先輩に乾杯!

理工学部出身で父の味を守り受け継ぐラーメン屋店主
 長村 泰作 さん


長村 泰作 さん
おさむら・たいさく
 1962年北九州市黒崎生まれ。鹿児島ラサール中学・高校から本学理工学部入学、計算機数学を専攻する。卒業後は、(株)東芝に入社しシステムエンジニアとして活躍。93年、家業の「唐そば」にUターン。99年9月、渋谷に出店。2005年1月に渋谷区宇田川町に2号店を構える。
※「唐そば」渋谷2丁目店:渋谷区渋谷2-22-6 03-3486-0147

 家業を継ぐこと。頑固一徹な父親は口では反対していたかもしれないが、内心はきっと喜んでいるに違いない。今回の先輩は、本学理工学部出身の老舗ラーメン屋店主。大手電機メーカーのシステムエンジニアから行き着いた先は、心底惚れ込んだ父親の味を守ることであった。

いつか独立し事業を興そうと考えた サラリーマン時代

 家業は北九州市八幡の黒崎で営業していた老舗ラーメン店「唐そば」だった。長男だったが、父親ははなから家業を継がせるつもりはなく、長村さんは九州きっての中高一貫の私立進学校から早稲田へ。理工学部では、計算機数学を学んだ。「実は卒業するのに6年かかっているんです」。その間、半年かけてヨーロッパへ一人気ままな旅をした。それまではあまり人付き合いのいい方ではなかったが、旅を続ける中で自分の内面的な変化を感じたという。「善意で接すれば何とかなる…、気持ちは必ず通じるということを学びました」

 大学を卒業して(株)東芝に入社。即戦力と期待され、システムエンジニアという職に就いた。本社の通信網だけでなく、企業グループ全体の通信ネットワークの構築にも携わった。やがてデータ通信においては、社外からも注目されるほどになった。だが本人は、満足していなかった。「本当の希望は、人との関わりがもてる営業職だったんです」。そして最終目的は、いずれ独立して何らかの事業を興すことにあった。大企業のサラリーマンを経験したのも、組織の中で人がどのように働くかを見たかったからだった。

父親の反対を押し切って、家業を継ぐことに

 会社勤めを6年ほど続けたころ、そろそろ自分の事業を興そうと退社することを考え始めた。輸入雑貨商を始めようと思っていた。ところが時を同じくして、父親が1959年以来続いたラーメン店をたたむ、と言い出したのだ。弟は公認会計士として独立していたし、長男の長村さんもサラリーマンとして立派に働いている。「父にとってラーメン屋は、人に誇れる仕事ではなかったんです」。仕事に貴賤はない。だが長村さんの父親にとってラーメン屋は、下層の仕事に思えたのだという。だから自ら小学校の同窓会にも出ることはなかったし、2人の息子にも家業がラーメン屋であることは口外するな、と言い続けていた。「でも父が作るラーメンの一番のファンは、実は私だったんです」。そのおいしいラーメンがもう食べられなくなる。そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。そして会社を辞め、父親の店を半ば強引に手伝うことにしたという。

黒崎の店を閉め、激戦区渋谷への進出にすべてをかけて

 黒崎の「唐そば」は、1日700食は出る人気店だった。だが長村さんは、まずそれまで業者から仕入れていた麺を自家製にすることに取り組んだ。その日の天候に合わせて微妙に材料の配合を変えた。長村さんが作る麺と父親が作るスープの相乗効果もあって、一時は北九州で人気ナンバーワンにもなった。涙が出るほどうれしかった。だが地元黒崎の過疎化を考えると、先行きは見えている。店を手伝い始めて7年目、東京に進出することを決めた。心臓の持病をかかえていた父親も、限界に達していた。東京に出るということは、黒崎の店を閉めること。地元に愛されてきた店を閉めることはとても辛いことだが、これも時代の流れ、と気持ちに整理をつけた。

 そして99年にラーメン激戦区の渋谷に出店。メニューは、ラーメンと大盛りラーメン、そしておにぎりだけ。トッピングの類も一切ない。最初は苦戦の連続だった。しかしテレビや雑誌にも取り上げられ、父親から受け継いだ特製のスープと自家製麺とのバランスのとれたやさしい味にファンもつき、昨年1月には2号店を同じ渋谷に構えた。2号店と同時に始めた「つけ麺」も人気を呼んでいる。「うちのラーメンは、気負いなく食べられるごくふつうのラーメンなんですよ」。そういう長村さんにも気負いがない。父親から受け継いだ老舗の味は、着実に東京に根を下ろしている。

(2007年1月18日掲載)

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First drafted 2007 January 18.