進路選択物語 |
独りで喰う理工学研究科1997年修了 脚本家・舞台演出家 岡本 貴也
「天変地異が起こればいい」と過半数のサラリーマンが願っている。そんなデータを見て思う。だったら会社を辞めればいい。 まあ、僕も学生時代、自分自身に不満だらけだった。その一方で、まだ「何にでもなれるぜ」と勘違いしていたところもあった。だから「会社なんか行かない」と就職活動はしなかった。してるヤツをバカにすらしていた。そのくせ周りに流されるように修士課程へ進学。成績は超悪かったので推薦でなく受験だった。そして、その冬に天変地異が起こった。阪神・淡路大震災、僕は22歳だった。 今の進路を「震災のおかげ」にするつもりはないが、会社員の親が必死で建てた家が一瞬で全壊したのを見て、「(組織でなく)独りでメシが喰える職業に」と感じたのは事実だ。元来ロッケンローなアホ人間だったが、震災でさらにロック道は加速した。 24歳で修士課程を卒業し、ミュージシャンを目指すも25歳で挫折。後にバイトのつもりで入った出版社があまりに楽しく、没頭した。けれど「会社がつぶれたらどうなる?」という不安と焦りは消えなかった。給料は安く、肉体は28歳になっていた。 そんな折、学生の頃あんなにバカにしていた演劇に出合い、一目惚れ。そのあまりのユルさに「この世界なら俺行けるんじゃね?」と再び勘違いをした。 29歳の夏に脱サラ。脚本塾に通い、さぼり、賞を獲り、テレビ局に売り込み、蹴散らかされ、チャンスを与えられ、その冬には脚本家になっていた。 いくつになってもやりたいことをやればいい。不安定な世の中なんだし、人生は自分のもの、そして一回限り。…なんて思うのは簡単だ。最初の一歩が難しい。歳を取ればなおさらだ。でも、その一歩さえ踏み出せば後は実に楽だ。責任を自分で取ればいいだけ。 とは言いながら、僕はまだ責任なんか取れちゃいない。いい加減なもんである。とどのつまり、やったもん勝ちなのだ。独りでメシを喰うのは、孤独で、一歩踏み誤れば奈落へと落ちていく恐怖感が常につきまとう。でもそれがいい緊張感を生み、人生を常に新鮮なものへと変えてくれるんだから、やめられない。
■岡本 貴也 ブログ (2006年4月27日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 April 27. |