世界見聞録

(5) メキシコとテレノベーラ


社会科学総合学術院教授 畑 惠子

テレノベーラの世界―メキシコ女性の夢と現実

コーヒー豆を煎る先住民女性(ベラクルス州、1989年)
コーヒー豆を煎る先住民女性(ベラクルス州、1989年)
富裕層のクリスマスパーティにて。メードが3人、門番が2人いた	(メキシコシティ、2003年)。
富裕層のクリスマスパーティにて。メードが3人、門番が2人いた (メキシコシティ、2003年)。
この家にテレビがあった(ベラクルス州、1989年)
この家にテレビがあった(ベラクルス州、1989年)
先住民の子どもたち。
先住民の子どもたち。

 ラテンアメリカを代表する女性の娯楽のひとつにテレノベーラがある。テレビ小説の意味だが、内容はソープオペラそのもの。毎日、夜のゴールデンアワーに1時間放送され、延々と続く。1年は普通で、2年近く続いたものもあるらしい。ブラジル、ベネズエラ、コロンビアなどでも制作が盛んなようだが、なんといってもそのメッカはメキシコ。昼間は分からないが、平日の夜7時から10時まで、複数のチャンネルで異なったドラマが放送されている。

  メキシコ最大のテレビ局Televisaでは1950年代末からテレノベーラの放映を始め、90年代末までに600本以上を制作、世界125カ国に輸出した。90年代初頭、戦時下のクロアチア、セルビアでもラブロマンス「金持ちもまた涙する」が大人気を博したという。Televisaは2000年まで71年間、与党の座を占めてきた制度的革命党(PRI)のプロパガンダ放送局である。そのため、テレノベーラの体制維持機能を指摘する研究者もいる。もっとも、テレノベーラは現地の研究者・知識人の大半にとっては冷笑の対象でしかないが。私が通して見たのは1本だけ。確かに話の展開はお粗末で、いつ終わるともしれないドロドロの愛憎劇を見続けるのは苦行に近かった。だがそれを見ずして、メキシコの民衆文化は語れない。

  よくあるのは、貧しい娘がメードとして働いているお屋敷の息子と恋に落ち、さまざまな障害を乗り越えて、最後には幸せな結婚をつかむという物語。富裕層の醜さと貧しい娘の純真さを対比させ、家族の絆を強調する。主たる視聴者である貧困層や労働者階級の女性たちは、ドラマの中で厳しい現実から逃避し、しばし甘い夢に浸る。メキシコでは中間層以上の家庭には必ずメードが雇われている。貧富の格差が大きく、富裕層と貧困層の生活空間が隔離された中にあって、メードはその接点に位置する存在なのだ。

  現在、メキシコのテレビ普及率は100%近く、かなりの遠隔地でもテレビを観られる。80年代末に先住民の村を訪れたとき、村に電気が届いたのが1年前だというのに、土間の部屋にテレビがあって驚いた。この地域からも多くの娘たちがメードや労働者として首都に働きに出かけていた。おそらく彼女たちは毎晩テレビの前に座り、ヒロインの苦しみに共感するのだろう。しかし、ハッピーエンドはドラマの中だけであることは承知しているはずだ。近年はシングルマザー、麻薬常習などのテーマも扱われるようになったが、表面的に触れられているに過ぎない。やはりテレノベーラの本領は、女優たちが繰り広げる最新のファッションと、勧善懲悪、家族愛といった古いながらも、安心できる価値観の発信にあるようだ。

主に主婦層向けに昼間放送される通俗的な連続テレビドラマのこと。番組のスポンサーにせっけん等を販売する会社がつくことが多いことから、名付けられた。

(2005年9月29日掲載)

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First drafted 2005 September 29.