えび茶ゾーン 第1071号〜第1083号(2005年9月29日号〜2006年1月19日号) |
2006年1月19日最近、韓国で学会発表を行う機会に恵まれたが、用意した発表用ソフトのバージョンが異なるせいか、テキストが化け、冷汗をかくという苦い経験をした。考えてみればソフトだけでなく、隣国にもかかわらずつたない英語で発表せざるを得ないのはおかしな話である▼各専門領域では最近、とみに細分化が進み、近い分野でさえ互いにやっていることやその価値を的確に評価することが難しくなっている▼例えば年を取るとお世話になる医療分野でも、診療科の細分化が著しい。内科や外科はもちろん、一般にはなじみの薄い放射線科などでも診断部門と治療部門に分かれていて、専門医資格を取る場合はいずれかを選択しなければならないといった具合である▼「私見る人、あなたやる人」という具合に、カレッジスポーツにおける一般学生と選手との意識の差も次第に大きくなっているようである。いきおい、大学への帰属意識にも差が出てくる▼「局所化」は一面で文化の高度化や専門性の深堀に必要であるが、同時にそれらのモジュールを連携させる仕組みが肝要になる▼巷では団塊世代と若年層とのギャップをどう埋めるかという問題が風雲急を告げており、国家プロジェクトもいくつか立ち上がっている。一頃流行った「暗黙知の形式知化」だけではうまくいかないものもある。来年度から理工学部に導入されるテクニカルエキスパート制度は人が牽引力になるという点で意義深い▼韓流ブームもいまだ健在、この文化の潮流が両国の間のさまざまな壁を一気に取り除いてくれればと思う。 (2006年1月19日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 January 19. |
2006年1月12日アジア諸国では英語力を付けるため、比較的早い時期に子供を欧米の学校に入学させるケースが増加しており、大学からの進学も合わせるとかなりの人数が国外で教育を受けていることになる。イギリスのとある中堅の大学では、アジアのある国から千名以上の留学生が在籍し、クラスでは教員以外はすべて外国人というのも珍しくないようである。ただ、果たしてそのような環境で現地に溶け込んだ十分な交流が出来ていると言えるだろうか? 実際、付き合うのは主として同国人というある留学生の英語力は、2年在籍とは思えないほど貧弱であった▼一方、先日訪れたある中近東の大学では、学内はすべて英語であり、現地の教員間もアラビア語でなく英語で会話しており、いながらにして十分な英語力が身に付く環境であった。留学は非常に貴重な機会を与えるが、その運用によっては十分な効果が得られない場合があり、逆に行かなくても同等の効果が得られる可能性があることが伺える▼さて、日本では本学を含め英語を主体としたスクールが増えており、広く海外に人材を求める意味やグローバル化の観点からも良い傾向にあると言えるが、真の国際化としてそれで十分なのであろうか? たとえ優秀な人材が海外から訪れ国内で学んだとしても、日本の企業の多くは日本語が不自由であれば入社するのは非常に困難である。その解決の一つである日本社会の真の国際化、すなわち英語ベースでの職場環境や、外国人の幹部登用などが十分に行われることを期待する。 (S・S) (2006年1月12日掲載) Copyright (C) 2006 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2006 January 12. |
2005年12月15日「朝河貫一」の名前を知っている人は少ないかもしれない▼朝河は、1873年(明治6年)12月に福島県二本松市で生まれ、その後に郡山市にある尋常中学(現在の安積高校)を経て、東京専門学校(早稲田大学の前身)を1895年7月に首席で卒業した。その後は、米国のダートマス大学に入学し、3年後にイェール大学の大学院へ進学し、1902年6月には同校より博士号を授与された▼ダートマス大学で教えた後に、イェール大学でも教え、米国人女性と結婚したが、8年後には彼女は死去している。第二次世界大戦中でも、在米日本人が抑留されている中で、朝河は自由に研究を続けられた。1896年の渡米以来、日本へ戻ったのは2回だけで、生涯をイェール大学の構内で送り、1948年8月に死去した▼昨年は日露戦争勃発百周年であり、本年はポーツマス条約締結百周年である。当時、学位を取得した直後の朝河は、日露戦争における日本の正義を英米の国民に説いた『日露衝突』を英文で著し、会議が開催されているポーツマスへも行き、会議の成り行きを見守った。また、日本外交の背信を戒め、あわせて日本の愛国教育を批判した『日本の禍機』を1919年に出版しているが、彼の専門分野である法制史では、『入来文書』が有名である▼当時と現在では国際情勢も異なるが、どちらも日本が大国意識を持った時代に当たる。そうした大国意識に警告を発した朝河貫一について、もう1つの母校のイェール大学では、2007年に、彼の就職百周年を記念したシンポジウムが企画されている。 (M・Y) (2005年12月15日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 December 15. |
2005年12月8日天正18(1590)年に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康は、江戸城に入城した際、譜代の家臣内藤清成に広闊な土地を授けた。それは、東は四谷・西は代々木・南は千駄ヶ谷・北は大久保に及ぶ▼内藤家菩提寺太宗寺の門前に内藤宿と呼ばれる休息所ができた。時は下り、元禄11(1698)年、浅草の名主らが新しい宿場を設立し、内藤新宿と名付けた。内藤新宿は現在の四谷四丁目交差点(四谷大木戸)から伊勢丹まで続いていた。地名「新宿」の登場である▼家康の第6男越後高田藩主松平忠輝の母阿茶局が庭園を造り遊覧地とした場所は「高田」と呼ばれた。寛永13(1636)年、幕府はこの高田の地に広大な馬場を設け、馬術の訓練や流鏑馬等を行った。そのため「高田馬場」が一躍江戸の名所となり、遊覧客目当ての見せ物小屋や茶店等も軒を並べ大いに賑わった▼「早稲田」の地名は、生育の早い種類の品種を植えた田があったということでこの名が付いたらしい。幕末の嘉永7(1854)年刊地図に早稲田馬場下丁とある。同地図には、西早稲田キャンパス辺りは法泉院別当・高田富士とある。その北西側には井伊掃部頭下屋敷、東側には一橋殿下屋敷と松平越後守下屋敷、南側には放生寺と宏壮な尾州殿下屋敷が、それぞれ隣接している▼江戸時代の高田馬場は、現在の新宿区高田馬場ではなく早稲田大学西早稲田キャンパス・戸山キャンパス周辺である。例えば、『切絵図・現代図で歩く もち歩き 江戸東京散歩』(2003)を片手にキャンパス周辺を散策して見るのも面白い。 (Y・T) (2005年12月8日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 December 8. |
2005年12月1日ある学部で、学生ラウンジでのペットボトルやゴミの散乱状態、大学構内での喫煙のルールが守られていない状況に対し、一枚の文書が配られた。学生に自省を促し、学部当局もルール違反者には厳しい態度で臨むことを述べたものだ▼この文書の必要性に最初は疑問を感じたが、学生が帰宅した後のラウンジを実際に検分し、そのすさまじい荒廃ぶりに唖然とした。そして文書の出される理由を認識するとともに、情けない気持ちにもなった▼教員として学生と接する際、彼らを「大人」として扱っている。大学という知的な空間が共有され、同時に学ぶ・教えるという関係も相互的なものとなるからだ。しかし「大人」としての「ルール」が共有されていなければ、それは「大人」が「子供」を躾けるという関係へ転化せざるをえない▼この「ルール」を「常識」と言い換えても良いだろう。しかし、これが共有されず、全て明文化され罰則を伴った規則となるならば、社会は相当に息苦しくなる。このような規則で縛り付けられないためにも、「常識」的判断をともなった行動が要請される▼しかしながら、「大人」と思われる人々全てが「常識」を共有しているのかと考えると、決してそうではない。会議中の私語、タバコやゴミのポイ捨て、通勤電車内での携帯電話の使用など、他人のことなど我関せずという態度を目にする機会は多い▼学生が社会の単なる映し鏡なのかもしれない。些細なことまで規則で縛る社会の到来を想像し、憂鬱になってきた。 (K) (2005年12月1日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 December 1. |
2005年11月24日暗闇で物を落として難儀した。懐中電灯はなく、松明、提灯もない。手探りで探すのは厄介だ。暫く這い蹲ったが見つからない。こんな時、携帯スポットや液晶画面の明かりを使えばいいらしい。数年前、学生のその機転に感心した▼時計を持たない人がいる。携帯電話と呼ばなくなって久しいが、携帯で間に合わせるという。メモ帳代わりに携帯を、少々複雑なら付属カメラで撮影・保存。アラーム・カレンダー・予定表は当たり前。音楽プレーヤー、録音・録画に情報入手。チケット購入に料金支払い。ネットは勿論、テレビ・ラジオにGPS。辞書も引けるし読書も可。スキャナー・コピーも大丈夫。通話機能もついて便利さこの上ない。便利さテンコ盛り▼しかし今、バイブはあってもマッサージ機には実力不足。扇風機・冷風機能も望みたい。寒い今、懐炉代わりになれば重宝間違いなし。ストレスで癒しを求める現代人、アロマヒーリング機能はどうだろう▼評価は甚だ疑問であるが、産学協同開発便利機能は如何であろう。私語撲滅機能に授業集中・居眠り防止機能つき携帯。販売されたとしても、機能解除の可能性は大だろう。残念。代返機能は密かに考案されるだろうか。これは販売自粛していただきたい▼便利な世の中に違いはないが、この便利さと引換えに、人として大事なものを見失い、退化させてしまうのも多いのではないか、と大いに危惧する昨今。代講お任せ君や問題作成・採点・評価を代行する赤ペン君型携帯の製品化が待たれるところである。 (N) (2005年11月24日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 November 24. |
2005年11月17日大きなトレーラーが止まったので、運転しているのはどんな人かと思って見ていたら、小さなおばさんが降りてきたのでびっくりしたことがある。考えてみれば、パワーステアリングやパワーブレーキがついているのだから、特別、運転に力がいるわけではない。それなのに、トレーラーを運転するのは屈強な男に違いないという妙な先入観を持っていたわけである▼これから超高齢社会が到来すると、年金の支給のために、就労年齢の人たちが力いっぱい働いて、高額の保険料を払わなければならなくなると言われる。しかし、これからは、あらゆる労働が最大限の力と感覚を必要としなくなるかもしれない。むしろ高齢者が働くだけで、社会のニーズがまかなえるようになることも考えられる。働き続けることは喜びであり、長生きの秘けつでもある▼そのとき、若者はどうかと考えると、高齢者の労働のおかげであくせく働く必要はなくなり、思いきり遊ぶことができる。遊ぶのは、高齢になって運動機能も感覚機能もおとろえてからよりも、若いときの方がいいに違いない。定年まで休まず働いて、老化が進んでから残った体力でかろうじて遊ぶことができるというのではむなしいではないか▼大きな夢を持つのはほんとうに難しい。超高齢社会になっても年金や医療費が十分まかなえるというような夢しか持てないのは淋しい。若いとき好きなだけ遊んでもちゃんと生活の必要が満たされるような、持続可能な社会を実現するというような夢をどうして持てないのだろうか。 (TT) (2005年11月17日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 November 17. |
2005年11月10日9月11日の自民党圧勝から1カ月半。法案に反対票を投じた議員の大半は「民意」を理由にいとも容易に転向したが、与党は寛容さを排して「造反者」を厳罰に処した。与党内部においても野党との関係においても、チェック機能が欠落した中で、今後、何が起きるのか、恐ろしい気がする▼9・11といえば、予想を超えた何かが起きる特異日のようだ。1973年のその日に、南米チリにおいて選挙で誕生した社会主義政権が3年目にして、軍事クーデターで倒された。大義名分は社会秩序の回復。民主主義の優等生と言われたチリの様相は一変した。国家テロ、すさまじい人権侵害、そして人々は口を閉じた。それは70年代に軍部の台頭をみたラテンアメリカを象徴する出来事だった。1990年、チリの民政移管をもって、地域は再民主化を果たした▼第ニの9・11は、2001年、世界を震撼させた同時多発テロである。反テロリズムの御旗の下、アフガニスタンに続いて、イラク侵攻が始まり、今日、世界中が自爆テロの恐怖にさらされている。一時、星条旗が翻るなか、偏狭な愛国心にとりつかれ、対テロで一致団結したかに見えた米国国内にも、ようやく批判的な声が高まってきたようだ。しかし、未だ出口は見えない▼2つの9・11に比べれば、日本のケースは人命が危機にさらされるわけでなく、些細な内輪の話かもしれない。だが、異論を許さない、あるいは圧勝だから仕方ない、という物言えぬ雰囲気が支配することだけは避けなければと思う。 (2005年11月10日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 November 10. |
2005年10月27日10月に入ると世間では新しい就職の風が吹きはじめる。3年生は否が応でもその渦中に身を投じることになる。近年求人に関する情報は「○○ナビ」などといってWebサイトで得るのが常識。就職に関連するイベントなども、それを生業とする多数の会社がしのぎを削って企画を立て、大学のキャリアセンターの出る幕など少しもないように見える状況すらある▼世間の就職活動の流れはあまりに速く、今年の1月頃に始まった2006年3月卒業者の採用活動はもう収束に向かい、「○○ナビ」の対象は2007年3月卒業者向けにリニューアルしつつある。本学のキャリアセンターもご多分に漏れずこの10月から2007年卒業者向けのイベントを開始した▼しかしこの時期、意外なことに2006年卒業者への求人情報が増加する傾向にあるという。10月1日に大方の企業は翌年入社の内定者決定をするが、内定者が不足していたり、思うような人材を確保できなかった場合、新卒者の追加採用にかかる費用を節約するため、企業は直接大学に求人を再依頼してくるそうだ。中には中・小の優良企業から、思わぬ大手企業までさまざまな求人情報があるという▼今の時点で内定を得ていない4年生はかなり焦っていて、人によっては就職を諦めかけているのではないだろうか。しかし諦めることはない。当然のことながら、キャリアセンターでは4年生が卒業する来年3月まで、就職活動を全力でサポートする。卒業を控え、就職に焦っている君、諦めかけている君、いま一度、キャリアセンターを訪ねてみないか。 (HIRO) (2005年10月27日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 October 27. |
2005年10月20日ある小学校でのお話。遠足のお弁当にコンビニのサンドイッチを持って来ている子どもがいた。先生が気に掛けていたら、周囲の子どもたちは、そのサンドイッチをうらやましがっていた、という。この話をみなさんはどう考える?▼最近のコンビニは衛生面、味、栄養バランスも販売上のポイントになっている。振り返ればこの十年、早稲田でも、多くの店が閉まる中で、コンビニだけは増え続けている。もちろん、便利なモノを使うな、ということではない。実は、私も、週に二回は昼食用にサンドイッチとヨーグルトを購入するリピーターである。そんな私でも、多くのサービスが与えられて便利な社会とその背景、問題については考えておく必要があると思う。また、衣食住に関わって、今、私たちは商品として与えられる便利さに依存しすぎてはいないか、という疑問がわく▼本当に豊かな生活とは、気持ちに支えられた人間の結びつき、そして人が生きていく上で、何を大切にするか、選択するかを慎重に吟味する余裕にこそあるだろう▼最近、「手づくり」という言葉がひとつの価値を持つようになったのは、単にでき上がりの良し悪しではなく、相手の顔を浮かべながら何かをつくり、それを受け止める関係への渇望があるからではないか、とも思う。サンドイッチを片手にパソコンの画面に向き合いながら、自分のために、みんなのために、おにぎりをたくさん握って、ゼミの学生たちに自慢しようかな、という作戦を考えている。 (やぐ) (2005年10月20日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 October 20. |
2005年10月13日私的な話題で恐縮ながら、私の配偶者は中国人である。北京や上海で反日の動きが盛んだったこの春、中国人と結婚している日本人の友人同士が会うと「家庭での論争は?」と尋ねるのが合言葉のようになっていた。勿論、そのような時に限らず戦争責任のことは家でよく話題になる。日本の今の指導者がドイツのヴァイツゼッカー元大統領のように世界に向けて反省の演説をして、東アジア・東南アジアの諸国に謝罪の行脚に行くべきだ、というのが配偶者の意見。心では賛同しつつも、口では太平洋戦争や原爆の印象が強烈すぎて、日本人には中国というよりアメリカやソ連に負けたという気持ちが強いのではないか、などと挑発的な発言をする私。これで論争にならなければ不思議だ▼この夏、中国の元軍人の方と日中戦争について話す機会があった。私の例の調子の発言に対して、そのご老人は諄々と諭すように言う。日本の陸軍の大部分が八路軍などとの戦いのなか中国から抜け出せないでいたからこそ、ソ連はドイツとの戦いに専念できたのだ、反ファシズム闘争は世界規模で見なければいけない、と▼中国のタクシー運転手からは、庶民レベルの反日あるいは「日本嫌い」の意見をずいぶん聞いたが、その一方で日本製の自動車に対する賛美の言葉もあった。また、中国の映画やテレビドラマで日本の軍人を演じる日本人男優が一部の若い女性たちの間で人気があるという。日中関係自体、遠慮のない国際結婚のような段階に入りつつあると言えるのかも知れない。 (H・S) (2005年10月13日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 October 13. |
2005年10月6日親しい研究者仲間で、毎年一回、お互いのゼミで集まって合同ゼミを行っている。昨年は八大学十ゼミで、二百人の学生が全国から仙台に集まった。十年前は二つのゼミ、合計で十五人程度だったことからすると、えらく大規模になったものである▼面白いことに、普段はだらけてサボりがちな学生でも、他大生の目の前で恥をかくのは嫌とみえて、いつになく調べものや議論に熱中している。教師としては結構な話であるが、彼らの質問や議論と接する時間も否応なしに増えて大変に忙しい▼大規模化して、運営に問題も起きてきた。人数が増えすぎて、参加ゼミすべてが他の参加者全員と議論する時間が持てなくなった。やむなくいくつかのセッションに分けている。ロースクール立ち上げによる各教員の多忙もあって、今後はスリム化することになった▼一般に入試難易度が高くないとされている大学では、担当教員がシラバスに、こういう合同ゼミに参加すると書いたら、翌年のゼミ希望者がゼロになってしまった。とてもじゃないがあんな大学の学生たちとの議論にはついていけないと、有名大学相手という「虚像」にビビってしまうのだそうだ。全くの杞憂なのだが▼この種の「名前負け」は早稲田には似合わない。早稲田が「有名」だからではなくて、「名前」に恐れをなして勝負を逃げるなど早稲田の人間の発想にはない、と信じているからだ▼と学生に酒席で力説していたら、「先生は有名な蔵元のお酒好きですよねえ」とニヤニヤされた。 (和) (2005年10月6日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 October 6. |
2005年9月29日2007年の創立125周年を控え、西早稲田キャンパス正門前の整備が進んでいる。その先駆けとして、本年2月、小野梓記念館が竣工した。地上4階地下2階、小野梓の胸像が中庭に移設されるとともに、小野記念講堂も同館に移り、今後、本学の文化活動の発信拠点となることが期待されている▼本学では、大隈重信を「建学の父」と呼び、小野梓を「建学の母」と呼ぶ。小野梓は、1852年土佐藩の宿毛に生まれた。宿毛は、明治維新期以来、多くの人材を輩出してきた。吉田茂とその父竹内綱、初代北海道長官岩村通俊、自由党の領袖林有造、衆議院議長林譲治、近代的ヒューマニズムの先駆者大江卓等である▼小野梓は米、英に留学、自由民権運動に加わって大隈重信と行動を共にした。大隈がその大胆な改革案の故に罷免された明治14年の政変に際し、小野も官職を辞任、翌15年、大隈と立憲改進党を結成するとともに、東京専門学校を設立した▼ニクソン元大統領の『指導者とは』では、土佐を「木樵(きこり)や舟乗りを多く出した地方で、そこの人々は協調と謙譲を重んじる日本にあって、不羈(ふき)かつ粗剛の性格で知られている。いわば日本のバスク地方」と紹介している。このような土佐では、頑固者で、権力嫌い、人と同じことはしたくないといった性格の男を「いごっそう(異骨相)」といって評価する。竜馬と同じ33歳で亡くなった小野梓の行動や「学の独立」等の思想にも、土佐の「いごっそう」の伝統が脈々と流れているようである。 (J―K) (2005年9月29日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 September 29. |