とっておきの話

「不良?」から「親父バンド」へ


社会科学総合学術院教授  久塚 純一

エレキ少年だった17歳の頃。その情熱は今も変わっていない。
エレキ少年だった17歳の頃。その情熱は今も変わっていない。

 「久塚さんは、下手だったけど、好きだったよなー」とは、プロのミュージシャンとして活躍している同窓生「Fさん」の言葉である。私が、下手だったけど好きだったものとはエレキギターである。40年前、私が通っていた佐賀県の高校では、バンドを組んでいる者は「不良」に近い存在だった。我らがバンド「ザ・チェインズ」は練習場所もなく、グヤトーンのエレキとヤマハのアンプを抱えて仲間の家を転々としていた。

  文化祭でやってみたい。でも、高校側は許してくれそうにない。何か良い方法はないものだろうか。アレコレ考えた結果、演奏する曲目を選んで高校側に擦り寄ることにした。結果的に、ザ・チェインズは文化祭で演奏することを許された。オープニングの曲はロック調の「校歌」。校長先生の好きな「影を慕いて」も演奏したし、テレビドラマでやってた「おはなはん」の主題歌も入れた(えっ、ええーっ)。なんとも締まらないエレキバンドだが、その後は、みんなが待ってたベンチャーズ、ビートルズ、リバプールサウンズのオンパレード。興奮したドラムはメチャメチャ速くなっちまうし、小さなアンプはビービー言い出すし、何がなんだか、もう大変。それでも、初めての生バンド演奏に会場は大興奮。写真(手前)は、私が、サーチャーズの“Love Potion No.9”をベンチャーズ・バージョンでやらせてもらっている時のものだ。

  「今でもやってるの?」と聞かれれば、「やってます」と答える。研究室にはアンプとギターがある。新しい仲間もできた。時々スタジオに付き合ってくれるドラムの天才「D先生」とエレキの初心者「Tさん」だ。スタジオ帰りのアルコールと音楽談義がたまらなく楽しい。

  私が生まれたのは1948年。団塊の世代と呼ばれている。良くも悪くも、この世代はエネルギーの固まりのような集団だった。皆どうしているのだろう。どうするの、これから。昔話ばかりしてないで、何かやろうよ、もう一度?

(2005年10月13日掲載)

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First drafted 2005 October 13.