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2004年度後期分 目次





『気概の人 石橋湛山』 小島 直記 著
東洋経済新報社  2004年9月発行  価格2,415円(税込)


<評者>
田中 建二
(たなか・けんじ)
商学学術院
(ファイナンス研究科)教授
1947年生まれ
2004年4月嘱任
担当科目:金融商品会計

 学生時代、「早稲田精神」だとか「早稲田魂」とかいう言葉をしばしば耳にしたが、どんな意味なのかよく分からなかった。自分なりに「反骨精神」とか「在野精神」のことかなと勝手に解釈していた。

  だが、残念ながら、当時、自分の周りを見渡しても、学内にそうした精神の持ち主はあまりいるようには見えなかった。

  その後、ふとしたきっかけで読んだ本を通じて石橋湛山を知り、この人こそ真の早稲田精神を発揮した人物なのではないかと思うようになった。

  特に私が感銘を受けたのは、次のような3点である。

  1. 戦前・戦中の厳しい言論弾圧の下でも軍部・政府を批判し、言論・報道の自由を主張し続けた勇気。
  2. 軍国主義・帝国主義の流れに抗して「小日本主義」を唱えた透徹した洞察力。
  3. 総理大臣の地位に執着することなくわずか2カ月で辞職した進退の潔さ。

 とりわけ、国際紛争が拡大する一方の今の時代にあっては、彼の唱えた「小日本主義」の根底にある平和思想が、改めて注目されるべきであろう。

  本書は、もともと1978年に刊行された伝記であるが、最近、改題のうえ新版として刊行されたものである。本書では、人と人との出会いの不思議さ・素晴らしさが強調されている。

  石橋湛山に関する文献は、伝記物だけでなく、研究書や資料集など数多く存在するので、それぞれの関心に合わせて本を選べばよいだろう。

  明治世代のスケールの大きな生き方は、閉塞する平成時代を生きる若者にとって良き道標となろう。

(2005年1月13日掲載)

Copyright (C) 2005 Student Affairs Division, WASEDA University. All rights reserved.
First drafted 2005 January 13.



『デモクラシー』 マイケル・フレイン 作
 【公演期間・会場】
 2月11日〜19日 シアター1010
 2月22日〜28日 青山劇場
 3月16日〜31日 ル テアトル銀座
 *学生席は青山劇場のみ 5,000円


何食わぬ顔をした 男たちの魅力

<評者>
小田島 恒志
文学部教授
1962年生まれ
1996年4月嘱任
専門分野:現代イギリス小説・演劇
担当科目:英米文学演習(文研)、英文学演習(一文)、表現芸術系演習(二文)等

 鹿賀丈史と市村正親の26年ぶりの共演と聞いただけでも十分そそられるが、さらに藤木孝、三浦浩一、近藤芳正、今井朋彦といった芸達者がずらりと顔をそろえているのだから、舞台好きにはたまらない。しかも、現代英国演劇を代表するマイケル・フレインの最新作である。

  フレインと言えば、舞台の表のドタバタ喜劇と舞台の裏の人間関係のドタバタを緻密な計算でシンクロさせた『ノイゼズ・オフ』や、2人のノーベル賞物理学者ボーアとハイゼンベルクの心の内側を原子の内側に擬えて描いた『コペンハーゲン』などの戯曲のほか、小説やチェーホフの翻訳などもこなし多才な作家として日本でもよく知られているが、常に彼の関心は物事の表と裏という二面性にある。舞台の、歴史の、原子の、そして人間の表と裏を、知的に、愉快に、刺激的に暴いて見せる。

  そのフレインが政治をネタにしないわけがない。そうして登場したのが『デモクラシー』であり、当然2004年度のオリヴィエ賞ベスト・ニュー・プレイ賞にノミネートされた。

  冷戦の最中に東西ドイツの緊張を和らげノーベル平和賞を受賞した元西ドイツ首相ヴィリー・ブラントとその秘書であり実は東側のスパイだったギュンター・ギョーム。まさに「表と裏の作家」フレインに書いてくれと言わんばかりに実在した人たちの物語である。

  さまざまな表と裏に満ち溢れるフレインの戯曲を演じるには英国的な「何食わぬ顔」の役者がふさわしい。日本でやるなら…よくぞここまで見事なキャスティングをしてくれたものだ。割安の学生席(日程要確認)がオススメ。

 

(2004年12月16日掲載)

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First drafted 2004 December 16.



『FUTON』 中島 京子 著
講談社 2003年6月発行 価格1,680円(税込)


男と女の関係に溜息ついたときに

<評者>
椛嶋 裕之(かばしまひろゆき)
法務研究科客員助教授(専任扱い)
1962年生まれ
2004年4月嘱任
担当科目:司法制度論、
民事弁護実務等

 弁護士になって15年。忙しさに紛れ、最近は小説なんてまともに読んだことのなかった僕が、ふとしたきっかけで手にした『FUTON』は、確かに「滑稽で愛らしく、哀しくてセンチメンタル」(帯コピー)な一冊だった。

  田山花袋の『蒲団』(1907年)をモチーフにしたこの作品。『蒲団』との百年の年月を橋渡しする仕掛けは知的で巧妙だ。

  日本文学研究者である主人公デイブ・マッコリー教授と日系女子学生の愛人エミ・クラカワとのストーリー。95歳になるエミの曾祖父セガワ・ウメキチと「愛人」ツタ子との東京大空襲から終戦直後の物語。2つのストーリーは、ウメキチとレズビアンの画家イズミとの「現在」を接点に同時進行しつつ、デイブがエミのあとを追って来日することで交錯する。

  一方、これらのストーリーを交互に挟みながら、主人公時雄の妻美穂の視点から『蒲団』を描いた、デイブ・マッコリー作「蒲団の打ち直し」が粛々と進行していく。

  女弟子芳子の恋をせっせと手助けした末に裏切られる『蒲団』の時雄と、自分を捨てたエミのために推薦状を書いてしまう『FUTON』のデイブ。2人の男の哀しくも愛らしい滑稽さは、百年の時と日米の垣根を超えて、男と女の滑稽さと愛らしさ、そして彼ら=僕らの生きるこの街の、この世界の愛おしさを暗示している。

  離婚訴訟で憎しみあう夫婦の尋問を終え、ぐったりした電車の中で彼らの間の哀しい滑稽さについて考えていたら、ほんの少し温かく優しい気持ちになれた。

  明治期の日本文学には全く関心がなかった僕も『蒲団』を読んでみたくなった。1時間ほどで一気に読み終えた『蒲団』は、びっくりするほどに新しく、そして少し身につまされた。

(2004年12月9日掲載)

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First drafted 2004 December 9.



『交響曲第4番「エクスタシー<法悦の詩>」作品54 ピアノ協奏曲嬰ヘ短調 作品20 交響曲第5番「プロメテウス<火の詩>」作品60』
 アレクサンドル・スクリャービン作曲 ピエール・ブーレーズ 指揮(シカゴ交響楽団) アナトール・ウゴルスキ ピアノ(シカゴ交響合唱団)
ドイツグラモフォン  CD POCG-10164  価格2,548円(税込)


眠れる能力を呼び覚ませたい時に

<評者>
浅香 満
(あさか・みつる)
高等学院教諭
1958年生まれ
2004年4月嘱任
専門分野:作曲。作品は世界各国の国際音楽祭で好評を博している。

 スクリャービンの誕生日はロシア旧暦1871年12月26日であったが、彼はその前日である12月25日の出生を強く望んでいたため、遂に晩年にはこの日を誕生日であると信じて疑わなくなった。何故、彼はその日にこだわったのか?それはキリストの誕生日だからである。彼の思索の軌跡を描いたノートに次のような一文が残されている。「神と私の間には区別がない。ならば、私が神だ」。そう、彼は自らをキリストの生まれ変わりと信じ、降霊術、神秘主義哲学、神智学を通じて神と合一すべく作曲活動を展開したのである。従って、自分が生み出す作品は神の創造物の法則に支配されていなければならず、一度作品に触れた者全員がこれまで体験したことのないような魂の高まりを覚えるようなものでなければならないと考えていた。

  上記3作品のうち「ピアノ協奏曲」のみ最初期の曲であるが、既にこのような思想の萌芽を見いだすことができる。それは、テンポ、主題設定からシンメトリーの構造が浮き彫りになるように熟慮されていることで証明できる。スクリャービンがこれほどまでにシンメトリーにこだわったのは、シンメトリーこそ地球上に存在する神の創造物の最も顕著な構造形態だからであった。

  さらに言及すれば、このCDそのものも、初期の「ピアノ協奏曲」を、至高のエロスによって齎される生命の祝福を描いた「エクスタシー交響曲」と、人類にかつてない叡智を授け、誰も足を踏み入れたことのない境地に誘おうとした「プロメテウス交響曲(そのためにスクリャービンは器楽だけでなく、色光鍵盤による光の投影も試みた)」の後期の2つの代表作で挟み込むという、やはりシンメトリーの形態を強く意識させる心憎い演出がなされている。

(2004年11月18日掲載)

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First drafted 2004 November 18.



『沖縄文化論―忘れられた日本』 岡本 太郎 著
中央公論新社  1996年6月発行  価格720円(税込)


南の島に逃げ出したくなったら

<評者>
高松 敦子
(たかまつ・あつこ)
理工学部助教授
1966年生まれ
2004年4月嘱任
担当科目:細胞生物学A、コンピュータ初級

  著者は、本書の初めの方で沖縄初日の印象として、「恋の島、自由の島、沖縄」と、新聞社のインタビューでうっかり語ってしまったと述べている。だれもが南の島に持つ印象である。

  沖縄サミットが開催されたのと前後して、未だに沖縄ブームが続いている。青い海、青い空、自然、ゆっくりとした時間の流れを求めて、衝動的に沖縄に移り住もうという若者が増えているらしい。もちろん、沖縄の経済状態も良いはずがなく、定住という夢は、夢のまま、現実に引き戻されていく人が多いと聞く。著者は言う。「ゴーギャンが南太平洋のタヒチ島に自由と恋愛の天地を発見した。それは、19世紀ヨーロッパの発展する資本主義の自由と絶望、その世紀末的矛盾への対決であり告発であった」

  岡本太郎は芸術家である。当然美を求めるわけだが、彼は沖縄の美を単に「自然が美しいだけではつまらない」と許さず、文化の中に求める。しかし、本来の沖縄由来の文化はなかなか見つからない。どうしても中国文化が見え隠れする。荒波にもまれながらたどり着いた離島で彼はようやくそれを見つけた。それは、飽きることなくやって来る台風をしのぐための石垣であり、人頭税のつらさを乗り越えるために歌い継がれた民謡であり、その沖縄を生き抜いてきたお婆さんたちであった。「生きる」ことの素朴さと強さの中にあったのだ。

  私の趣味であるダイビング目的でひとたび離島に行くと、海と民宿の間を往復するだけの生活になる。その道すがら生け垣の上のシーサーに見守られ、民宿のお婆さんのたいしておいしくない夕ご飯を食べるだけのことで、再び東京に戻る元気を取り戻せるのは、そういう理由だったのかもしれない。

(2004年11月11日掲載)

Copyright (C) Student Affairs Division, WASEDA University. 2004 All rights reserved.
First drafted 2004 November 11.



『ラヂオの時間』三谷 幸喜 脚本・監督
東宝 TDV2581D 104分 価格6,300円(税込)


「なぜ?」と憤りを感じたときに

<評者>
井上 達彦
(いのうえ・たつひこ)
商学部助教授
1968年生まれ
2003年4月嘱任
担当科目(専門分野):
経営組織論(経営組織論・戦略論)

 世間ズレしていない学生が曇りのない目で見ると、世の中は不可思議なことでいっぱいに映るだろう。大学も例外ではない。なぜ、大学の教員の講義は小難しいのだろう。どうして、学生へのサービスがいき届かないのだろう。シンプルに考えて改善すればよくなるはず。私もそう思う。

  しかし、こうなるには理由がある。言い訳がましいが、裏方にも事情があって、一足飛びに変えていくことはできない。組織で「いい仕事」をするのは、意外に難しいのである。

  この映画は、このような組織の舞台裏を垣間見せてくれる。興味深いのは、その描き方である。ユーモアを交えてはいるが皮肉たっぷりというわけではない。むしろ、さまざまなしがらみの中で一生懸命仕事をしている人たちの姿がよく映し出されている。今抱いている憤りを忘れず、役所や会社などに入って世の中をよくしてやろうと思っている方はぜひ見てほしい。

  話は変わるが、よく構造化された映画・シナリオというのは、よい卒論に通ずる。三谷幸喜さんの作品全般に言えることだが、ドラマの序盤における人物の行動や台詞が、後になって重要な意味を持つ。なぜ、スナックの買い出しをしたのか。しかもなぜ、カップ麺やポップコーンだったのか。巧みに伏線が敷かれていて、何度見ても飽きない。

  卒論を書くときにも伏線は大切である。序論で提起した問題に答えるためには、本論で図表やコンセプトを整えておいて、結論に向かって総動員させる必要がある。

  シナリオライターになったつもりで卒論に取り組んではいかが?

(2004年10月28日掲載)

Copyright (C) Student Affairs Division, WASEDA University. 2004 All rights reserved.
First drafted 2004 October 28.



『辺境に映る日本−ナショナリティの融解と再構築−』
 福間 良明 著
柏書房 2003年7月発行 価格5,040円(税込)


ナショナリティの ゆらぎと再生産

<評者>
周藤 真也
(すとう・しんや)
社会科学部専任講師
1970年生まれ
2004年4月嘱任
担当科目:社会学の思想と理論

 ラフカディオ・ハーンといえば、『怪談』などの再話文学や日本に関するエッセイなどの作品で知られ、最期の年には早稲田で教壇に立った。没後百年を迎えた今年、ゆかりの地などではさまざまなイベントが繰り広げられている。

  近年、ナショナリティについての議論が盛んだ。もちろんこれには冷戦構造が終わり、新たな世界秩序への模索が続いている現代的な状況が背景の一つにある。そうした中で、ナショナリティというものが、近代の社会状況のなかで創られた構築物であるということは、今日もはや「常識」の部類に入ってきている。一見強固そうにみえるナショナリティもまた多様性をはらんでいる。本書が注目するのは、ナショナリティの「ゆらぎ」と「構築」が互いに絡まり合いながらナショナリティを創り変容していく様態であり、それを媒介する「辺境」の存在だ。

  このことを本書では、明治期から戦時期に至る近代日本の学問的言説を取り上げて分析していく。例えば、英文学という領域が形成される中で、ハーンのテキストは「西洋」から逆輸入され、「日本をこよなく愛した西洋人作家」としてのハーンの像が作り上げられていき、「世界」全体がハーンの描くような「日本」を承認することが期待されるようになる。しかし、そこで提示されているのは、ハーンが取り上げたような「旧日本」や「松江」、「熊本」といった「地方(辺境)」との差異が包摂され消去された均質な「日本」の像であったのだ。

  今日、「世界の中の日本」が言われる一方で、「地方の時代」が叫ばれる。本書は、「日本」のナショナリティを考える上で、ぜひお薦めしたい一冊である。

(2004年10月7日掲載)

Copyright (C) Student Affairs Division, WASEDA University. 2004 All rights reserved.
First drafted 2004 October 7.



『明治六年政変』 毛利 敏彦 著
中央公論新社  1980年1月発行  価格714円(税込)


俗説が覆る面白さ

<評者>
田尻 信行
(たじり・のぶゆき)
国際情報通信研究科 客員助教授(専任扱い)
1964年生まれ
2004年4月嘱任
担当科目(専門分野):
情報通信政策

 本、そして学問の面白さの一つは、世の誤った(?)俗説をひっくり返すことにあると私は勝手に思っている。その意味で面白い本としては、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』や、ロンボルグ『環境破壊をあおってはいけない』等もあるが、ここでは征韓論を扱った本書を挙げておきたい。

 「征韓論」というと、明治初年に韓国出兵を求める西郷隆盛、板垣退助、江藤新平ら「征韓派」と、内政優先を主張する大久保利通、岩倉具視ら「内治派」とが対立した結果、前者が下野し、後の西南戦争や自由民権運動につながった、と一般に認識されているように思う。

 だが、本書は、明治維新期の政治史を専門とする著者が、当時の記録を丹念に追い、上記のような「俗説」の誤りを突いている。西郷は決して征韓派ではなかったどころか、征韓に反対の立場であった。また、この政変自体、征韓か内政優先かの是非を主因とするものではなかった。

 このほか、明治初年に欧米を訪れた岩倉使節団が何故大久保や木戸孝允といった当時の政府の錚々たる高官で構成されるようになったかなど、興味深い記述が多いが、これ以上のネタバレは控えよう。

 私が本書を読んだのは、大学卒業後何年も経ってからだったが、専門外の人間にとっては正直「目から鱗」であった。人々がそうだと思い込んでいることがいかに頼りないものか、そしてそれに惑わされることなく記録やデータなどを地道かつ丹念に分析することの重要性を改めて感じさせられた一冊であった。

 当時の書簡を引用した部分など読みにくい所は飛ばしてよいので、一度読んでみてはいかがだろうか?

(2004年9月30日掲載)

Copyright (C) Student Affairs Division, WASEDA University. 2004 All rights reserved.
First drafted 2004 September 30.