先輩に乾杯!

理工・建築ドクターから一転、愛媛で有機農業の協同体作りに従事する
 上原 佑貴 さん


 キャリアデザイン、ライフプランという言葉が巷にあふれる中では、夢実現までの一直線を突進あるのみとついつい考えてしまう。だが、多様な価値観が交じり、奥行きのあるのが人生。何が最短距離なのかは分からないし、誠実にひたむきに歩むLong and Winding Roadは決して不毛なものではない。今回(いつも?)紹介する先輩の道のりに皆さんは何を思うだろうか。

上原 佑貴 さん
うえはら・ゆうき
1979年東京都生まれ。早稲田実業学校高等部卒。97年理工学部建築学科入学。コメディの劇団に所属。2001年大学院理工学研究科入学。後藤春彦研究室で都市計画を研究。04年同研究科博士課程を中退し、NPO法人シャプラニールにインターンシップ。国内・ネパールで活動を行う。05年から愛媛の地域協同組合「無茶々園」に勤める。

まずは“やりたいこと”より“必要なこと”をしっかりと

 理工・建築に入学後、プロ志向の学外の劇団に所属。多くの日を「朝から朝まで」稽古や準備に費やし、残りは授業の課題でやっぱり徹夜。金も彼女も寝る間もない、そんな生活に充実感は確かにあった。「もし自分は食えなくても、卒業後も居続けようと考えていた。それだけ劇団が面白く、そこに居られれば、どんな役割を担っても良かったんです」

  大学2年の冬、心血注いだ劇団があえなく解散。だが、夢破れて授業あり。課題発表などで注目を浴び、院生とも対等に議論を交わす存在に。「小道具製作などで得た素材の知識や発想の柔軟性、コミュニケーション能力等もあるけれど、何より劇団で鍛えられた“やりたいこと”より全体的に見て“必要なこと”をまずしっかり考える姿勢が、他の学生より勝っていたかな。“やりたいこと”はそれに上乗せするものだから」。ある都市計画の課題発表が指導教授に認められ、大学院へ進学。遂には博士課程まで進むことに

地方・海外で直面した生々しい現実の課題。「それをやるのが自分だ!」

 院生時代、「農山村の過疎地域おこし計画」の調査を各地で行った際、どこの人々も「地域の特色を活かす」ことよりも、まず「観光客、嫁、若者」などを求める現実に直面。次第に「では海外の貧困地域ではどうか」と興味が発展した。だが、それは専門と全く違う内容。研究室に残るか否か悩み続けた末、教授に退学を相談。予想に反し、「応援します!」と温かい激励を受け、泣きそうなほどうれしく、自信にもなった。

  その後、NGO法人で1年間、国内外の海外支援活動に従事。海外で活動した際には、自ら貧困地域の課題を分析するべく、内緒で立入禁止のスラム地区などにも頻繁に足を向けた。「そこでぶち当たったのが、もっとモノがほしい、豊かになりたいという当たり前の想い。途上国も国内の過疎地も目下の要求は生々しいもので、それが僕にはうれしい失望だった。面白い共同体づくりは環境に左右されるものではないということに、やっと実感を持つことができたんです」

縁もゆかりもない愛媛で町づくりに飛び込む

 帰国後、愛媛で安心な農産物の生産を基盤に町づくりを展開する協同組合「無茶々園」をネットで見つけ、訪問。創設者たちの人柄や熱意、高い志と同時に地域に根を下ろした活動内容に共感し、就職を志願した。現在、事務職として、老人・外国人・障がい者などが活躍できる場の創出、女性の自立支援のための農業研修制度の確立など、「生々しい」課題に取り組んでいる。この先に何を上乗せできるか。模索の日々は続く。

  曲がりくねった人生の道のりに周囲は驚くが、自身には一本の筋が通り、歩むべくして歩んだ軌跡。両親には時間をかけて理解してもらうつもりだ。大手企業に勤める彼女との遠距離恋愛はしばらく続くだろう。給料は決して高くはないが、親しい農家から農産物も分けてもらえるので充分余裕はある。何より、今が、充実している。「無茶々園で一生暮らそうと決めたわけじゃない。ただ、劇団にいた時のあの感覚が、ココでは味わえるんです。僕は、面白い人々たちと活動して、刺激を受け続けて生きていたいんですよ」とにっこり微笑んでくれた。

(2006年6月29日掲載)

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First drafted 2006 June 29.