先輩に乾杯!

(33)理工学部出身、異色のフリークライマー
 尾川 智子さん


尾川 智子さん
おがわ・ともこ
 1978年愛知県生まれ。愛知県立時習館高校卒。2003年早稲田大学理工学部応用物理学科卒業。在学中に出場した富山国体の山岳競技(成人女子の部)で総合2位となり、フリークライミング(ボルダリング)に魅了される。以来、国内外の大会で好成績を収める。現在、(株)ナイキジャパンとのスポンサー契約を結び、ボルダリングの大会への参戦および普及・指導活動に励む。日本フリークライミング協会会員。
 >>Webサイトへ

 幼いころから、「とにかく1番が好き!」。そんな負けん気の強さがあらゆる活動の原動力となっている。「日夜研究室に缶詰」という一般的な理系学生のイメージを払拭し、オフタイムはフリークライミングに没頭する日々。いつしかそれが生活の中心となり、卒業と同時にアスリートの道を歩き出したフリークライマー、尾川智子さんが今回の先輩。クライマー歴わずか4年にして、もはや国内大会では敵なしという尾川さんのアクティブでポジティブな生き方を紹介しよう。

フリークライミングとの出会いは運命の赤いロープだった?

中学時代の富士山初登頂。途中の苦難を乗り越えた者だけに許される達成感を味わい、登山に対する関心が芽生えた。山頂で目にした美しい星座群に圧倒され、天文学への興味に目覚めた。天文学への興味はいつしか宇宙飛行士への夢となり理工学部応用物理学科に入学。同時にもう一方の興味を満たすべく理工ワンダーフォーゲル部に入部。「女性の少ないワンゲル部では女性ということで特に容赦されることなく、男性と互角に難易度の高い山にもチャレンジしていました」。その体力と根性が見込まれ、先輩から山岳競技での国体参加を薦められ、わずか半年間の練習でいきなり国体2位の栄冠を手にした。

  山岳競技は「フリークライミング」と重い荷物を背負って山中を疾走する「縦走」から成る。これを契機にフリークライミングの虜に。「私がのめりこんだのはロープを使わないボルダリング。ロープクライミングが持久力との戦いであるのに対して、ボルダリングは人間の動きの限界との戦いといえるでしょう。こんなに小さな突起をつかんでどうやって上体を維持できるのかっていう」

ワールドカップでの武者修行でつかんだ自信が進路決断のきっかけに

 大学院進学者が大半を占める理工学部の風土の中で、漫然と大学院進学を意識していたが、何と必修科目を落とし、まさかの留年。幸い(?)それが後期設置科目だったことから、5年の6月〜9月、ヨーロッパでのワールドカップ参戦を決意。「親の理解と援助を得ることは無理だと思っていたので、渡航費と生活費はアルバイトで捻出しました。一緒に参戦した仲間とキャンプ生活をして宿泊費を節約しました。この長期間の連戦をとおして、自信をつかみ、精神的にもかなり強くなれたと思います」

  帰国後、大学院受験に挑むも、悩みに悩んだ末、二次試験直前で辞退。「今でも指導教授には申し訳ないことをしたと思っていますが、人生に保険をかけるような中途半端なことはしたくない、自分の気持ちに正直にフリークライミングを生活の主体にしていこうと決断したのです」

どうせ自分を売り込むなら「就職活動」よりも「スポンサー探し」を

 そこからは自身の活動に理解を示してくれそうな企業への就職を考え、いくつかの企業を回るうちに「どうせ自分を売り込むなら、むしろスポンサーを探してしまった方がてっとり早い」と思い立ち、方向転換。自作のPRビデオや資料を片手に企業を回り、願ってもないような大企業、ナイキジャパンからスポンサー契約を勝ち取った。「契約自体は永続的なものではないことは承知しています。もちろん競技で結果を出すことが何よりですが、私のキャラクターを評価していただいた部分も多いと思うので、アスリートとしての人間的魅力を磨いていきたいですね」

  将来については「ボルダリングは体力だけでなく経験からくる判断力も問われる競技。できる限り長く競技を続けながら、普及と指導の一翼も担っていきたい」と語る。まったく思いがけない結果となった自身の進路選択を振り返って「最初はとても怖かった。しかし、自分はできるという直感を信じてチャレンジを続ければ、チャンスはきっとやってくる。迷うことなく自分を信じることが何より大事だと実感しています」

(2004年11月25日掲載)

Copyright (C) Student Affairs Division, WASEDA University. 2004 All rights reserved.
First drafted 2004 November 25.