投稿コーナー

2006年度前期分 目次





進取の精神 ―會津八一の新しさ―


 會津八一(1881―1956)は昭和初期に早稲田で美術史等を講じた学者であり、また歌人・書家として幅広く活躍した芸術家である。学内には、會津八一記念博物館もあり、早稲田の学生なら、名前は知っているだろう。私は短歌が好きで、高校時代に読んだ八一の歌のとりこになり早稲田に入ることを決めた。しかし、入学してできた友人は誰も八一について知らない。そこでせんえつながら少し八一の紹介をさせていただきたい。

  八一の思想を端的に示すものとして、彼の作った学規があげられる。

   一 ふかくこの生を愛すべし
   一 かへりみて己を知るべし
   一 学藝を以て性を養うべし
   一 日々新面目あるべし

  実に真摯で、重みのある言葉であるが、今注目したいのは第三条である。近代は極端な専門分化の進んだ時代であるという。それは文芸の世界に至るまであらゆる分野に及んだ。八一はこのような専門分化を嫌い、学問(研究)と芸術(和歌や書など)両方において自己を表現している。その両方で自分を完成させるのだ! と彼は主張しているようだ。この第三条には、近代の歪んだ専門分化を打破せんとする八一の気概と新しさを見ることができるだろう。まさに「進取の精神」である。

  八一は奈良の美術を愛し、多くの歌を詠み、専門にまでしているが、八一が奈良を旅し始めた明治時代に奈良美術の真価を見出す者はほとんどいなかった。この点でも時代を先取りしている。その他にも、八一は素晴らしい芸術的能力があるのだろうが、まだこの巨人の一端に少し触れたばかりの私にとっては分からないことばかりである。また會津八一記念博物館には八一の書、作品の傑作が多く収蔵されているので、皆さんもこの偉大なる大先輩の芸術性を実際に見て感じてほしい。

第二文学部1年 植竹 雄太

(2006年7月20日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 July 20.



ノーベル化学賞受賞者との語らい


 インタビューの当日、待ち合わせ場所で、僕は緊張しながら、取材の流れを頭の中で何度も確認していた。約束時間の5分前、「おぉ、久しぶり」と笑みを浮かべ、近づいてくる人がいた。

  その人とは、2000年度ノーベル化学賞受賞者、筑波大学名誉教授である白川英樹先生だ。

  白川先生と知り合ったのは、昨年学外の私塾で活動していた時だ。そこで、同じ班員として農業について勉強するという幸運に恵まれた。そして今回、取材を申し込んだところ、時間を割いて応じてくださることとなった。

  化学に関して全くの門外漢である私は、先生の「人生論」を伺うことで今後の人生を歩むにあたってのヒントを得ることを目指した。

  白川先生が、化学の道を志した動機は、少年時代の経験が相当に大きいという。高校まで、自然豊かな飛騨の高山で過ごし、大学でも山岳部で活動するなどして、しぜんと自然への深い洞察力を身に付けたという。先生の場合、化学者という職業は、天職に他ならないともいえる。先生の穏やかながら、その言葉の節々から滲み出る化学への思いに私は圧倒された。

  そんな先生に、私はひとつ質問した。「職業を選ぶにあたって、一番大切だと考えることは何ですか」。すると先生は、少しはにかんだような表情をしながら次のように答えた。「とにかく好きで好きでたまらないことを仕事にすることだよ」

  私も早稲田で、三度目の春を迎え、自分の将来を真剣に考え始めている。好きで好きでたまらないことを徹底的に「した」ことで、世界から最高の賞賛を受けた先生からいただいたこの言葉は、将来を考える上での、ひとつのコンパスにするつもりだ。

  「化学者」という言葉から連想されるいかつい印象は微塵も感じさせず、溢れんばかりの鷹揚さで一大学生の拙いインタビューに応じてくれた先生に心から感謝したい。

商学部3年 人間取材部代表 安倍 大資

人間取材部では、学生、社会人、有名無名関係なく「この社会で同時代に生きるすべての人が対話の相手であり、教師であり得る」をモットーに「直接会って語る」活動をしています。興味のある方は次のアドレスまでどうぞ。
【E-mail】abenet888@yahoo.co.jp

(2006年7月13日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 July 13.



祖母と私と上級救命技能認定


 私は祖母と同居している。祖母は重い糖尿病という持病があることと、88歳という高齢であることから時折自宅で倒れてしまう。「祖母にもしものことがあったときにすぐに役立つ知識がほしい!」そう思っていた矢先に出合ったのが、早稲田大学で開催された「災害救援ボランティア講座」だった。

  講座自体は災害時の人命救助等で役立つように構成されていた。受講することで、災害時にセーフティーリーダーとなれる資格と同時に、上級救命技能認定を与えられる。受講生は3、4日程度、朝から夕方までかけてその講座内容をじっくり学ぶ。また学生であるなしを問わず、誰でも1万円前後の費用を払うことで受講できるものだ。

  この講座で上級救命技能認定をもらうべく講習を受けることにした。止血法や心肺蘇生法(気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ)の他にもロープワークや簡易担架の作り方、AED(自動体外式除細動器)の使い方も習った。実践的なこの救命講習こそ私が最も学びたいと思っていたものだった。

  特に止血法と心臓マッサージは、祖母に対して行うことになり得る応急手当だ。実際にこの講習を受けたことによって、祖母の体調が悪そうな時でも私がただ慌てて不安になるようなことは少なくなった。私自身の応急処置に少し自信を持つことができたからだと思う。現在でも時々これらの応急手当の仕方や学んだことを確認したりしている。ただ、応急手当ですべてが解決できるわけではない。祖母が常に元気でいてくれて、このような技術を使う機会がないことが一番好ましい。

  夏も近づき、祖母が庭に植えた「にがうり」の苗が日々成長していく姿を祖母と2人で眺め、楽しんでいる。

社会科学部4年 舩村 美保
(国際コミュニティセンター 学生スタッフリーダー)

(2006年7月6日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 July 6.



ジャワ島中部地震救済募金活動


募金活動の様子
▲ 募金活動の様子。一番左が筆者

 2006年5月27日未明に、ジャワ島中部、ジョクジャカルタ特別州でマグニチュード6.3の大地震が発生した。この原稿を執筆している6月中旬までに、死亡者6234人、負傷者3万人以上、14万棟以上の家屋が倒壊し、78万人の人々が家を失ったという大被害が報告されている。現在、多くの被災者は、簡易シェルターで豪雨と猛暑から一時的に身を守っている。医療活動、避難所、毛布、衛生的な水などの供給が急務とされ、更なる復興への援助が、被災者の困難を緩和するために必要だ。

  インドネシア出身の私は友人と共に、アジア太平洋研究科の職員の方のアドバイスを受け、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)へと足を運んだ。WAVOCにて、早稲田大学でのジャワ島地震救済募金活動の許可証が迅速に発行され、早稲田大学インドネシア留学生会とWAVOC共同で、5月31日から6月7日まで募金活動を実施した。インドネシア人学生だけでなく日本人学生も、ボランティアとして一緒に活動した。友人や先生方から、また事務所の募金箱を通じて寄付を募り、その結果、総額25万3059円の多額の募金を集めることができた。いただいた募金の全額は、6月8日、WAVOCを通じてインドネシア赤十字社(Bank Central Asia)「ジョグジャカルタ地震被害救済募金」に送金された。

  ご協力いただいたWAVOCの皆さん、ならびに私たちに温かいご支援をくださった皆さんに、心からお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

■インドネシア赤十字社
【URL】http://www.palangmerah.org/default.asp?stat=eng

アジア太平洋研究科 修士課程1年  Nugroho Ganjar
アジア太平洋研究科 修士課程1年  井上 智映子 (日本語訳協力)

(2006年6月29日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 June 29.



早大生として


 先日、総長候補者信認投票に行った。早稲田大学に入学してまだ2カ月の私が総長候補者に対して投票するのは厚かましいかもしれないが、これから4年間の大学生活の中で誰が総長になるかで大学生活に少なからず影響するだろうと思い、投票に行った。投票所に行くと他の学生は誰一人いなかった。最初は昼休みに行ったから空いているだろうと思った。しかし投票所の係員に「来てくれてありがとう」というようなことを言われ不思議に思った。

  6月1日、私は『早稲田ウィークリー』で投票結果を見た。それを見たとき私は驚いた。なんと投票者はわずか321人で投票率は0.6%だった。このような人数では当然不信認を受けた候補者はいなかった。

  私はこの結果に失望した。なぜなら大学の舵取り役である総長を決める4年に1度の選挙に5万人以上の学生が関心を持たなかったからだ。確かに選挙期間は短いし、選挙に行くのは面倒で、自分が投票しても結果は変わらないかもしれないが、大学に自分の意見を主張できる少ない一つの機会だと思う。参加することに意義があると思う。このような権利を放棄して選挙に対し暗黙の了解をしておきながら大学や総長に対して意見を言う人がいるが、このような人に意見を言う資格があるだろうか? 私はないと思う。

  私は今回の結果を見て、今後の総長候補者信認投票の在り方を考えるだけではく、一人ひとりが大学に対する考え方を変えなくては創立125周年を迎える早稲田大学をさらに素晴らしい大学にすることは不可能だと思う。

(理工学部1年 ペンネーム:数学大好きなちょっとかわった早大生)

(2006年6月22日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 June 22.



猛毒だったダイオキシン


 皆さんは理科に興味を持っているだろうか。高校で物理や数学を勉強しなかった人でも、ダイオキシンと言われればすぐに猛毒という言葉が思い浮かぶのではないだろうか。これは間違いではないが、実は的確とは言えない。

  ダイオキシンの学問的な定義は「環内に酸素原子を2つ含む六員環不飽和含酸素複素化合物」で、ダイオキシンに分類される物質は222種類もある。その中で最も毒性が強いのはTCDDと呼ばれている。人体に対して危険とされるダイオキシンはTCDDを含めて17種類あり、その他のダイオキシンの毒性はTCDDの1%未満だ。

  ダイオキシンは空気中に極微量に存在している。平成11年に制定されたダイオキシン類対策特別措置法では、この量を減らす目的で家庭でのたき火などが禁止された。しかし、人間が摂取するダイオキシンの95%以上は食品によるものなのだ。もし空気中のダイオキシンをゼロにしたとしても、体内のダイオキシンはわずか1%しか減らない。

  もともとダイオキシンは枯葉剤として農薬に使われていた。そのため残留農薬として人体に蓄積していくことが問題となっていたが、昔のように農薬をばらまかなくなった現在ではそれほど深刻でないといえる。またダイオキシンが原因で死亡した日本人はいないのだ。

  そもそも私たちが普段食べる物の中にも毒は入ってる。キャベツは青酸、ジャガイモはソラニンという毒を持っているが、普通の食生活で毒性が問題になることはまずない。

  人の考えは移ろいやすく、マスメディアによって簡単に大衆が操作されてしまう。ダイオキシン法が作られた背景にも、メディアの影響が大きかったといえる。たまには常識を疑ってみるのもいいのではないだろうか?

(理工学部2年 二ノ宮 治)

(2006年6月15日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 June 15.



只今、授業中です!


 「高校生の頃、授業中はどんな時間だった?」と問われれば、こう答えるだろう。「うるさかった」。では、今はどうだろうか? 答えは「静かである」。もちろん全員が授業をまじめに聞いているわけではない。携帯をやっている人もいれば、漫画を読んでいる人もいる。見ているこっちがうらやましくなるほど安らかに寝ている人もいる。しかし、静かである。少なくとも授業の邪魔にはなっていない。だから、入学当初はさすが大学、さすが早稲田、と思ったものだ。しかし、他学部の授業に出ると、たいていは静かだが、たまに、しゃべっていて先生に注意される学生がいる。

  自分が古い考え方の人間と言うことは重々承知しているが、一言、言いたい。「寝てろ!」と。目の前で寝ている人を見ていると、無性に腹は立ってくるが、でもまあ視界は開けるのでそれはそれで良しと思う。単位を取れればいいじゃないかと言う人もいるだろうが、自分はそうは思わない。せっかく、時間と金をかけて大学に通っているのだから、何かしら身に付けたい。

  確かに、授業を一字一句聞き漏らさないで集中するのは無理だろう。だからこそ、最低限他人の授業の邪魔はしないだけのモラルは欲しいものだ。サークルや飲み会、アルバイトと大学生活を充実させている人もいるようだが、そこに勉強が入っていることも忘れないでほしいと思う。多くの人は大学生でいるのは4年間という限られた時間である。この4年間というのは学ぶには短い時間だが、浪費するにしては長すぎる時間だ。だから、将来、「大学生のころ、授業中はどんな時間だった?」と問われたとき、「他人の邪魔をしていた」と言うことだけはないようにありたいものだ。

(理工学部物理学科2年 ペンネーム:マイノリティな早大生)

(2006年6月8日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 June 8.



草の根国際交流inスリランカ


 私は2006年の春休みにアジア野球交流会という団体でスリランカへ行った。その目的は、スリランカ人と「野球」をするためである。

  私たちは首都コロンボにあるロイヤルカレッジという学校の生徒たちと野球をした。言語はほとんど通じなかった。みんな体当たりのボディーランゲージで、ウォームアップから一緒に混ざって、キャッチボールやノックなどをして汗を流した。また野球用品の寄付を行い支給した。そして交流試合も行い白熱したゲームが繰り広げられた。さらにコロンボにある日本人学校の生徒たちも野球交流に加わり、一緒に野球をして楽しんだ。とても新鮮な経験だった。

  初めて出会った異国の地の学生たちと何かしら分かり合えたものがあった。スリランカ人のスマイルや、試合後に踊ったダンスはいつまでも忘れない思い出である。知らない人と話すことがここでの経験を通して楽しいと思えるようになった。初めて素手でカレーを食べたり、スリランカのマーケットで買い物をしたりとスリランカを肌で感じるとても充実したツアーだった。

  口で言うのは簡単なことだが、一歩踏み出して実行に移すのはなかなか難しいことである。この活動を通して一番強く感じたことだ。ツアー客のようにくっついていくのではなく、自分たちがやりたいことを、自分たちの手で作り上げるこの交流ツアーは、私にとって草の根精神を育むすばらしい機会となった。特に海外での交流は新しい世界を開く格好のチャンスである。

  私は自分が小さいころからやっていた野球を通して刺激的な体験をすることができた。普段では味わえない非日常の世界は日常を送る上でのスパイスのように私の心に残っている。皆さんも長い休みを利用して新しい世界の経験を積むことをお勧めする。

■ アジア野球交流会
【URL】http://love-the-baseball.com/

(社会科学部3年 安田 道桜)

(2006年6月1日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 June 1.



祭りを創るということ〜Waseda International Festival〜


 6月12日、13日に留学センターとの共催でWIF(Waseda International Festival)が行われる。早稲田に集まる留学生が主体となって各国のダンス、音楽、ファッションショーなどを日本人の学生とともにパフォーマンスしたり、ブースでの紹介を通して早稲田に存在する多種多様な文化を肌で感じ、理解し合うお祭りである。

  早稲田には2千人を超える留学生がいることをご存じだろうか? 昨年の暮れにWIFを企画するまで、私はそのことを知らなかった。それどころか早稲田に留学生の友だちは一人もいなかった。留学生と関わりたいとずっと思っていたが勇気が出なかったからだ。 だから私は早稲田を出て、アメリカに留学した。そこで出合ったのがインターナショナルフェスティバルであった。各国から来た留学生が主役のお祭りで、そこで私は日本の踊りのチームを作り、さまざまな国の人と一緒に踊った。毎日のように孤独感と劣等感と闘っていた私にとって、初めて留学生である自分を、そして日本という文化を大きな拍手で受け入れてもらったことは涙が出るほど嬉しかった。

  最高の思い出を胸に日本に帰ってから、自分にできることは何かと考えた。「インターナショナルフェスティバルを創ることで、早稲田に来てくれた留学生にいい思い出を作ってもらいたい!」。その思いを原点にして仲間に呼びかけ、留学センターの支援を得てゼロからWIFの立ち上げを目指した。1月下旬、初めての説明会に来てくれたのはたったの3人。しかし徐々に仲間が増え、何度も会議を重ねて広報した結果、4月下旬の参加者説明会には70人を超える人が集まってくれた。私が就職活動で忙しい時も支えてくれた仲間には本当に感謝している。

  私自身、WIFに向けてパプアニューギニアからの留学生に歌を教わっているが、彼の「練習に来てくれてありがとう」はどんな言葉よりも心に響く。WIFはイベントでも、サークルでもない。留学生が主役の「祭」である。

  この祭が今年からずっと続いていくことを、そして早稲田から日本中に広がっていくことを願って、第1回WIFを6月12日、13日に行う。ぜひ、足を運んでほしい。一緒に祭りを創りましょう。

【URL】http://wif2006.waseda.st/about.html

(人間科学部5年  WIF代表 大原 学)

(2006年5月25日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 May 25.



私とサークル、サークルと私


 私は今、早稲田大学で国際交流を目的とする早稲田大学国際学生友好会(通称WIC)というサークルに所属している。

  国際交流というと「真面目だな、堅そうだな」という印象を受けることが多いが、このサークルに一歩足を踏み入れれば、そんなイメージが吹っ飛ぶこと受け合いだ。

  だからといって、遊んでばかりのサークルというわけではない。みんな真剣に、良い意味で大学生活を満喫している。そして何よりここにはどんな人でも受け入れる居場所がある。それこそが国際交流を目的とするこのサークルの本髄なのかもしれない。

  最近、早稲田のサークルの非常識な活動に対する批判をしばしば耳にする。自分たちだけが楽しめば良いなどという考えはもっての他である。自分がされて嫌なことは人にしない、こんなことすら守れないようであれば、人としてどうかしていると思う。

  私はこのサークルで、国籍の枠を越えたさまざまな人と出会い、人と触れ合うことで成長できることの素晴らしさや、百の言葉よりも一つの行動が持つ重みを痛感し、数多くのことを学ぶことができた。

  「たかが」サークルと言う人もいるだろう。事実私自身、自分がこのままこのサークルにいて良いのだろうかと感じたこともあった。しかし、「たかが」に必死になって、泣いてわめいて笑って喜んでまた泣いて、こんなことができるのは、今の大学生活だけだと思う。

  人から見れば、貴重な大学生活の無駄遣いだと思われるかも知れない。それでもこの早稲田大学でしか得られないものを、私は今つかみかけている気がする。

  何年後かに、ふと見上げた青い空に私は何を思うだろう? 願わくば、青い空に悠然と建つ大隈講堂と通いなれたキャンパス、そして友人たちと過ごした楽しい日々であってほしい。

(政治経済学部3年  庄子 明由美)

■早稲田大学国際学生友好会 (通称 WIC)
【URL】http://wic50.com/

(2006年5月18日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 May 18.



雨月物語と西洋人が抱く日本のイメージ


 私は3年前に早稲田大学にスペインから1年間、交換留学生として在籍した経験がある。帰国後、スペインのバレンシア大学で、日本の伝統芸能と邦画について研究している。昨年9月から半年間、文学部の交換研究員として再来日した。

  私は、邦画の中では特に溝口健二氏の作品が大好きだ。中でも「雨月物語」という映画は私にとって特に魅力的である。

  この映画は1953年に上田秋成の「雨月物語」を原作に制作された。原作は9つの物語から成る、そのうちの3つの物語と「浦島太郎の伝説」「Decore」(フランス人作家Guy De Maupassant著)を合わせて脚本が作成された。

  桃山時代末期、有名な陶工になりたい源十郎とその妻宮木、偉い侍になりたい藤兵衛とその妻阿浜(源十郎の妹)を主人公とする物語だ。

  この映画では時代物と幽霊物という日本で人気のある二つのジャンルの要素がミックスされている。また、西洋人好みの純日本風の特徴がよく表われている。しかし、それだけではなく、映画は巧妙な作りと絶妙な芸術性に加えて、微妙な雰囲気をも併せもっている。それは16世紀末の内乱のリアリズムとあの世の幻想性からきていると私は思う。

  映画が制作されたのと同じ年に「雨月物語」はベニス国際映画祭で上映され、銀獅子賞を受賞した。西洋で初めて放映された邦画というわけではなかったのに、この作品はすぐにヨーロッパ人にとって、最も中世日本の代表的なイメージを表わす映画となった。

  黒澤明氏の「羅生門」や衣笠貞之助氏の「地獄門」も素晴らしい名作で、海外では皆知っているほど有名だが、「雨月物語」ほどの美しい怖さと夢想的なエッセンスは持っていないと思う。やはり溝口健二氏の作品は西洋人が想像する伝統的な日本の魅惑のイメージを要約しているのではないだろうか。

  まだご覧になっていない方がいらしたら、ぜひ観てほしい!

Raul Fortes Guerrero (ラウル フォルテス ゲレロ)
文学部交換研究員(2006年3月帰国。9月に再来日予定)

(2006年5月11日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 May 11.



100キロハイクに参加しよう!


  皆さまご存じ「本庄〜早稲田100キロハイク(通称:百ハイ)」が今年も、5月13日(土)・14日(日)の2日間にわたり開催される運びとなった。われわれ昂揚会の先人らが立ち上げてからはや44回…、毎年のように足を運んでくださる方がいる一方で、初参加という人も少なくない。そこで今回は主催者側から、主にビギナー向けにアドバイス(?)を示そうと思う。

   とはいえ、荷物・服装・歩き方といった基本事項については、われわれが参加者に配布するパンフレットに仔細に書いてあり、熟読すればおおよそのことは分かるので、初参加者でもそれほど心配する必要はない。

   参加当日までの準備だが、この紙面を見ている今からいきなり「肉体改造をしよう!」などというのは、あまり得策でない。むしろ、疲労・怪我のケアの方法や、ネット上に数多く転がっている百ハイ経験者の体験談を読みあさるなどして情報を十分仕入れ、できるだけ良いコンディションで踏破するための方策を学んだ方が、初心者にはベターだろう。後は百ハイの定番となった「仮装」の準備くらいであろうか。

   手前味噌だが、百ハイは数多ある他のウォーキングイベントとは一線を画すものだ。本庄から故郷早稲田を目指して100余キロを、必要以上にまとわりつく仮装を身に付けてひた歩く、いってみればただそれだけのイベントだ。だがこの長丁場を、奇怪な衣装の重さと下半身の痛みに耐えながら、道中行き会った他の参加者と交流をしながら進み、ゴールで互いに喜びを共有する…文字にすると何のことはないが、よそでは得られない「何か」を、完歩した人の「心と躯」に刻み付けられるだけのモノを用意してある、という自負がある。年に一度の異次元を許容する空気がある。あとは参加される諸賢次第でいくらでも楽しくなる。

   ぜひ、今年もこの非日常的イベントに数多くの陽気かつ元気な「馬鹿」が参加されんことを、そして参加者全員が自力で完歩されんことを期待している。

  100キロハイクの詳しい情報は左記URLを参照のこと。
【URL】http://www.komaike.com/html01/100hai.htm

(早稲田精神昂揚会副幹事長 政治経済学部2年 深尾 昌弘)

(2006年4月27日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 April 27.



京都人、上「京」!?


  春うららの4月の初め、私は大都会・東京に越した。実家のある京都にいてる時は、「東下りやでぇ」などと笑っていたが、実際暮らしてみると笑いごとではなかった。たかだか新幹線で2時間半の距離なのに、京都とはちゃう文化・風習に「なんでやねん!」とツッコミを入れたくなることしばしば。

  まず交通。東京路線図を広げてみると、JRメトロ東急都営西武と色とりどりの路線がもずくのように複雑に絡み合っており、目が回ってくる。中でも難解なのは地下鉄だ。ある時、地下鉄を乗り継いだ先で改札を抜けようとしたらピコーンと扉が閉まってしまった。駅員さんに聞いてみると「うちはメトロじゃありませんから料金が違うんですよ、お客さん」。「??」。「地下を走ってる電車が全部メトロなわけじゃないんですよ、お客さん」。駅員さんの説明によると、地下鉄には「東京メトロ」と「都営地下鉄」の2種類あって、別の線なので料金も違うんやそうな(!)。

  次に食事。うどんを注文したらめんつゆ並みに濃い色の汁のうどんが出てきてのけぞった。「これが噂の…」とおののきつつすすってみると、案外普通である。汁の色が濃くても薄くても、塩分量はそんなに変わらへんそうな(ほんま?)。

  さらに言葉。「マクド」を「マック」、「めっちゃうまいやん」を「超おいしいんだけど」と言い換えるこの街では、関西弁は異国語なのであった。しかしオモロイことに、地方出身者が次々と標準語デビューしていく中、関西人だけはやっぱり関西弁を通すのであった。

  新宿駅で迷わなくなり、IC乗車カード「スイカ」を「イコカ」と言い間違えないようになったころ、私は友達も増え、東京暮らしを人並みにエンジョイするようになっていた。「マック」の2階で暮れゆく新宿の街を眺めながら、「東京も悪くないんちゃう?」と、ふとニマッとする関西人であった。

(第一文学部2年 西尾 幸)

(2006年4月20日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 April 20.



新入生の皆さんへ


 「うちのサークルは一気飲み強制とかないから」
 「無理しなくていいからね」

  初めて行ったサークルの新入生歓迎会で、上級生たちは口々に言った。それまで飲み会というものをほとんど体験したことのなかった私は、そんなことをわざわざ言うなんて、変わった先輩たちだなぁと思いながらも、その気遣いに魅力を感じた。調子に乗って一気飲みをしようとする人がいると周りがたしなめる、という温かな雰囲気に惹かれ、そのサークルは4年間、私にとって「第二のわが家」となることになった。

  まだ大してお酒も飲めない新入生に「お祝いだから」と言って一気飲みを勧め、新入生をつぶすことを洗礼のように考えるサークルもあるという。お酒を飲めないことは「恥ずかしい」と考えられ、特に男子学生は、飲めて当たり前、というプレッシャーをかけられる。無理して飲んで、「もう飲めない」と言えないからと、居酒屋のトイレで喉に指を突っ込み、胃の中のお酒を吐き出してから、また飲み会に戻るという話も聞いた。お酒は一体何のためにあるのか。飲めなければ仲間として認められないのか。

  大学生活は泣いても笑っても4年である。その4年を、お酒でつぶしてしまっては泣くに泣けない。新入生歓迎会で一気飲みを強制され、断れずに一気飲みして急性アルコール中毒になって死んでしまったら、あなたと、あなたの家族と、あなたの友達と、これから出会うはずのあなたの大切な人たちすべてが不幸になる。

  断る勇気を持ってください。離れる勇気を持ってください。大学にはたくさんの人がいる。必ず、楽しくお酒を飲める場所、あなたの体を気遣ってくれる人たちが見つかる。 たかがお酒と思わずに、一時の我慢と思わずに、あなた自身の未来のため、本当の居場所を見つけてほしい。

(2006年3月 第一文学部卒 子安 美樹)

(2006年4月13日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 April 13.



社会人になって後悔しないために


 皆さん、ご入学おめでとう。私は、本学法学部を卒業して10年ほど社会人を経験した後、勉強したい気持ちをどうしても諦め切れずに再び第二文学部に学士編入をした。その経験から、「後悔しない大学生生活を!!」について、ひと言書かせていただく。

  皆さんはきっと、これから始まる大学時代への希望に大きく胸を膨らませておられることだろうと思う。「大学時代」は、「モラトリアムの時代」などとも呼ばれているけれども、そんな大学時代が、皆さんの人生にとって実に「特別な時代」なのだということを肝に銘じてスタートしていただきたいと思う。

  誰しも、いったん社会に出ると、大学時代がどれほど恵まれた時間であり、環境であったかということを痛感するものだ。社会人は、仕事をして給料をもらって生活しているので、仕事が第一優先だ。必然的に仕事に追われる。そうすると、例えば好きな読書もままならなくなる。大学時代に先生方から勉強についてご指導いただいたり、図書館で思う存分読書をしたり、ホールで音楽を聴いたり、旅をしたり、スポーツに汗を流したり、と自由自在に思う存分勉強できたことがやがて哀しく思い出されるようになるのだ。私自身の乏しい経験でも、会社の同僚たちと昼ごはんを食べながら話したことは大抵「あの時もっと勉強しておけばよかった…」というような後悔の話が多かった。

  だから、皆さんには、卒業するときになって「…そういえば大学図書館を一度も利用しなかったな…」などと呟くことのないように、ぜひとも素晴らしい充実した大学生活を送っていただきたいと思う。

(2006年3月第二文学部卒業 河村 壽仁)

(2006年4月6日掲載)

Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2006 April 6.