薦! |
2005年度前期分 目次 |
『スパニッシュ・アパートメント』監督・脚本 セドリック・クラピッシュ
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<評者>
花光 里香 (はなみつ・りか) 社会科学総合学術院助教授 1967年生まれ 2005年4月嘱任 担当科目: 異文化コミュニケーション論 |
早大生の中には、計画通りの大学生活を謳歌している人もいれば、思い描いていたものとは違うと悩んでいる人もいるだろう。実は両方の皆さんに、この映画の主人公の台詞を贈りたい。「人は混乱の中から何かを得る」
パリで暮らすグザヴィエは、エリートコースを突き進む大学生。卒業を目前に彼がスペインに留学したのは、自分の経歴に箔をつけるためだった。だがそこで彼を待っていたのは、国籍の異なる男女6人の学生との波乱に富んだ、しかし刺激に満ちた共同生活だった。混乱を極める日々の中、彼は時には当惑しながらも異文化と向き合い、やがて自分を発見していく。
私が留学したのはグザヴィエとほぼ同じ時期である大学3年生の頃で、この映画の登場人物に当時の自分や友人の姿を重ね、懐かしさでいっぱいになる。異国でさまざまな文化的背景を持つ人々に出会い、価値観を揺さぶられる中で見えてきたのは、他ならぬ自分の文化、そして自分自身であった。また、異なるものへの深い理解は、対立や葛藤を通してこそ得られるのだということを学んだ。
異文化というと外国の文化を思い浮かべることが多いが、私たちの周りは異文化で溢れている。ひとつの国にも、地域ごとに異なる価値観が存在する。男と女は永遠のテーマであり、世代間のギャップはいつの時代にも語られる。これらは実はすべて異文化なのだと気付かせてくれることもまた、この映画の大きな魅力である。
最後に、この映画を観て「つまらない」と思ったら、何年か時が経ってからもう一度観てほしい。一度目に観た時にはない発見があったら、それはみなさんが異なるものに向き合い成長した証に違いない。
(2005年7月21日掲載)
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『イケズの構造』入江 敦彦 著
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<評者>
大瀧 昌子 理工学術院専任講師 1974年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目: ホリスティック物理学特論 |
京都人は腹黒い、と京都以外の関西人は言う。京都人は、陰険で意地悪で皮肉屋で毒舌家のいじめっ子である、という「誤解」を解くため、生粋の京都人によって書かれたのが本書「イケズの構造」である。
A)「コーヒー飲まはりますか?」
B )「そないせかんでもコーヒーなどあがっておいきやす」
C )「喉かわきましたなあ。コーヒーでもどないです」
D)「コーヒーでよろしか」
このうち本当にコーヒーを飲んでもよい勧められ方は1つしかない。どれだかわかるだろうか。この問題は、字義で考えては正解にたどり着けない。まさにイケズである。
このイケズが見抜けないと恥をかく。しかも、その「場違い」を決して直接には教えず、嫌味とも思える言動であしらうことで遠回しに示唆するので「京都人=イケズ」とう認識を強めることになる。とはいえ、イケズは意地悪ではない。“イケズ”の教えるところは、言葉とは、字義は二の次で、人間関係を円滑にする媒体として言わんとするところを伝えるための道具だということである。そして、イケズとは決定的な対立を避けつつ、相手に「適切な」在り方を教えようとする技術である。
学生のうちは、思ったことを正直に言い合う関係の方が多いかもしれないが、社会に出ると言葉を額面通りに受け取ると大変な目にあうことがある。そんなとき、“イケズ”を理解しているとトラブルは避けられることが多いであろう。むろん、人生において恥をかかねば分からないこともあるというのも忘れてはいけない事実である。しかし、“イケズ”というのはコミュニケーションを円滑にする強力な技術である。
本書を一読され、イケズについて学び、その技術を習得されてみてはいかがだろうか。コミュニケーションにおける困難をユーモアを交えて回避できること請け合いである。
(2005年7月14日掲載)
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『革命について』 ハンナ・アレント 著、志水 速雄 訳
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<評者>
豊永 郁子 (とよなが・いくこ) 国際教養学術院教授 1966年生まれ 2004年4月1日嘱任 担当科目:"Introduction to Political Science,""Politics, Parties and Elections,""Comparative Politics and Political Institutions", etc. 専門分野:政治学、比較政治(英・米・日の政治) |
どうやら日本の知識階級(学生諸君も含む)にとって、アメリカはその政治、経済、文化の影響を云々する以前に、心理的に大きな存在のようである。かくいう私も、心情的に「反米」の知識人風土にどっぷり浸かっていたせいか、最初の留学先にはアメリカをあえて避け、その後はあたかも敵陣に乗り込むような心持ちでアメリカ留学の準備を進めた。しかし、実際に渡ってみたアメリカは、訪れるたびに驚きと感動と明日への勇気を与えてくれる不思議の国であった。
この本は、第二次大戦中にアメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人の政治哲学者ハンナ・アレントが、アメリカという国のなりたちへの驚きを、哲学、政治思想、歴史、文学への深い造詣を背景につづったアメリカ発見の書である。著者は、アメリカ独立革命とフランス、ロシア革命とを比べ、その前史、過程、遺産の違いを明らかにしていく過程で、「政治的なるもの」への洞察が建国の父たちの偉業だけでなく、草の根の体験のうちにも深く刻まれてきたアメリカの特異性、政治と道徳の峻別の必要、善と悪の問題等を含蓄ある筆致で論じていく。ドストエフスキーやメルヴィルの作品が引用される下りでは、読者は魂を揺さぶられるであろう。
自らの政治原理を理論ではなく経験を通じて体得してきたアメリカ人は、これまでその最良の言明化を外国人の仕事に見いだしてきた。1835年に刊行されたフランス人トクヴィルによる「アメリカの民主主義」、1888年のイギリス人ブライスによる「アメリカ共和国」――1963年に出版された本書はこれらに並ぶアメリカ論の傑作である。アメリカの政治権力について論じたければ、この本をまず読むことをお薦めする。
(2005年7月7日掲載)
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『スポーツ発熱地図』藤島 大 著
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<評者>
松澤 徹 (まつざわ・あきら) 高等学院教諭 1972年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目: 日本史(日本中世史) |
初めて聞く地名の、おそらくこれからも訪れることはないだろう土地についての文章を、他者の旅を追体験するように読む。あるいは、本を手に旅に出、先達に恵まれた幸福を噛みしめつつ、ガイドブックとして読む。紀行文や旅日記には読み物としての魅力が多い。まして書き手が、単なる情報ではない何かを伝えようと、そのためのピースを集めるようにして旅を続けて、著されたものであったとすればなおさらである。新年度が始まって3カ月、新生活にも慣れ、余裕が生まれた頃、何かに熱中したい気持ちをどこへ向ければよいかわからず抱えたままでいる、そのような人にこれらの本を薦めたい。一見何の接点もないようにみえるこの2冊に共通するのは、著者が全国の「熱い」人々のもとを訪ねた記録であるということだ。
本学OBの藤島氏のこの本は、初め生徒に薦められ、借りて読んだ。人気スポーツライターとして広く読まれている氏の独特の文体がもつ効果については説明不用と思うが、絶えず胸にこみ上げてくるものを押さえ、読み進むのがつらい紀行文である。各地に根ざしたスポーツ文化を、歴史や地方人気質、郷土食や地酒とともに語る。
書名からは想像しにくいが、大ブレイク寸前の人気ブロガー「やまけん」の本も、情熱ほとばしる旅日記である。紹介される食はもちろんすべて垂涎ものだが、食い倒れ以上に、著者が出会う料理人や篤農家、その他の農業を支える人々など、例外なく謙虚で真摯なそれら一流の人々との対話の豊かな内容に、むしろ満腹感を覚える。涙や涎が本を濡らさないようにしながら、これらの本の「熱さ」をぜひ堪能してもらいたい。そして自身が何かに打ち込む情熱をたぎらせてほしいと願うものである。
(2005年6月30日掲載)
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『日本の優秀企業研究』 新原 浩朗 著
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<評者>
久保田 安彦 (くぼた・やすひこ) 商学学術院助教授 1971年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目(専門分野): 会社法・証券取引法 |
優れた企業とは一体どのような特質を持っているのか。どうすれば企業は長期にわたって好業績を維持できるのか。本書には、そうした問いに対する一つの答えが用意されている。
本書の著者は、まず収益性・安全性・成長性を尺度に、日本の企業の中から花王・キヤノンといった「優秀企業」を約30社ほど選び出したうえで、それらの企業に対する聞き取り調査をおこなっている。その調査結果は優秀企業の6条件としてまとめられているが、そこから浮かび上がってきた優秀企業像は、驚くほどシンプルで、ごく当たり前のように思われるものであった。それは、「自分たちが分かる事業を、やたら広げずに、愚直に、まじめに自分たちの頭できちんと考え抜き、情熱をもって取り組んでいる企業」であるというのである。
実証研究の専門家の目には、本書の調査方法が信頼できないものに映るかもしれない。しかし、それにもかかわらず、おそらく読者は、著者の主張に相応の説得力を感じるであろう。本書の端々からは、著者が自分で納得するまで、愚直なほどに聞き取り調査を何度も繰り返していることが伝わってくる。
経済学や経営学を学んでいる学生であれば、そこでの理論と本書の内容との関係について考えてみるのも良いであろう。ただ、本書は決して堅苦しい書物ではない。文体は平易であるし、具体的な事例やエピソードが豊富に盛り込まれているので、その他の学生にとっても読んで十分に楽しめるものになっている。現実の活き活きとした企業の姿を垣間見ることができるというだけでも、一読に値するであろう。
(2005年6月23日掲載)
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『今夜、すべてのバーで』中島 らも 著
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<評者>
永島 計 (ながしま・けい) 人間科学学術院助教授 1960年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:環境生理学、神経機能学特論 |
あまり飲めないが酒が好きだ。若い時はみんなでワイワイ飲んだが、1人で飲むのも今はいい。あまり酒飲みに立派な人間はいないが、愛すべき人間が多いのはうれしい。酒は人間的な弱さをさらけだすからなのかもしれない。
学生に向けてこんな本(失礼!)を紹介してよいのかずいぶん迷った。中島らも氏の『今夜、すべてのバーで』である。迷った理由は通称アル中、アルコール依存症の小説だからだ。らも氏は(特に35才以上の関西出身者ならよく知っているはずだ)、関西ローカルの深夜テレビで何ともいえない不思議かつ、冗談ともつかないコメントをしていた人物である。新聞の“明るい悩みの相談室”では相談者、らも氏とも世間を茶化してるとしか思えず最高だった(これも本になっている)。よくいえば個性的、ただ、どう見ても薬中、アル中(実際彼は依存症であり、昨年、酩酊後の事故で最期をとげた)。
小説は、主人公、小島容(どう見ても、らも氏自身)が、アルコールに取り付かれ35才で肝障害で入院し治療を受ける過程、同室の入院患者や知人とのやりとりが、淡々と描かれている。特に、小島容が自分自身を内科学的、精神病理学的知識で冷静に分析する部分は興味深い。小島容は、ある日病院を抜け出し1杯のつもりがへべれけになるまで飲んでしまう。病院へ戻ると同室の少年綾瀬が亡くなっていた。この時の小島容と医師赤河の霊安室での壮絶な争いの場面だけは、らも氏らしからぬ激しさで人間の本音が描かれており、圧巻である。
小説の根底を流れるのは人間の弱さ、優しさ、そして酒の魔力である。酒が好きになり始めた人、依存症に興味のある人、優等生的健康小説に飽きてしまった人にはぜひおすすめの1冊。
(2005年6月16日掲載)
『武士道』 新渡戸 稲造 著 訳・解説 奈良本 辰也
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<評者>
会田 拓己 (あいだ たくみ) 理工学術院客員講師 1972年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:コンピュータ 初級、中級、IT入門B1、B2 |
本書は、かつての日本人の道徳の原点を、西洋文化とも比較、引用して実に分かりやすく解説している。もっとも、原著者である新渡戸は外国人に対して日本人の心の柱を説明することを目的として書いたので、それも納得できる(原書は英文、本書はその和訳)。
「かつての…」と書いたのは、この道徳観が現代では全く通用しなくなったということを意味しているのではない。むしろ脈々と伝え続けられてほしいと思うにもかかわらず、忘れ去られてしまっているかのような今の時代を憂慮してのことである。この時代にあっては、しばしば戦乱に巻き込まれるようなことはないし、階級制度もないので、武士道がそのままの形で引き継がれようとは思っていない。しかし、その根底にある価値観は、われわれの行動や意思決定の基盤を形成してくれるはずである。
武士道は武士である男子の道徳として存在する。しかし、その価値観は、男女の別なく、さらには、日本人に限ることなく、誰もが持つに値する。なぜなら、武士道は諸外国の道徳や宗教などと決してかけ離れたものでないからである。
長い年月をかけて日本人が築き上げた古き良き価値観を、馴染みの深い人もそうでない人も一読されることをおすすめする。そして、自分の価値観と照らし合わせて見てほしい。賛同できる部分は積極的に取り入れ、そうでない部分はバッサリと切り捨てればよい。道徳教育や価値観の形成などは決して幼少期だけのものではない。その気になれば、何歳になってからでもできるはずだ。
(2005年6月9日掲載)
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『わしらは怪しい探検隊』 椎名 誠 著
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<評者>
日野 泰志 (ひの・やすし) 文学学術院 助教授 1962年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:言語心理学、心理学選択演習3、社会・人間系演習24など |
この本を読むと、私は大学生の頃を思い出す。椎名誠とその仲間たちが離島に出かけ、焚き火をして酒を飲むという彼らの行状がこの本には記されている。女性にはあまりもてず、無意味なことばかりしているけれど、元気な男たちの行状である。私の大学時代もそのような毎日であった。
京都・嵯峨野に清涼寺という寺がある。地元の人は、この寺を「釈迦堂」と呼んでいる。私の大学生活はこの釈迦堂界隈のアパートからスタートした。もう随分、昔の話である。私が大学で在籍した専攻は、その当時、1学年40人程度の小さなものだった。私たちの学年は男子の方が多かったため、彼らの勢いでクラス会の会場を「鴨川の河原」に決めて以来、女子はコンパに出席することがなくなってしまった。その結果、女子と親睦を深める機会を失ってしまった私たちは、男たちだけで飲んで騒ぐようになる。そして私のアパートが溜り場となっていったのだ。
私が暮らしていたアパートは大学から近いわけでもないが、友人二人が次々と越してくると、彼らとの共同生活のようなものが始まった。すると、その匂いを嗅ぎ付けて多くの仲間が集まってきた。彼らとは、よく飲み、いろいろなことをした。飲んだ勢いで肝試しに真夜中の嵯峨野巡りに出かけたこともある。ある冬の夜には、釈迦堂の境内で、なぜか紫色の花火があがるのを目撃してしまったこともある。
私の大学時代の記憶は、決して人に誇れるようなものではない。しかし、私にとってはキラキラと輝く楽しかった時間である。私が接している学生たちが、将来、大学時代を振り返るとき、このような楽しかった記憶として学生生活を振り返ってほしいと思う。そんな思いからこの一冊を推薦する。
(2005年6月2日掲載)
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『Hackers and Painters ―Big ideas from the computer age―』 Paul Graham 著
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<評者>
北原 真冬 (きたはら・まふゆ) 法学学術院 助教授 1967年生まれ 2004年4月嘱任 専門分野:認知科学・音声学・音韻論 担当科目:英語・言語学・音韻論・音声学 |
評者である私はハッカーどころかろくにパソコンも使えない素人だが、本書からハッカーの気質を学ぶと共に、自分の留学時代を思い出した。
言語学の大学院生だった私は、指導教官がコンピューターサイエンス学部にも顔が利いたので、そこに自分の机をもらい、筋金入りのハッカーがいる建物で3年ほど過ごした。彼らは、確かにちょっと人付き合いは下手かもしれないが、手がつけられないほど頭が切れる。
読者のみなさんは受験競争においておおむね成績が上位で自分の頭脳に自信を持っているに違いない。そんな人はぜひ本書を読んで、せめてホリエモンに負けないぐらいにはなってほしい。たとえば、
To do good work you need a brain that can go anywhere. And you especially need a brain that's in the habit of going where it's not supposed to (p.43).
とある。「常識にとらわれるな」、「個性を生かせ」などというありきたりな文句よりずっと気が利いている。本書が大学生にとって特にお勧めなのは、大学が高校までとは全く違った機能を持っているからである。高校までというのは、著者によれば
Their primary purpose is to keep kids locked up in one place for a big chunk of the day so adults can get things done (p.10).
とある。日本だって全くその通り。一方大学とは、子供が子供でなくなるためのところであろう。
なお翻訳で『ハッカーと画家:コンピュータ時代の創造者たち』が既に出版されているが、訳が英語の雰囲気を色濃く残しているため、結局英語で読みたくなるはずである。
(2005年5月26日掲載)
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『稼ぐが勝ち −ゼロから100億、ボクのやり方−』 堀江 貴文 著
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<評者>
渡辺 宏之 (わたなべ・ひろゆき) 1967年生まれ 2004年4月嘱任 法学学術院 助教授 専攻:商法・金融法 担当科目:信託法 金融法(導入演習) |
『稼ぐが勝ち』という、いかにも物議を醸しそうなタイトルで書かれた本書には、今や国内のみならず海外にもlivedoor"とTakafumi Horie"の名前を一躍とどろかせた、堀江貴文氏の経営哲学が記されている。
強引とも見える企業買収の手法によって、日本中に賛否両論・毀誉褒貶を巻き起こした堀江氏であるが、本書を冷静に読み通してみれば、利益を上げ事業を拡大していくための“手段”としての「会社」と「資本」の本質を深く洞察した、若き事業家の姿が見えてくる。
マルクスは不朽の名著『資本論』を書き、資本制経済の構造の解明とその打破に努めたが、現代のマルクス?ともいうべき堀江氏は、直感的・経験的に資本制経済の秘密を体得し、意図的に“資本家”としての階段を駆け上がろうとしているように見える。
奇抜で派手な印象を与える堀江氏であるが、その経営哲学が驚くほどシンプルで合理的であることに、読者は驚くに違いない。
そして、堀江氏は、ベンチャーの世界に若者たちを呼び寄せながらも、その成功の“真髄”を惜しげもなく伝授しているように見える。
古典的な“資本家”的にどこまでも事業を拡大しようとする堀江氏が、資本の優位性が後退し知識集約化された現在において、労働者のインセンティブを十分にマネージしてゆけるか。堀江氏とライブドア社の動向には今後も目が離せない。
商法や金融法を専攻する研究者の立場としては、氏の企業買収の手法について、物申したいことがないわけではない。しかし、それは別の機会に譲ろう。本書には、堀江社長とライブドアの躍進の“秘密”が、堀江氏自身の声で語られている。堀江ファンもアンチ堀江も必読の一冊である。
(2005年5月19日掲載)
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『科学的思考とは何だろうか』P戸 一夫 著
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<評者>
加藤 茂生 (かとう・しげお) 人間科学学術院専任講師 1967年生まれ 2004年10月嘱任 担当科目:「科学史」 「科学史・科学論研究法」 |
思想にも科学にも流行のテーマがある。しかし、流行と関係ない場所でこつこつと積み重ねられ、ぎりぎりまで研ぎ澄まされる思想もある。P戸さんの本はそういう本だ。だが流行の思想圏内から身を離しているからといって、細分化された専門領域に閉じこもるのではない。P戸さんが書く本はいずれも壮大なスケールのテーマを扱っている。中世のグレゴリウス改革について論じた『時間の政治史』しかり、フィヒテの哲学の全体像を描いた『無根拠への挑戦』しかり。そしてここで紹介する『科学的思考とは何だろうか』も、古代ギリシャのタレスから近世のガリレオ、現代のアインシュタインまでの「科学的思考」と神話、宗教、常識的思考のダイナミクスを扱ったものだ。
この本では入念な実証研究を踏まえつつも、細部に拘泥せず、過去の思想の深いところにある一本の太い筋がつかみとられている。
例えば、万物の源は水である、と述べたタレスの自然学とは何だったか。それは超越的な説明をする神話の絶大な支配力に対し、身近で分かりやすい水を説明モデルに用いて挑戦するものだったのだと論じられている。
だが、タレスは神話を単純に否定したのではなかった。逆に、神話的な思考形式を洗練することによって自らの考え方を鍛えぬき、モデル思考による自然学を生んだのである。
P戸さんによれば、「科学的思考」とは、あくまでもさまざまな立場の境界に立ち、クリエイティブな「ものの見方」をし、さらにそれを利用可能な理論まで仕上げる入念な技である。この見方自体、多くの科学哲学者や科学史家と異なるP戸さんならではの独特な観点だと思う。
(2005年5月12日掲載)
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『存在の耐えられない軽さ』 ミラン・クンデラ 原作
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<評者>
大門 毅 (だいもん・たけし) 国際教養学術院 助教授 1965年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:開発経済学 公共政策論 |
この映画は東西冷戦の真っ只中、1968年のいわゆる「プラハの春」に運命を左右される若き脳外科医を中心とした物語である。映画を観て気に入った方は、ぜひ原作も読んでいただきたい。
社会主義体制下にありながら、職業的にも考え方も自立した脳外科医と写真家の元彼女は、お互いを束縛しない自由奔放な生き方をしている。そこに、対照的に周囲の環境に翻弄され、見ていて危なっかしいくらいの純真な田舎娘が現れ、脳外科医と恋愛関係に陥る。その後勃発した「プラハの春」事件以降、武力弾圧から逃れるように西側に亡命した3人は全く異なる生き方を選択する。資本主義に軽々と順応できた2人に対して、純真無垢な娘は浮気癖のある男の「軽薄さ」についていけず、「弱い人間のための祖国」に戻って行ってしまう。悩んだ末、男は彼女との愛を貫くため、西側での華やかな生活を投げ打って、暗い祖国に舞い戻る。帰国後、男は当局から反体制派として目を付けられ、医師としての活躍の場を剥奪され、集団農場で農夫としての生涯を終える。当局から迫害を受けても、屈することなく、自らの信条と愛を貫徹する生き方はあまりにも重い。
ベルリンの壁が崩壊して十数年。しかし、壁は実は意外と身近なところに存在しているのではないだろうか。この国では、既得権益を守ろうとする業界や役所が支配し、重要なことは密室で決まってしまい、新規参入への障壁が高い。談合型資本主義はベルリンの壁に匹敵するくらい、旧世代の思考回路に組み込まれてしまっている。早く崩壊させなければならない。早稲田にはベルリンの壁崩壊後、大活躍できるような、面白い人材が溢れているのだから。
(2005年4月28日掲載)
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『名古屋大須・大道町人祭』
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<評者>
久保田 隆 法務研究科教授 1966年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目(専門分野):国際取引法 国際金融法・電子商取引法 |
勉学の合間に文学や映画以外にもさまざまな芸術に触れてみたいけれど、生の迫力を味わえる能や歌舞伎やクラシックバレエなどは少し敷居が高いような気がするし、だいいちカネがかかる。何かリアリティがあって一緒に参加したくなるような身近な芸術はないかな?
そう思う貴方にお勧めの芸術がある。大道芸だ。そう、目をこらせば日本各地のどこかでやっているアレだ。「大道芸は芸術か?」と訝る君は、半世紀前に岡本太郎が書いた『今日の芸術:時代を創造するものは誰か』光文社(495円:早大生協にいつも置いてある)でも読んで、少し頭をほぐしてみよう。
実は我々の住んでいる東京は大道芸を見るのに便利な場所だ。東京都がヘブンアーティストという場を設けて、プロの大道芸人に活躍の場を与えているからだ。しかし、今回私が紹介するのは、そうしたお上のイニシアチブではなく町内会のイニシアチブで開始され、今年28回目を迎えるに至った名古屋大須(浅草みたいな町)の大道町人祭である。この祭りを見に運良く名古屋に行ける君は、大須の町のあちこちで、真剣に繰り広げられる大道芸に群がる庶民の「異様な」熱気に圧倒されるだろう。ギリヤーク尼ヶ崎の舞踏や雪竹太郎の人間美術館、そのほかパントマイムや伝統芸能など大道芸の種類はさまざま(年により出演者が多少変更)だが、私が特に圧巻だと思うのは大駱駝鑑の金粉ショウである。金粉を身体中に塗った男女が殆ど裸で火踊りするのだが、卑猥なものではなく、逆にド迫力の生命エネルギーを貰うことができる。また、地元のフラメンコ教室も出場するなど素人参加もあるので、君だってその気になれば出演できるかもしれない。
この祭り、名古屋でも知らない人が多いけど、とてもユニークなお祭りで一見の価値がある。
(2005年4月21日掲載)
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『戦争プロパガンダ 10の法則』
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<評者>
渡辺 愛子 (わたなべ・あいこ) 文学学術院 専任講師 1967年生まれ 2004年4月嘱任 専門分野:現代イギリス地域研究 担当科目:英文学演習(一文)、現代批評の諸問題(二文)など |
この戦争プロパガンダの10カ条は、なにも近年世間を騒がせているイラク戦争や北朝鮮問題の現状を語っているのではない。いまから約1世紀も前の第一次世界大戦時に展開された、情報操作のレトリックである。
本書は、私たちがこれまで教科書から学んできた「西側」、「民主主義」の「正義」が、対抗イデオロギーへの勝利のためにいかにして捏造されてきたのかを、20世紀の史実から例証しているという点で、非常なる説得力をもっている。
自ら真実だと思って疑わなかったことが覆されたとき、私たちは驚きや怒りとともに、「もう騙されないぞ」、「今度こそ真実を見抜いてやる」と心に誓う。
しかし、情報が常に真実であるとは限らず、これを隠蔽することもまた情報戦の一部だとしたら、いったい何をもってして真実を知りうることができるのか。100年前のプロパガンダの法則が依然として通用する一方で、未曾有の情報が全世界に氾濫し飽和の臨界点さえ超えたと思われる現在、いま一度、自らの常識や価値観に対峙し、自問してみる必要はないだろうか。
(2005年4月14日掲載)
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『光とともに…〜自閉症児を抱えて〜』(第1巻〜第7巻)
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<評者>
本田 恵子 (ほんだ・けいこ) 教育・総合科学学術院 助教授 1960年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:学校心理学、学校カウンセリング、教育臨床論 |
本書は「自閉症」を理解するために、保護者や教育現場の先生、治療や療育にあたるカウンセラーや保護者にお勧めしているまんがである。テレビドラマとしても放映されたため(脚色により、内容は変化していたが)、ご存じの方も多いかと思う。
物語は、幸せな結婚をした若夫婦に、ことばを話さず、抱かれるのをいやがり、こだわり行動やパニックを繰り返す光くんが誕生し、幼児期、小学校入学、高学年へと展開してゆく。光君の成長過程において生じる家庭や学校生活での日常的なできごとがていねいに描かれており、自閉症児の発達過程が理解しやすい。特に、障害児を持つ母親のとまどいや孤独、どこに助けを求めてよいか分からず、自分の子育てに自信を失い周囲の人から孤立してゆく母親の様子が痛いほど伝わってくる。ようやく光くんを分かってくれる療育機関にたどりつき、特徴に合わせた療育を支援してもらうことで、さまざまな試練を乗り越えてゆく。
本書の優れているところは、自閉症の特徴が日常のエピソードとともに、療育にあたる専門家のことばでさらっと説明されていること、具体的な療育方法や支援の教材が紹介されていること、時には、先生方の障害の不理解による学校現場でのトラブルもさらっと辛口で描いていることだ。さらに、光くんの同級生たちの障害へのとまどいから受容までのプロセスを現実的にかつほのぼのと描いているところにある。
「自閉症」には、まだまだ分からないところが多い。なぜなら、障害を持つ者自身が「ことば」をうまく操れないからである。本書は、著者自身が数多くの自閉症児とその家族、療育機関の専門家を取材した実際のデータを元に展開しているため、現実的で説得力がある。難しい専門書を読む前に、一読することを薦めたい。ただし、涙なしには、読めないことも注記しておく。
(2005年4月7日掲載)
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