも聞く。また多くの学生が長い時間アルバイトをしているようであり、それならば、大学周辺にいる時間は限られているだろう。携帯電話やその他の遊びにお金を使うために、キャンパスには留まらず、またお金の節約のために喫茶店に入ることも少ないのかもしれない▼いずれにしろ、学生が大学周辺にいないというのは由々しき問題である。私は、早稲田で学ぶことの一つの価値は、それぞれが勝手に(積極的にと言うべきか)主張し、活動する学生の洪水の中を泳ぎ、生き残っていくことで、社会を渡っていく技術と活力を身に付けることにあると考えている。もしキャンパスにいる時間を削っているとすれば、それは貴重な勉強の時間を削っていることになるのではないか。

(N)

(2006年10月5日掲載)

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First drafted 2006 October 5.