とっておきの話 |
映画『フラガール』で蘇った記憶社会科学総合学術院教授 成富 正信
私の好きなジェイク・シマブクロというウクレレ奏者が、映画『フラガール』の音楽担当と知り、「ハワイブームの便乗映画だろう」と思いつつ予告を見たら、まるで違っていた。それは、40年前、常磐炭鉱閉山に直面した労働者とその家族が、「炭鉱のまちにハワイを」という大事業に立ち上がる姿を描く映画だった。それを知った時、ある記憶が蘇ってきた。 私が大学院に進学したのは1973年で、フィールドワークに憧れ農村社会学が専門の故外木典夫先生を師と仰いだ。ある日先生から、「今からいわき市まで調査の打ち合わせに行こう」と突然言われ、一緒に車で出かけた。着いた所が「常磐ハワイアンセンター」だった。「炭鉱の人たちとは『炭砿と地域社会』という研究をして以来の付き合いで、センターの目玉のハワイアンショーの踊り手はその娘さんたちだ」という話は車中で聞かされた。「炭鉱娘とフラダンス」とは「不思議な取り合わせだな」と思いつつショーを見たことを覚えている。 その後、研究チームが組まれ、炭鉱離職者に関する調査が行われた。当時石炭採掘はわずかに残った「西部鉱」で続けられていた。どういう経緯か忘れたが、先生と私、それに先生の授業を聴講していた佐藤正志君(現政治経済学術院教授)の3人で、「西部鉱」に潜らせてもらうことになった。45分間だけもつ酸素マスクとライト付ヘルメットを渡され、事故が起きたときの自己責任の念書を書き、地下600mまで堅坑を鉄篭のようなリフトで降りた。坑道内はトロッコで移動したが、広かった坑道がどんどん狭くなり、壁を支える鉄の骨組みの天井部分が逆八の字に割れていて驚くと、「地圧で押されるからです」と事も無げに説明された。坑道先端の切羽(採掘現場)では、暗がりを照らすライトの中で、炭鉱夫の人たちが弁当を食べていた。所々温泉が噴出する坑内は「昔は褌一丁で働いたほど暑い」と聞いていたが、冷房が効いていたのか意外に涼しかった。帰りに「そのうち価値がでるよ」と言われ、石炭の塊を土産にもらった。「地底世界」での不思議体験だった。 (2006年12月7日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 December 7. |