先輩に乾杯!

学生時代の逆境をチャンスに転じ、天職をつかんだ
 ファイナンシャル・プランナー   浅井 秀一 さん


浅井 秀一
 あさい・しゅういち
 1964年愛知県生まれ。福井県立若狭高校卒。第一文学部在学中の1986年に、相続と法人(同族会社)の清算を体験。88年に学生では初の日本FP協会の会員となり、89年、卒業と同時に独立系FP会社に入社。92年、独立し、泣Gムエムアイ埼玉を設立。96年、泣Xトックアンドフローを設立。主に個人に対するファイナンシャル・プランの作成に従事する傍ら、雑誌・新聞等への原稿の執筆や、TV出演、講演会などをこなしている。2004年4月には、東京証券取引所が主宰する「東証アカデミー」のフェロー(教授)に就任し、投資教育の啓発・普及にも力を注いでいる。

 大学入学前に、将来のキャリア・プランを明確に抱き、大学や学部を選択し、卒業後は着実に夢を実現する。かくのごとき絵に描いたような人生を送ることは理想的かもしれない。しかし実際は、学生時代の「自分さがし」の過程で経験する何らかの出来事を契機に、自らの興味や適性に目覚め、寄り道や試行錯誤を繰り返しながらキャリア・プランを模索する人がほとんどではないだろうか。そんなターニング・ポイントはいつ、どのような形で訪れるか分からない。今回は学生時代に遭遇した逆境をチャンスに転じ、ファイナンシャル・プランナーとしての天職をつかんだ先輩、浅井秀一さんのドラマチックな人生を紹介しよう。

父の突然の死、それが人生の転機だった

 将来の進路について明確なイメージを持たないまま、推薦で入学した第一文学部。授業よりもサークル活動や仲間とのマージャンに明け暮れていた日々。その結果、希望していた専修に入ることも叶わなかった。翌年の卒業も危ぶまれるようになった3年生の冬、事業を営んでいた父が急逝。長男として財産の整理、法人の清算に直面。素人の学生にとっては重過ぎる負担。しかし周囲には、専門的な知識をもって相談にのってくれる人もいなかった。「知らないがために損をすることがある」と気付き、独学で相続税、会社の税金に関する知識を習得。3年がかりで相続と清算の手続きを完済した。その過程で、必要に迫られて始めたファイナンスの勉強に魅せられるようになった。

ファイナンシャル・プランナーとしての道を歩みはじめて

 6年生の時には当時発足したばかりの日本ファイナンシャル・プランナー(以下FP)協会のFP養成講座に参加し、学生としては第1号の資格取得者となった。当時はバブル経済全盛期。就職活動では財務部門に配属させると約束してくれた電子部品メーカーから早々と内定を得た。ところが、入社直前の懇談会で営業部門への配属が伝えられた。「ケチがついた」と感じ、やむなく内定を辞退。以前から声をかけてくれていたFP養成講座の講師が経営する会社の門を叩き、FPとしての道を歩みはじめた。3年後、28歳で独立。「仕事には自信があったので、独立に際してリスクは一切感じなかった」。初めは自宅で開業。仕事が軌道に乗るにつれ、目白、恵比寿、渋谷へとオフィスを移転してきた。

好きな仕事で人に喜ばれ、かつ生活の糧を得ることができる幸せ

 入会当初は200人程度だった日本FP協会会員も、現在では13万人を超える。そんなFP過当競争時代の到来を迎えても、揺るぎない自信を持つ。「自分の強みは、自ら噛み砕いて理解して、自分の言葉でわかりやすく相手に伝えること。そして、単に情報を集めて伝えるのではなく、独自の分析により常に自分から新しい情報を発信する側にあること」と強気な姿勢。数学は嫌いだったが、そろばんは得意。「算数ができて、数字に対する感覚が強ければFPはやっていける」

 相続問題に直面し、途方に暮れた大学3年の冬、相談にのってくれる人がいてくれたらという苦い経験が、助言を求める人に喜んでもらえるFPという仕事のやり甲斐を支えている。「FPの仕事は単にファインナンスの問題だけでなく、時として人生相談にまで入り込むこともある。決して誉められるような学生生活ではなかったが、遊びや仲間との交流も含めた学生時代の経験で人間としての幅が広がったと思いたい。このことが現在のFPの仕事を行う上で大いに役立っていると感じている」

(2004年11月4日掲載)

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First drafted 2004 November 4.