進路選択物語 |
武器は、エンピツ一本だけ政治経済学部4年 高橋 広行
「『どこでもドア』はありませんが、『だれでもドア』なら持っています」 就職活動中、僕の第一声に、目を丸くしていた面接官の顔が、今では懐かしい。手紙1通「80円の出会い」は、大学3年生の春から始まった。テレビスタッフ、新聞記者、編集者に出した手紙の総数は、1年間で30通に上る。著作を読み講演を聞いて、興味を持った人に「会ってください」と、授業そっちのけで手紙を書く。確実に返事をもらった。 ちょうど1年前、田原総一朗さんに「大隈塾」への感謝の手紙を出した。「ラブレターをもらい感激しています。自分で道を開いてください」。2週間後、直筆で4枚の「田原総一朗原稿」が届いた。これが「80円の出会い」につながった。 僕はいつしか、真っ白な便箋・封筒・切手を見るだけで、「この向こうにどんな出会いが待っているのか」と、ドキドキわくわくするようになった。ペンを握っていないと気が済まなくなっていた。 昨年の夏、静岡に住むいとこが交通事故で亡くなった。30歳だった。1週間後、伯母が、いとこの携帯電話を解約しようと、携帯ショップに行った。係の女性に「本当に亡くなったのか」としつこく聞かれ、「死亡診断書を見せてください」とまで言われた。あまりにも薄情な対応だった。 伯母の気持ちが少しでも晴れればと、話をまとめ、数時間後には投書した。後日、新聞に掲載され、伯母から「本当にありがとう」と電話がかかってきた。受話器を持つ手が震えた。これが、僕のマスコミ志望の原点となった。 4月上旬、あらゆる努力が報われ、出版社とテレビ局から内定が出た。夢を叶えた歓喜は“宇宙大”だった。どちらにいくか、贅沢な悩みで、息ができなくなった。「テレビも新聞も雑誌も、ヒロがやりたいことをやるための道具だろ。目的じゃない」。父の一言で、結論はすぐに出た。「俺は報道がやりたくて、マスコミを目指したんだ」。初心が甦った。 「ありがとうございました」。これからは、お世話になったすべての人に「恩返し」をしたい。 (2005年6月23日掲載) Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.First drafted 2005 June 23. |