薦! |
「第九」
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<評者>
笹原 宏之 (ささはら・ひろゆき) 社会科学総合学術院 助教授 1965年生まれ2005年4月嘱任 担当科目:漢字文化圏論・言語表現論・メディアと言語の研究ほか 専門分野:日本語学(文字・表記) 著作:『日本の漢字』岩波新書 |
第二次世界大戦下の1942年、ドイツ第三帝国の首都ベルリンでの演奏である。このCDの音源は旧ソ連軍に持ち去られて残ったものだ。音だけしか伝わらない世界は、映像に慣らされた私たちにはかえって新鮮であり、音楽に素人な私でも種々の想像を巡らすことができる。
総統ヒトラーと宣伝相ゲッベルスは、ドイツ精神の昂揚のため、ベートーヴェンを好んで演奏させ、ラジオでも広く放送された。この異様な状況の中、ナチスからの要請を避け続けた名指揮者フルトヴェングラーの自在な指揮は、この世のものとは思えぬ美麗さを生み、第四楽章のその最終部に極まる。その加速度に追いつくベルリンフィルの技術も圧巻だ。
翻って、この曲自体も深遠なドラマを秘す。耳の聴こえなくなったベートーヴェンが長い空白を経て1824年に書き上げ、立ち会いのもとウィーンで初演されたのが最後のシンフォニー「第九」である。“若気の至り”とシラーが自ら述懐する「歓びに寄す」という人類愛を謳いあげたドイツ語の詩。若き日にそれに出逢った天才作曲家が抱いてきた積年の思いを合唱という形で実現させた渾身の作。その軽快にして荘厳な曲の至高の完成度は、偉大な芸術家として会心の作であることを示す。彼の苦悩の人生を突き抜けた末の歓喜はいかばかりであったであろう。
私たちは、ともするとゆっくりと音楽を聴くゆとりさえも失っている。また重厚な世界を敬遠しがちだ。小さな仕事であっても、まれには達成感を得られそうな気分になることはなかろうか。歌われる「Elysium」、「Rosenspur」、「eure Bahn」とは何か、などと考えてみるのもよい。「何かを成し遂げよう」と思うときに、歴史上の存在がいくえにも重なった、人間の可能性を示す人類共有の確かな財産に耳を傾けてみてはいかがだろうか。
(2006年5月11日掲載)
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