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研究最前線
「待遇コミュニケーション」
 〜大人のコミュニケーションに必要なものとは?〜


蒲谷 宏大学院日本語教育研究科教授
蒲谷 宏(かばや・ひろし)大学院日本語教育研究科教授
1979年早稲田大学第一文学部卒業、86年同大学院文学研究科博士課程修了。82年から同語学教育研究所助手となり、専任講師、日本語研究教育センター助教授、教授を経て、2001年より現職。

 社会に出ていくにあたり、「敬語」は避けて通れない大きな問題だ。正しい敬語とは何か、どうやったら間違いのない敬語を使えるのか、と考えている人も多いであろう。実際、「正しい日本語」、「敬語の誤用」を扱った書籍も数多く出版されている。

  しかし「最も大切なのは、型通りの敬語を完ぺきに使いこなすことではなく、敬語の構造を認識した上で、状況に合わせて気持ちを込めた表現をすることである」と、大学院日本語教育研究科教授の蒲谷宏先生は語る。人と人との関係や状況に応じたコミュニケーションである「待遇コミュニケーション」の研究教育を進めている先生に、「敬語」とは何か、お話を伺った。

敬語の5つの要素、「場」「人間関係」「きもち」「なかみ」「かたち」

 「よく、初めて会った人にも『お世話になっております』という表現を使う人がいますよね。これは、決まり文句をそのまま言っているだけです。昨今では敬語の誤用などに意識が行きがちですが、それよりも、気持ちの入っていない形だけの敬語を使うことに疑問を抱きますね」と語る蒲谷先生。敬語を使うにあたり大切なのは、「場」、「人間関係」、「きもち」、「なかみ」、「かたち」、の5つの要素だという。

「場」、「人間関係」「きもち」「なかみ」「かたち」

  「まず、いつどこで(『場』)、誰が誰に(『人間関係』)ということによって表現が変わりますね。この『場』と『人間関係』は『場面』と総称することも可能です。さらに、自分が伝えたい意図・意識(『きもち』)があり、その時々の状況や経緯を認識して表現内容(『なかみ』)を選び、それを適切な表現形式(『かたち』)に乗せる。これが、大人の敬語コミュニケーションだと私は考えています」

  では、「形だけの敬語」になるくらいなら、尊敬できない相手、気持ちが乗らない相手に敬語を使う必要がないのかというと、そんなことはない。尊敬の有無だけでなく、それぞれの立場、役割、状況に配慮することも大事な要素なのだ。「尊敬できない相手でも自分を欺いて敬語を使え、という意味ではありません。立場や状況を踏まえて認識を切り替えられるのが、大人のコミュニケーションなのです。もちろん、コミュニケーションは『かくあるべきだ』と決まっているものではありませんので、『尊敬できない相手に敬語など使いたくない』というならそれも結構です。コミュニケーションとは、大きく言えば生き方の問題。自分がどういう自分でありたいかという信念の表れでもあるのです。ただし、自分だけが信念を持ってぶしつけな態度を取ったところで、相手や皆が納得するわけではないということを認識した上で行動すべきですね」

敬語の原理を知ってこそ、形が生きてくる

 気持ちの込もった敬語を使うには、敬語の構造を知ることも必要である。その一例として、蒲谷先生は「どなたでもお気軽にご利用できます」という表現を挙げた。

  「使っている人は『利用できます』に『ご』をつけたのだから敬語だと思うかもしれません。しかし、『ご説明できます』という言い方から考えてみれば分かるように、これは『私』が『あなた』に『説明できる』という謙譲語の形になっている。つまり、この『ご利用できる』は、相手に謙譲語を使っていることになるのです。これは『ご利用になれます』とすれば、尊敬語に変えることができます。さらに、「ご利用になれる」=「あなたが利用できるよ」という意味から、「ご利用いただける」=「私どもがあなたに利用してもらえる」という意味に変えることもできるのです」

  ここには、「皆さまが利用するということは、私どもにとって非常にありがたい」という感謝の気持ちが入るのだそうだ。しかし、それを理解した上で話している人は非常に少ない。形で覚えて深く考えずに使っているのが現状だ。

  「そこにそんなに目くじらをたてるわけではないのですが、原理があると分かった上で使えば形が生きてくるのです。形だけでもきちんと使えることは必要なのですが、それだけでは『きもち』不足になりますね」

  ほかにも、昨今よく使われる「書いていただいてもよろしいですか」という言い方。これは「書いていただけますか」と『依頼』するところを、「いただいてもよろしいですか」と表現することによって、『相手に許可を求める』形に変えたものだ。敬語には、自分が行動するような表現の方が丁寧になるという性質がある。相手を動かすのではなく、相手に「決定権」を与え、自分が行動してよいか求めることによって、より丁寧にしようとしているのだ。

  「これを『変な表現だ』という人もいますが、そもそも敬語には断定しない性質があるのです。たとえば、『お書きになる』という敬語も、『書く』という動作だけでは直接的なので、『お書き』という状態に『なる』という言い回しにしたのですし、『あなた』=『彼方』という言葉も、場所を特定していない婉曲的な言い方であり、今に始まったことではないのですよ。そういった敬語の原理や構造を知ることで、敬語を使うときにただ形だけで言っているのではなく、気持ちを込めて言うことができるようになると思います」

学生時代からどんどん コミュニケーションをとってみよう

 「社会があって、卒業したらそこへ入っていくのではなく、コミュニケーションをした時点で社会が生まれるのです。傷ついたり傷つけられたりすることはもちろんありますが、実践を恐れずに、人に対する関心に基づいたコミュニケーションをどんどん取ってみましょう。実際に話してもいいし、メールでも、電話でも構いません」と、蒲谷先生は語る。生きていく上では楽しいコミュニケーションばかりではなく、不快な相手と話したり、友達や家族に対してもときには文句や意見を言わなければならない場合も生じる。そんなとき、状況によって適切な言葉を判断することが肝要なのだ。

  「若いころは敬語を使う状況が少ないため、誤って使ってしまっても仕方ありません。それよりも、相手や状況を考えて行動するという意識を持っていることの方が大切なんです。そうすれば、社会に出てからは言葉を磨いていけばいい。逆に、気持ちを整えていない状態で急に敬語を使うと、取ってつけたようなおかしな敬語になってしまうのです」

蒲谷先生にご紹介いただいた
 敬語を学ぶための本

 2005年、文部科学大臣の諮問により、文化審議会国語分科会において、敬語に関する具体的な指針を作成することになった。文化審議会委員も務める蒲谷先生は、答申に関する具体案を執筆中。これは、敬語が必要だけれども、現実の運用に際しては困難を感じている人たちに対して、敬語の適切な運用に資する指針を作ろうとするものだ。この秋には草案が出される予定である。

 そんな蒲谷先生に、敬語を学ぶ際お薦めの本を紹介していただいた。

  • 『敬語表現教育の方法』蒲谷宏、川口義一、坂本惠、清ルミ、内海美也子 著
  • 『敬語表現』蒲谷宏、川口義一、坂本惠 著
  • 『早稲田日本語教育の歴史と展望』早稲田大学大学院日本語教育研究科 編

待遇コミュニケーション研究室

 「待遇コミュニケーション」とは蒲谷先生ご自身による造語。もともと研究の世界では、敬語や友人・家族同士の会話、口論など、広い範囲で表現をとらえる「待遇表現」という言葉が一般的に使われている。しかし、「待遇表現」だとどうしても表現の方に重点が置かれてしまう。そのため、それだけではなく理解する観点からもとらえていきたいという発想から「待遇理解」という概念を含め、「待遇表現・理解」を総称して「待遇コミュニケーション」としたのである。

  これに伴い、2001年、大学院日本語教育研究科に設置された「待遇表現研究室」は、2003年4月に「待遇コミュニケーション研究室」と改名。現在は、「待遇コミュニケーション」に関するさまざまな実態や意識を明らかにするとともに、「待遇コミュニケーション」の教育・学習に関する調査、研究を進めている。また、学内外の教員・学生で構成されている「待遇コミュニケーション研究会」では、月1の研究会と春・秋の講演会などの活動を行っている。
 【URL】 http://www.gsjal.jp/kabaya/bibs.html

「敬語コミュニケーション」の授業風景
▲ 蒲谷先生が受け持っている「敬語コミュニケーション」の授業風景

(2006年10月12日掲載)

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First drafted 2006 October 12.