先輩に乾杯!

探検部出身、秘境・辺境ライターとして
未知なるものを追いかけ続ける 高野 秀行さん


photo by Kiyoshi Mori
たかの・ひでゆき
1966年東京生まれ。早稲田大学第一文学部仏文専修卒。在学時には早稲田大学探検部に所属。卒業後、チェンマイ大学講師を経てフリーライターに。著書に『幻獣ムベンベを追え』、『巨流アマゾンを遡れ』、『ビルマ・アヘン王国潜入記』、『ワセダ三畳青春記』、『アジア新聞屋台村』など。
【URL】http://www.aisa.ne.jp/takano/

 成り行き…。一見、流されているように見えて、実はその時々に小さな決断を無意識に重ねているものなのかもしれない。本学探検部の部員として在学中にライター・デビューを果たした高野さんの、破天荒でいて真面目なフリーランス生活から、あえて組織に所属しない生き方を見てみよう。

幻の怪獣を追ってアフリカへ、それが人生の一大転機に

 創立50年という歴史を誇る早稲田大学探検部。その出身者の中でも異才を放つのが高野さんだろう。大学在学中に作家デビュー。以後、フリーランスの立場で世界を渡り歩いている。「子どものころから川口浩探検隊やインディー・ジョーンズに憧れていました」。探検部に入部したのも、当然、未知の世界の探検ができるものと思っていたから。だが実際は、登山をしたり、洞窟に潜ったりとどちらかというと地味な活動ばかり。本人が考えていたような探検はできなかった。やがて高野さんの心の中に本格的な「探検」をしてみたい、という気持ちが膨らんでいった。そしてとうとう探検部創設以来最大の企画をぶち上げてしまった。それがアフリカはコンゴのジャングルの奥に生息するという幻の怪獣モケーレ・ムベンベ探しである。これが高野さんのその後の人生を大きく決定付けることになるとは、本人も想像だにしていなかった。

幾多の苦難を乗り越えて、たどりついたのは作家デビュー

 1988年当時、日本はコンゴと国交がなく、ビザも取れない。当然、現地からの情報も限られていた。とにかく現地に行くしかない。手当たり次第に手紙を書いた。当時の総長からの推薦状まで取り付けた。スポンサーからカメラや望遠鏡などの機材の提供も受けた。そしてようやく調査許可が下り、高野隊長率いる総勢11人のコンゴ遠征隊が結成された。

  調査拠点となるボア村へは、コンゴの首都から飛行機、トラック、丸木舟を乗り継いで丸3日。そこからジャングルを徒歩で60q。ようやくムベンベが生息するというテレ湖までたどりついた。「調査期間は外国の調査隊より長い40日間。24時間体制でムベンベ探索に臨みました」。ジャングル生活は苦難の連続だった。マラリアを発症した者も出た。食料不足の危機にも遭った。だが幻獣は発見できず、命からがら帰国。その様子が、新聞記者をしていた探検部の先輩によって大々的に紹介され、それが縁で単行本『幻獣ムベンベを追え』を書くことに。「学生だからどう書いていいのか分からなくて。それで友だちに話すように書いたら、思いのほか受けてしまって…」。さらにその本を見た出版社からすぐさまアマゾンの本の執筆依頼もきてしまった。結局、成り行きで在学中に2冊の本を上梓。ここに秘境・辺境ライター、高野秀行が誕生したのである。

大学を7年で卒業。以来、フリーライターとして活動を

 大学生活も6年目、タイで日本語講師を探しているという話がきた。唯一の条件は大学を卒業していること。そこで必要な単位を取得し卒業。チェンマイ大学で1年間講師を勤めた後、フリーライターとなる。以来、ミャンマーでアヘン栽培するゲリラの拠点に潜入したり、東南アジアの密林を踏破したり。最近はまた未知なる怪獣を探しにトルコへ出かけた。

  「よく考えたら学生時代の延長のような生活です。でもフリーで活動するのは、生易しいことではありません。自分で何でも決められる自由はあるが、常に取材していないと食べていけない」。自分の人生は自分のものでしかない。企業という組織に入っても、結局は自らの働きや決断が自分にはね返ってくる。運不運も、突き詰めてみれば実力のうち。そう考えれば、どんな仕事でも納得してできるはず。「自分は今何をすべきか。それさえ見えていれば、乗り越えられないものはない」。フリーという厳しい世界を歩いてきた高野さんだからこその後輩へのアドバイスである。

(2006年10月26日掲載)

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First drafted 2006 October 26.