こんな授業! どんなゼミ?

2006年度前期分 目次





ドイツ語チュートリアル(応用)
 生駒美喜政治経済学術院助教授・星井牧子法学学術院助教授
 ―ドイツ語! 話そう!―


授業の様子。一番左が筆者
▲ 授業の様子。一番左が筆者

人間科学部4年 寺田 恵理

 この授業は、ドイツ語を母語とする先生との対話形式で少人数制で行われている。受講している学生は1年生から4年生までと幅広く、学部も専攻もさまざまである。

  この授業では、毎回自分たちでテーマを決め、それについて議論する。私のグループでは、何度かドイツの音楽と映画について取り上げた。ただドイツの音楽を聴いて、映画を見て、感想を言い合うのではなく、歌詞や映画の場面、主人公のせりふから、そこに含まれている社会的メッセージを読み解いていく。ドイツの映画には、ベルリンの壁崩壊、ドイツの再統一、また違う舞台設定ではあっても、押し寄せる時代の波に翻弄される人々を描いた作品が多くある。ドイツでのさまざまな出来事の時代的背景、文化的背景を、音楽や映画を通して学んでいった。

最終授業日に開かれるパーティの様子
▲ 最終授業日に開かれるパーティの様子。一番右が生駒先生、一番左が星井先生

  また、毎週の授業の他に2週間に一度ベルリン・フンボルト大学との遠隔チュートリアルが行われている。テーマは毎回異なり、前半は日本の学生がそのテーマについてプレゼンをし、後半はフンボルト大学の学生が写真やビデオを使いテーマについての質問をする、という形で進められている。日本にいながら、ドイツにいる大学生と話をすることのできるとても貴重な機会である。

  普段の母語での会話では気付く機会も少ないが、母語ではない言語で相手に何かを伝えようとするとき、「どうしたら伝わるか」ということを、この授業を通して強く意識するようになった。外国語であろうと母語であろうと、相手に分かりやすく話すということはコミュニケーションにおいて最も大切なことだろう。

(2006年7月20日掲載)

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First drafted 2006 July 20.



オープン科目 「バリ島の村―儀礼・生活編」
―「文化」を知るためのバリ島―


授業の様子
▲ 授業の様子。右列一番前が筆者
バリ島の貴族が儀礼に着用する布を見ながら、作り手の生活や文化を説明する余語先生
▲ バリ島の貴族が儀礼に着用する布を見ながら、作り手の生活や文化を説明する余語先生

第一文学部2年 森田 大地

 「この授業はスパルタです」。バリ島でのフィールドワークのせいか少し日焼けした余語琢磨人間科学学術院助教授は言い放った。バリ島の民俗を文化人類学の視点で研究していくこの授業は、毎回結構な量の英語の文献を手渡される。「バリ・ヒンドゥー」、「神々にささげる供物」、「寺院で行われる儀礼」など授業のテーマは、その都度異なる。受講者は自分のやりたいテーマを選んで、先生から手渡された英語の文献を全訳し、決して多いとは言えないバリ島に関する文献からレジュメを作成し、発表する。質疑応答の時間では突っ込んだ質問も飛び出すので、発表者は気が抜けないが、一方で「文化」に対する飽くなき探究心に瞳が輝いている。

  バリ島の文化は魅惑的だ。バリ島はイスラム教を国教とするインドネシアにおいて唯一ヒンドゥー教を信仰する島である。そのヒンドゥー教もインド由来のヒンドゥー教と古来から伝わる独自のアニミズム信仰とが長い時間をかけて融合し、「バリ・ヒンドゥー」と呼ばれる独特の宇宙観を作り出している。そしてその宇宙観をバリの人たちは儀礼、祭祀、演劇など生活のあらゆる場面で芸術的に表現している。

  西洋の近代的なものさしでは推し量ることのできない文化の独自性を理解することもこの授業の柱だ。特定の地域の文化に対する描き方はどうしても研究者の視点に終始しがちである。バリ島で行われるランダという寺院儀礼を特別に司る日本人の方がゲストスピーカーとしていらした時には、キリスト教的な善悪二元論では説明しきれない世界がバリに存在することを知ることができた。

  この授業の最終目標は夏に行われるバリ島でのフィールドワークである。この授業の姉妹編である「バリ島の村―基層文化体験編」を合わせて受講することで受講者は今まで勉強してきたバリ島の文化を実際に目で見て、手でふれることができるのだ。今までみんなで調べてきたことが現実のバリ島においてどのように符号するのか、単なる資料調べにとどまらない実践的な文化人類学研究がこの授業では可能だ。

(2006年7月13日掲載)

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First drafted 2006 July 13.



テーマカレッジ「異文化コミュニケーション」
   ―身体で体験する異文化―


ディスカッションの様子。中央が筆者
▲ ディスカッションの様子。中央が筆者

第一文学部2年 関根 侑子

 「異文化」という言葉に漠然とした憧れを抱き、単純に興味を持ったのが、私がこの授業を受講したきっかけである。異文化コミュニケーションと銘打つくらいだから、さぞ多くの外国人と出会え、国際感覚が身に付けられるだろう、と安易な期待をしていた。だが、コの字型に組まれた机の顔ぶれを見渡せば、教授も学生も全員日本人である。生身の異文化に触れずして、果たして異文化コミュニケーションを学べるのだろうか?

クラスディスカッション中にコメントをする村田久美子教育学術院教授
▲ クラスディスカッション中にコメントをする村田久美子教育学術院教授

  しかし、この授業で私は自分の考えに対する甘さを知った。というのは、「異文化」の壁は同じ文化圏の人間にも存在し、気付かないほど卑近であるがゆえに乗り越えにくいということである。授業では異文化コミュニケーションに関連する諸問題をさまざまな具体例を通して学ぶ。特色は毎回テーマに沿ったハンドアウトが配られるが、一通り解説を終えた後のクラスディスカッションに重きを置いていることだ。ディスカッションによって意見が交錯し、壁にぶつかると共に、各々が自分を見つめ直す。個々人の持つ異文化という見えない壁を身体で感じる。授業の内容も面白い。ステレオタイプや偏見の問題、中国、韓国などに多く見られるウェスタンネームなど、扱う問題はさまざまだ。台湾人とインドネシア人のTAからは、じかに「異文化」の声が聞ける。

  「異文化」を理解することは容易ではない。私たちは自分の行動が無意識に自分の文化によって制約され、意味付けられているということに気付いてないからだ。しかし、この授業を通して、身近な人間との考え方の違いから、外国間の異文化まで、あらゆる「違い」に目を向け、豊かな感受性や人間性を高めていきたい。

(2006年7月6日掲載)

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First drafted 2006 July 6.



法学部「石田眞ゼミ」 ―魂の労働法―


法学部3年 池口 祥司

 人間のるつぼ、これは私の所属するゼミの形容である。

  私自身は既に1年次から石田眞先生(大学院法務研究科教授)の授業を受講しており、他にも「ゼミはコンパの延長」など箴言を耳にしていた。これには注釈が必要で、当然「コンパ」に第一義があるのではない。コンパの延長、すなわち「ゼミはコンパのように自由闊達な議論の場であれ」という意味であり、名古屋大学時代から培われた先生一流の愛嬌、ユーモアである。また先生は合宿では誰よりも卓球に熱くなり、かつては伊藤眞先生(民事訴訟法)ともバスケチームを結成したほどのスポーツパーソンだ。

  次に、最初の「るつぼ」についてであるが、言葉通りさまざまな人物が出入りする。なぜか缶コーヒーと野菜ジュースを机に用意する人、スローライフに命を懸ける人、傍流に徹する人。進路も企業、公務員、大学院進学と多岐にわたり「るつぼ」であることを物語っている。春合宿では「石田ゼミから出向する気持ちで」、と労働法と絡めた発言をしていた先輩の姿が記憶に新しい。

  ゼミは毎週木曜の4限に行われ、内容は学生の発表と質疑応答である。前期は4年と3年の混合班が、毎週基本判例を基に発表する。採用の自由、解雇権濫用法理、就業規則の法的性質、退職金請求権など、基本といえども、労働法を本格的に始めて3カ月の私には毎週新しいことばかりである。立派な労働者になるための道は険しい。その間、先生は沈思黙考し、期が満ちると論点を語り始め、学生が理解するまで優しく問答に付き合うのを常とする。労働法のソクラテスとひそかに噂されるゆえんである。

  そして、労働法は大学の研究室、象牙の塔で完結するものではなく、むしろ世間で必要とされるものであり、石田ゼミでは毎年「公開講座」と銘打って、実際裁判で争われた原告、弁護士の方をお招きしている。今年度は後期に「客室乗務員のワーク・ライフ・バランス問題―日本航空深夜業免除事件を通じて考える」に関して公開講座を行う予定である。請うご期待!


ゼミ合宿の写真
▲ ゼミ合宿の写真。前列右から3番目が石田先生。同5番目が筆者

(2006年6月29日掲載)

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オープン科目 太極拳02(スポーツ実習)―基本に始まり基本で終わる―


最前列で教えているのが、増田先生
▲ 最前列で教えているのが、増田先生

第一文学部4年 斎藤 弘子

 まずは体の余計な力を抜き、呼吸と姿勢を整える。増田勝先生(競技スポーツセンター講師)の太極拳の授業は常にこの基本に始まり、基本で終わる。週に一度やってくる、日常生活で凝り固まった私の体を解放してくれる大切な時間となっている。

  そもそも私が太極拳にチャレンジしてみようと思ったのは単純に好奇心からで、他大学では聞かない珍しい科目である上、おもしろいとの評判を聞いたからだ。最初は、「一体どんなことをするのだろう、むずかしいのかな」と不安に思っていたが、実際やってみると、心配する必要は全くないことが分かった。

真剣な表情で学ぶ学生
▲ 真剣な表情で学ぶ学生

  太極拳の動きは終始ゆっくりで、体に負担がかかるような無理なものはなく、あくまで自然に、流れるように自分の重心を移動させながら動いていく。それでいて、ゆっくりと全身を使うため、想像以上に、なかなかいい運動になる。「激しいスポーツは苦手」という人にもオススメだ。激しく動いた訳ではないのに、授業の後には心地よい疲労感があり、私はこの疲労感がたまらなく好きだ。

  これまでの授業で気付いたのは、太極拳で大切なのは「基本」であるということだ。自然に逆らわず、無駄な力を入れず、あるべき姿勢を保つことが一番のポイントではないだろうか。この基本を守っていると、次第にゆがんでいる自分の軸が整えられていくような感覚がする。その点で、太極拳は運動不足の現代人にぴったりのスポーツなのかもしれない。

  とかくわれわれ学生は、運動不足になりがちなもの。早稲田にはたくさんの体育科目があり、この機会を逃したらチャレンジすることが難しいと思われるスポーツも数多くある。中でも太極拳を学べるなんて貴重なことだと思うので、少しでも興味のある方は履修してみてはいかがだろうか。友だちにもちょっと自慢できるかも?!

(2006年6月22日掲載)

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First drafted 2006 June 22.



2015年の日本経済
 ―三十路で迎える10年後の日本―


真剣に授業を受ける筆者
▲ 真剣に授業を受ける筆者
5月11日の授業を担当された谷内先生
▲ 5月11日の授業を担当された谷内先生

商学部2年 楡金 小巻

 2015年。私たち学生の多くは30歳前後になり、いわゆる働き盛りの時期を迎える。今から10年後の日本社会では、どのようなもの・サービスが必要とされ、経済活動のさまざまな局面でいかなる問題が生じているのだろうか。そう遠くない未来であるが、私たちに日本経済の見通しは立てづらく、不透明さによる不安が付きまとう。そんな私たちの羅針盤となるがごとく、この授業は行われる。

  戦後、猪突猛進の勢いで復興したものの、バブル崩壊により長期の経済的停滞に陥った日本経済。「2015年の日本経済」は、日本の経済・産業・企業が環境の変化により抱える問題とその解決策について、川辺信雄商学学術院教授のコーディネイトのもと、12人の商学部教員によるオムニバス形式で考察し、10年後の日本経済の在り方を問うていく授業である。そう、まさしく商学部の知の結集といっても過言ではない授業なのである。

  今回は、その中の一講義、谷内満商学学術院教授による「アジア経済はどうなる」に注目させていただいた。なぜならば、近年アジア経済が著しく発展し、その可能性と多様な問題がささやかれる現在、今後のアジア経済を担う一員として「日本」を考えてみたいと思ったからだ。私は、この一見素晴らしいアジア経済の発展の中で、日本経済の空洞化を非常に危惧している。私たちはもっと、グローバリゼーションの即効性のあるメリットに魅せられ過ぎることなく、長期的な視野で経済を考えるべきなのではないだろうか。アジアが目指すべき目標は、壮大であり、かつ長期的平和・安定・協力・繁栄を有する大陸になることであるはずである。アジア経済の本当の意味での発展は、各国の相互協力なくして達成されないだろう。

  今後も、この授業では、「企業の経営戦略はどう変わる」「ブランド戦略はどうなる」など、魅力的な講義が続く。この講義によって、多方向に変化していく日本経済の局面をとらえ、近い将来へ向けて、子どもの落書き程度かもしれないが、日本経済と自らの未来予想図を描いていこうと、思いを巡らせている。

(2006年6月15日掲載)

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First drafted 2006 June 15.



「中級演習」Learning from Experience: Anthropology, Ethnography, and Study Abroad
 異文化理解のための文化人類学 ―留学に向けて―


国際教養学部2年   渡辺 杏奈   杉浦さや香

 この授業は国際教養学部の2年生と留学生、約25人で構成されている。週1度ヌスバウム国際教養学術院客員教授と文化人類学、民族学を学んでいる。授業はすべて英語で進められる。

  民族学とは文化人類学者によって生み出された、対象の文化的・社会的生活を理解し説明する学問であると考えられる。その中では、すべての人間は文化的社会を構成し共有する類似した能力を持つと考えられている。その社会が構成されるプロセスを理解することを民族学は目指す。また、私たちを取り巻く社会とその構成を細かく観察・記録することも行う。

  私たちは授業と課題を通して、私たちの周りで展開されている文化的世界を民族学的視点から観察し、さらに文化人類学の観点から異文化理解についても考察する。文献からではなく個人の体験に基づいて、特定の文化の典型的な特徴を見いだすことに挑戦する。そして実際に異文化を体験したとき、その文化を理解する能力を養うことを目標としている。国際教養学部の学生は原則として1年間海外留学をすることになっており、留学先で異文化に接する私たちにとっては有意義な授業であろう。

  1回目の授業では、アメリカ人の著者がアフリカのある部族に『ハムレット』を紹介した話について学んだ。著者は初め『ハムレット』には普遍的な解釈があると考えていたが、アフリカの部族には文化の違いから全く理解されず、「あなたの解釈は間違っている」とまで言われてしまう。授業では、異文化は「理解したつもりでも、相手からすれば理解したことになっていないことが多い」といった意見も出た。

  このように毎週文章を読み、それについてのプレゼンとディスカッションを中心に授業が進む。加えて、留学生から興味深い意見を聞くこともできる。留学を前に、異文化に接するとはどういうことか、授業を通して考えていきたい。


授業風景。写真右端がヌスバウム先生
▲ 授業風景。写真右端がヌスバウム先生

(2006年6月8日掲載)

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First drafted 2006 June 8.



English for Professional Purpose 10
 ―志を高める授業―


前列で授業を受ける筆者
▲ 前列で授業を受ける筆者
安藤先生の丁寧な添削
▲ 安藤先生の丁寧な添削

第一文学部4年 楠 英朗

 この授業の副題は、「大学院入試対策英文読解演習」となっている。その名の通り、今年9月〜10月、もしくは来年2月に行なわれる大学院入試で、専攻分野に関わらず全員が受験する「一般英語」に照準を定めた授業だ。

  ところで大学院入試の英語は、学部の入試とどう違うかご存じだろうか? 答えは、英文和訳が中心を占めるということだ。なぜなら、院ではまず「英語文献を適確に訳す能力」が求められるからだ。そこでは、正確さはもちろん、その論文の筆者が伝えたいニュアンスまで訳し分け、さらに「日本語として」自然な文章で表現する能力までもが求められる。つまり「一般英語」では、修士論文執筆に必要な英語と日本語の能力を一挙にチェックされるのだ。予備選抜としての要素が強く、まさに第一のハードルといえる。

  そんな第一のハードル突破に向け、この授業はとても心強い。授業は教場での過去問和訳演習とオンデマンドでの単語テストが二本柱だ。教場では、前回われわれが提出した和訳を安藤文人文学学術院教授が一つひとつ添削し、返却後解説してくださる。「『知覚』の方が文脈に合う訳」「この訳し方は著者の考えまでよく見通してトーンが表現できています。結構」という風に。

  そして単語テスト。先生のWebサイトから、先生手作りの単語リストをプリントアウトし、期間内にオンデマンドでテストを受験する。この単語リスト、類義語、対義語も含めてリストアップされている。調べてみると、例えば「design」はおなじみの意味だが、後ろに「ing」がつくと何と「陰険な」という意味になる! わずかな接頭語、接尾語の違いだけで英単語の意味が大幅に変わることが確認できた。このように至れり尽くせりで、うれしい限りである。

  この授業はまさに「志を高める」授業だと思う。「安藤先生がここまでしてくださるのだから、自分も頑張らねば」と、自然に思えてくる授業である。

(2006年6月1日掲載)

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First drafted 2006 June 1.



現代建築論T
 ―知ること、考えることの誘発―


授業の様子。1番左が赤坂先生
▲ 授業の様子。1番左が赤坂先生
発表を聞く様子
▲ 発表を聞く様子

芸術学校建築設計科3年 松尾 宗則

 芸術学校では、強い志を持った学生とより良い教育を目指そうと奮闘する先生方によって、常に向上的な環境が生み出されている。少人数であるがゆえに学生と先生との距離は近く、先生方の息遣いを感じながら授業が展開されている。

  芸術学校の象徴的な授業といえる赤坂喜顕芸術学校教授の現代建築論では、先生の建築に対する飽く無き探求心、熱意が言葉を介して直に学生に伝わってくる。過去を踏まえた先生独自の分析、思考により、現代建築がカテゴライズされ、さらにテーマによって細かく読み込まれていく。それらのテーマを見事に表現する現代建築が世界に存在する数多の建築の中から選出される。

  長年、無数の建築を巡り歩いてきたからこそ生まれる独自の見解には文献を読んで伝わってくるものとは比較にならないほどエネルギーがある。さらに、各地から集めてきた貴重な資料と自ら撮り続けてきた写真が、言葉と共に視覚的に飛び込んでくる。

  学生たちは自らの経験や知識を超えた高度な授業展開によって、建築における知的誘発を受ける。そして、赤坂先生によって生み出された新たな現代建築の世界へと自然と導かれていく。

  一連の授業の終わりに出題される課題も非常に興味深いものである。先生が提案した現代建築のテーマに加え、一人ひとりが独自のテーマを抽出し、それに合った建築を選出、分析し、思考を言葉にまとめていく。自らテーマ性を持ちながら、建築を見渡す経験がなかった学生たちにとって、難題でありながらも新鮮な課題である。

  このように、一方的な知識や思考を説くといった教育ではなく、学生に自分の頭と手を使って考えさせるという姿勢は、芸術学校全体の姿勢でもある。大学において特異な芸術学校では、学生の知ること、考えることへの欲求を誘発する恵まれた授業が日々展開されている。 (筆者は、昨年度履修)

(2006年5月25日掲載)

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First drafted 2006 May 25.



応用生物化学研究 木野邦器理工学術院教授
 ―木野研究室での研究と成長―


発表する筆者(中央)
▲ 発表する筆者(中央)
発表内容に意見を述べる木野先生
▲ 発表内容に意見を述べる木野先生

理工学研究科修士課程2年 米山 万里子

 木野研究室では、生体触媒である酵素や、環境中に生息する微生物の多様な機能を利用して、私たちの生活に有用な物質を生産するバイオプロセスの開発研究を行っている。学部4年生、修士および博士課程の学生とポストドクターからなり、独自の研究テーマの目標達成に向け、日々研究に没頭している。

  研究室では、研究データや研究戦略などについての議論や、ゼミ形式でのミーティングが活発に行われている。ディスカッションでは、同じ領域の研究テーマを担当しているグループごとに、各自の研究データや解析結果、問題点、今後の方針などについて話し合い、それぞれの研究の質の向上が図られている。どのような学生に対しても気軽に話しかけてくださる木野先生の気さくさと優しさのおかげか、ディスカッションは自由に意見を述べ合う伸び伸びとした雰囲気がある。

  また、ゼミでは研究テーマの進行状況を報告するデータ発表と新規性のある最近の研究論文を紹介する文献発表が行われている。自分のデータや考えを聞く人に、いかに分かりやすく伝えるか、論理性とレベルの高さを失わずに纏める力と表現する力が試され、養われる時間でもある。先生のあらゆる角度からの質問やご指摘を受けることで、研究についてより深く考察する力も養われる。

  このように、木野研究室では研究について議論する機会が多々ある。しかし、各場面における最終的な決断は、先生ではなく学生自身に委ねられる。議論を重ねて自分でしっかり考え、その決断に至る明確な根拠を挙げることで、独自性のある研究を行うことができる。

  木野研究室での研究生活を通して、課題解決に向けた具体的な方法論と実際の取り組み方を学び、またコミュニケーション能力も鍛えられている。これは実社会でも生かしていける能力であり、その意味でも日々成長している。

(2006年5月18日掲載)

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First drafted 2006 May 18.



民法研究I・II ―多様な視点から「家族法」を学ぶ―


法学研究科修士課程2年 酒井 直子

 「民法研究I・II」は、家族法という大きな括りの中で最新のトピックや判例を取り上げている。Iは「家族法に関する最近の判例研究」、IIでは、「子どもの人権と法」というテーマで、現代社会における子どもの人権に焦点を当て、「離婚と子どもの保護」、「メディアと子どもの人権」、「教育権」、「社会保障と子どもの地位」、「少子化問題」、「子のための養子・里親制度」など幅広く取り上げる。特にIIでは、大人をモデルとした法のシステムが子どもの声や立場をどのように反映すべきかを明らかにしようとするもので、とても興味深い。

  また、所定のテーマに縛られず、各人の興味や専攻分野に応じて、その問題意識をさらに掘り下げた研究報告ができることもこの授業の大きな特徴だ。研究報告に際しては、各人がそれぞれのテーマに対して非常に強い思い入れを持って臨んでいることがひしひしと伝わってくる。さらに、弁護士や他専攻の学生も多数履修していることから、授業ではより多様な視点、知識からの検討が行われる。

  また、棚村政行法学学術院教授自身が誰よりも家族法に対して強い情熱を持っており、研究報告の際は、鋭い突っ込みと的確な指摘が飛んでくる。長い研究実績と実務経験に裏打ちされた先生のお話は、熱く示唆に富んでいる。

  この授業は非常にアットホームな雰囲気で、研究室の院生が主体となって、先生のために毎年ささやかなお誕生日会が催される。いつも優しい温かな雰囲気をお持ちの先生が、この日はまたさらに、はにかみながら喜ばれる姿がとても印象的だ。忘年会においても、先生や院生だけでなく、その家族やパートナー等の親しい人を同伴することも恒例となっている。もちろん、同伴者がいなくても大丈夫。でも、いつもの顔なじみのメンバーだけとはまた違う、なかなか味わい深い雰囲気の楽しい時間だ。

  中国、韓国、台湾、デンマークからの留学生もおり、国際色も豊かな授業だ。


研究会の様子。左から3番目が棚村先生
▲ 研究会の様子。左から3番目が棚村先生

(2006年5月11日掲載)

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First drafted 2006 May 11.



視覚表現特論
 ―水をあげればIT社会の木も育つ?―


真剣に講義を受ける筆者
▲ 真剣に講義を受ける筆者
本庄・西早稲田両キャンパスで、サテライトを通じて同時開講している。説明をしているのが、坂井滋和先生
▲ 本庄・西早稲田両キャンパスで、サテライトを通じて同時開講している。説明をしているのが、坂井滋和先生

国際情報通信研究科(GITS)
 修士課程2年 岸本 真樹

 皆が今推進してやっていることは、実は何か予想もしない影響を与えるかもしれない。でも皆が推進しているゆえに、その負の側面が見えなくなったり、水を差すような議論を避けたりするのはどこでもあり得る問題だ。しかしそれをIT分野で、特に子どもに対する影響を考えるのがこの授業である。

  今期はまず、アメリカの小学校でのIT教育を起点に話は始まった。坂井滋和国際情報通信研究科教授が、それに関して意見を述べると他の学生からも新しい意見が出て、授業は論議形式で発展していく。議論のテーマは、ずれていっても構わない。一つひとつの意見が意義深く、また新たな発見を喚起するものでもあるからだ。話がずれることで、他で起こっていた問題と本来のテーマからの問題が、実は共通の課題や原因を持っていたことが分かるのも面白い。

  この授業で問われるのは、自分の専門分野の深い知識と日常生活の眼である。何もそれは学問のことでなくても構わない。趣味のことであっても突然役立ったりする。何であれ、それが表面的知識の蓄えではなく、自分の考え方の一部になっているかが試される場所であるといってよいだろう。

  授業を面白くしている要素として学生の多様性が挙げられる。GITSは文理を問わない幅広い分野の出身者、社会人経験者、留学生から帰国学生まであらゆる種類の学生がそろい、他ではなかなか味わえない環境を作り出している。そこから飛び出す意見も実に多種多様だ。専門分野から見えない基準が次々と出てくると、多様性の持つ底力を感じずにはいられない。これもまた早稲田の形なのだ。

  視覚表現とはちっとも関係ないことをしていないか? いや、ITが視覚に与える影響を考えてみよう。あなたならどう考えるだろうか。      (筆者は昨年度履修)

(2006年4月27日掲載)

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First drafted 2006 April 27.



那須政玄ゼミ「悪について考える」
 ―逃げる哲学家―


先生と筆者
▲ 先生と筆者

社会科学部4年 岡田 恵甫

 「悪について考える」これが私たちのゼミのテーマだ。悪の諸相を考察しながら、「善く生きる」ために、悪を必要とする文化の在り方や人間の存在の仕方を考察する。そして悪の側から人間の根源的在り方を問うのだ。

  われわれのゼミで共通していることは、皆が「逃げる哲学家」だということだと思う。「逃げる」とは、「逃避」ではなく、「逃亡」である。全力かつ必死の逃亡。何から逃げているのか? それは社会や言葉や自分であったり、はたまた実体は分からないが確固として感じる自分と摩擦を生じさせるモノであったりする。そう、わが物顔で当たり前のようにわれわれを束縛する何かである。それをしっかり見据えて、必死の覚悟で逃げる。その先に見えるモノは人間の本来あるべき姿である。それを具体的に打ち出すことができず、逃げることで精一杯だが、実感がある。それを共有できることが那須ゼミの魅力なのだ。

  発表では、著名なテキストも偉人の格言も使わない。発表者の実体験がテキストであり、その発する言葉すべてが、糸口である。だから心から共感もできるし、堂々と反論もできる。タブーも存在しないストレートのキャッチボールだ。たとえどんなに豪速球でも、お互いに言葉の意味を確かめ合いながら進めていく。そうした点はとても慎重で丁寧だ。

  一見、無関係な他人の世間話に聞こえていたものが、案外、自分にも当てはまる切実な問題であったことに気付かされることが多々ある。そうして皆が共有することができた瞬間、それが那須政玄先生(社会科学学術院教授)の目指すところにおのずと向かっているのだと思う。これこそが、人間の根源的在り方を学ぶことなのではないだろうか。


2005年度追い出しコンパにて
▲ 2005年度追い出しコンパにて

(2006年4月20日掲載)

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First drafted 2006 April 20.



西郷ゼミ「経済分析のための統計的手法」
 ―物事の視野を広げる「統計学」―


西郷浩先生
▲西郷浩先生
PCを操作しながら、実証分析の基礎を学ぶ様子。写真手前から4番目が筆者
▲ PCを操作しながら、実証分析の基礎を学ぶ様子。写真手前から4番目が筆者

政治経済学部4年 村上 健一

 当ゼミナールは3年生が10人、4年生が5人在籍しており、3年生は4年生時の卒業論文作成のために毎週、英語の文献を輪読することで基本的な統計的手法の理論を学習している。英語の文献で、内容もさることながら言葉の壁にも苦労したが、ゼミ生一同、温厚な西郷浩先生(政治経済学術院教授)の丁寧な解説の下で何とか食らいつき、読みこなした。

  また、夏合宿や年末の補講期間中には輪読と合わせて、先生が用意されたデータや書籍を利用しながらPCを実際に操作することにより、実証分析の基礎を行った。

  「統計」というと「カタくて難しくて数学的素養が必要で、身近なものではない」と考えている人が多いかもしれない。数学受験でない私もそう思い、最初はまさか「統計」という名がついているゼミナールに所属するとは思ってもみなかった。しかし身近な事象、例えば「円高が進み、海外旅行者が増えた」という話を「統計」によってさらに違った見方ができると気付いた。

  「なぜだろう?」という素朴なパズルを見つけ、その理論から仮説を導き出し、現実のデータに基づき仮説を検証する。この一連の「科学性」という過程は、他のどの分野でも有益かつ説得力のある議論を可能とする必須のものではないだろうか。つまり「統計」の考え方は物事の視野を広げることであり、決して特別のスキルではないのだ! かくいう私もようやく興味を持てる段階に来た初心者に過ぎないが。

  西郷先生の言葉に「自分が納得できるまで、時間をかけて十分に考え抜く習慣を身に付けよう。学生の手に入る数少ない贅沢のひとつです」がある。今は、自分には大変と思われた専攻をあえて選び、試行錯誤するチャンスが与えられて本当に良かったと感じている。大学生活の集大成の卒論に向けて、今後も修練していきたい。

(筆者、3年次に執筆)

(2006年4月13日掲載)

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First drafted 2006 April 13.



可部明克ゼミ「健康福祉産業学」 ―教室と経験から学ぶ日々―


人間科学部4年 横山 隆泰

 「温厚で優しい」「人柄が良い」可部明克人間科学学術院助教授の印象を学生に尋ねると、必ずといっていいほどそんな答えが返ってくる。学生の話を熱心に聞いてくれる非常に面倒見の良い先生なのだ。そんな先生のもとに集まった記念すべきゼミ第1期生は、どうやらキャンパス内でも「際立った」存在らしい。

  ゼミは「ビジネスの基本を学び、ビジネスプランを練り上げていくビジネス系」、「ロボットやネットワークについて学びシステムを作るエンジニアリング系」の二つのコースに分かれている。ゼミでは教科書の輪読とディスカッションが行われ、「ビジネス・エンジニアリング・国際感覚のバランスの取れた修得」を目指しているため、コース別に行うのではなく、全員が一緒になって学んでいく。

  ここで注目すべきは、授業だけでは満足できない先生とゼミ生の意欲だ。もちろん座学は大切であり、皆が真剣に取り組む。一方でゼミ生は研究室や教室にとどまらず、どんどん外へ飛び出していく。さまざまな所で行われているビジネスプランコンテストへの参加、国際ロボット展など展示会への出展、オープンキャンパスへの参加、海外合宿など活動は幅広い。そして又、皆が結果を出すのだ! 「優勝しました」という声からゼミが始まることは珍しくない。

  先生はゼミ生に対して「じゃあやってみて」という言葉をよく口にする。そしてゼミ生に後を任せ、教室を出て行くこともしばしば。課題は与えられるのでなく、課題そのものを見つける所からが課題であり、それに対しての結果も求められる。そのため自ら考える力、経験から学び取る姿勢を強く意識しなければならない。すべきこと、求められるレベルは非常に高く、ゼミ生は温厚な先生の内に秘めた厳しさをも感じている。ゼミで自ら課題を発見し、アクションを起こしていく日々は非常に刺激的だ。


ゼミ合宿で訪れたシンガポールのナンヤン工科大学の学生さんと
▲ ゼミ合宿で訪れたシンガポールのナンヤン工科大学の学生さんと。前列左から2番目が可部先生、後列右から5番目が筆者。

(2006年4月6日掲載)

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First drafted 2006 April 6.