先輩に乾杯!

大病を乗り越えて、塗装業の世界に飛び込んだ、 「西北ペンキ屋さん」こと
 松井 知明さん


松井 知明さん
まつい・ともあき
(株)いずみホーム代表取締役。1973年東京都生まれ。日本大学第三高等学校卒業。92年商学部入学。卒業後、司法書士を目指す中、「クローン病」を発症。約半年の療養後、建設会社を経て、弟の営む塗装業の世界へ。現在は立川市で総合リフォームなども手がける。「西北ペンキ屋さん」の名前でつづられたブログ「早大卒の異色のペンキ屋奮闘日記」には、松井さんの人柄があふれる。
【URL】http://www.izumi-home.jp/

 今回紹介する先輩は、自称「西北ペンキ屋さん」。塗装業という業種も、彼の身に起こったつらい経験も、多くの学生がたどる道ではないかもしれない。だが、すべての早稲田人が共鳴すべきことが、ある。それは、逆境にこそ自分の真価は問われる、ということ。予期せぬ悲劇に屈せずに、辛抱強く一歩一歩進んでいく道のり、生き様は、そのまま人生讃歌と言い換えられるだろう。

充実した生活を襲った突然の難病。「それでも生きているじゃないか!」

 学費を自力でかせぐ苦学生だったが、充実していた学生生活。「弱者の味方になろう」と、商学部生ながら卒業後に目指したのは「町の法律家」といわれる司法書士。「契約社会といっても、中小企業では"引っかかる"(未払いのまま取引先に夜逃げ・倒産される)ことがよくあるんです。塗装業を営んでいた弟が苦労する姿を見ていましたし」。司法書士の事務所に勤めながら、資格勉強に励む日々。未来への手応えが確かにあった。

  そんな日々が突然崩れ去った。腹部に「その日その日の死を覚悟する」ほどの激痛が走った。尋常ではないと直感。入院すると実家の家計を窮迫させると受診を拒み続けたものの、とうとう限界に。検査の結果、宣告された病名は難病にも指定されている「クローン病」。数万人に一人の割合で、原因不明の潰瘍が消化器官に起きる病気だ。「一生治りません」。そう、医者から言われた。

  仕事を辞め、実家での療養生活。「目覚めると悪夢が始まる日々でした」という言葉の裏には筆舌に尽くしがたい苦しみ、悲しみ、焦りを超えた憤りがあったはずだ。だが、絶望の深淵をさまよい続けた末に見い出したのは、「死を覚悟した自分が、今、生きている。ならば、何を恐れることがあるのか」という思い。気を持ち直すと、体調も驚異的に回復。建設会社の営業の職も得て、徐々に社会復帰をはたしていった。

「西北ペンキ屋」誕生。職人の世界に飛び込み、鍛えられた仕事観

 時を同じくして、弟から手助けを求められた。"引っかかり"に遭い、資金繰りがつかず会社が機能停止の状態だという。「社会に必要とされていないと絶望していた私を必要としてくれた。それだけで充分でした」。共同経営者として再出発。主に営業を担当しながら、現場にも足を運び、職人の世界に飛び込んだ。時に怒鳴られ、時に酒を酌み交わし、一から仕事を必死に教わる中、ペンキひと塗りにも存在する職人たちのプロ意識、職業倫理、プライドに気付く。「入れ墨をする奴、『永ちゃん』を崇拝する奴、けんかっ早い奴…、そんな職人たちはまっすぐな奴が多いんですよ」。職人が納得できる仕事をとることが、自分の仕事だと気付いた。現在は塗装業のほかに、リフォーム業なども展開し一般の顧客も獲得。「リフォームはお客さまと長い付き合いになる。職人のこだわり・職業倫理が生かされます」。営業、現場監督、経営と駆けずり回る毎日。突然の発注、無理難題な依頼にも、一つひとつ丁寧に満足のゆく仕事を行い、着実に歩んでいる。

遠回りしても、我慢強く一歩一歩。それこそが目標にたどり着く道

 大卒でペンキにまみれて働く松井さんを揶揄する人もいた。焦燥感に駆られたこともあった。だが、現場での経験が現在の仕事へのこだわりを生み、病気を克服したからこそ生きる喜びをしっかりと感じ取れている。「苦労はしたけれど、無駄だったことは何一つありません。人生思い通りに進まないことも多い。でも、決意したことに向かい、我慢強く一歩一歩進めば、たどり着けることもまた事実ではないでしょうか。焦る必要はない」。まだまだ認知度の低いクローン病のことをいつか世間に広く伝えていき、さらに同じ病気に苦しむ人を雇用する、それが今、しっかりと定めた目標だ。「そのためにも、今はこの仕事を必ず成功させます」

(2006年9月28日掲載)

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First drafted 2006 September 28.