薦! |
2004年度前期分 目次 |
『プラトーン:特別編』オリバー・ストーン監督・脚本
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<評者>
中村 英俊 (なかむら・ひでとし) 政治経済学部助教授 1964年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目(専門分野): 国際機構論(国際政治学) |
「戦争のない平和な世界」これはユートピア(理想)に過ぎないのだろうか。たしかに、国際政治という学問は「戦争の存在」というリアリティ(現実)だけの説明に終始する傾向がある。しかし、本当にそれで良いのだろうか。
『プラトーン』は、1960年代後半ベトナムにおける「アメリカの戦争」が有したリアリティを私たちに伝えてくれる名作だと思う。
この映画は、1986年度アカデミー賞(作品賞・監督賞など)を受賞した。私は封切りから随分経ったある日、早稲田松竹で、恩師と大学院の友人と一緒にこの映画を初めて観た。誰が敵なのか分からなくなってしまう戦争映画を観て強い衝撃を受け、長い間、この衝撃だけを時々思い出した。
今年4月に母校へ戻ると、記憶を再生するためにDVDを購入した。DVD版の特別編には、監督の音声解説やドキュメンタリーなどの映像特典もある。ちょうど、E・H・カーの『危機の二十年』を再読した後だったからだろうか、映画の中で、バーンズ軍曹は現実主義者に描かれ、エリアス軍曹は理想主義者に描かれているように感じた。そして映画の最後で、サミュエル・バーバーのアダージョが流れる中、チャーリー・シーン演じるクリス・テイラーの言葉が再び心に深く刻み込まれた。
「イラクのベトナム化」という暗喩は、研究者としては簡単に使いたくない。しかし、ユートピアを簡単に諦めて、リアリティを誇大に強調することも、避けたい。
映画料金を払ってくださった恩師は、50代半ばで急逝された。西早稲田キャンパスから早稲田松竹に向かう道沿いには、多くの古本屋がある。恩師の遺作も並ぶ「知の宝庫」で多くの名著に出会い、多くの名作映画を観てほしい。
(2004年7月22日掲載)
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『箱という劇場』 横山 正著
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<評者>
田中 智之 (たなか・ともゆき) 芸術学校客員講師(専任扱い) 1971年生まれ 2001年4月嘱任 担当科目:建築設計、建築表現、造形論 |
どの学問でも同じかと思うが、美術や建築の領域はとりわけ広い。数千年の歴史や美学、構造力学などのエンジニアリング、そして意匠デザイン等、途方もなく広大な世界が拡がっている。
よし勉強するぞと意気込み、取りあえず歴史をマスターしようと思う。ルネサンスに集中しつつも、傍らでチラつく最新建築情報が気になり脱線。結局どっちつかずとなり、ただただ焦るばかり。
こんなことを繰り返し、結局何も身に付いていないのではないかと悩める人は多いと思う。そんな学問の海に溺れかかっている方にお薦めする本だ。
著者は建築および美術の専門家であるが、素性は「箱マニア」。幼少期にもらった菓子箱の魅力にハマり、以来世界各国の箱という箱を蒐集している、いわゆる箱オタクだ。「箱屋」を志し、将来的には「箱大全」を世に発表するのを目論む変わった人物である。
書中では、なぜ箱かという問いに始まり、氏がハマったさまざまな箱の紹介が続く。注目すべきは美術、建築の歴史においても「箱的」作品を「蒐集」している点だ。モダン・アートではコーネル、デュシャン、マン・レイらによる「箱的」作品を見出し、遠近法やカメラ・オブスキュラといった美術の基礎と絡めながら展開。また建築ではコルビジェ、ミースなどの近代建築や日本の茶室などのワンルーム建築を抽出し、その可能性に触れている。そして「蒐集」した事例間の関係へと話は及び、結果的に箱を軸とした一大スペクタクルが展開することになる。
好きこそものの上手なれ。本当に好きなことに立ち返り、それを軸にして勉強することこそが、知の大海における最適な泳法なのだ、と教えてくれる一冊だ。
(2004年7月15日掲載)
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『西瓜糖の日々』リチャード・ブローティガン 著、藤本 和子 訳
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<評者>
都甲 幸治 (とこう・こうじ) 文学部専任講師 1969年生まれ 2004年4月嘱任 専門分野:現代アメリカ文学 |
現在「やさしい」という言葉は絶対的な善であるかのように流通している。しかし本当にそうなのか。『西瓜糖の日々』でブローティガンは、やさしさという暴力によって排除されるものについて語っている。舞台はアイデス(iDEATH)という共同体で、そこでは誰もが徹底的に「やさしい」。だがそれは、その名のとおり「自己の死」を引き替えに獲得されたものである。そして自己の死を受け入れない者たち、たとえば「虎」と呼ばれる暴力をふるう者、酒を飲む者、美に取り憑かれた者は殲滅せんめつされ、「忘れられた世界」に放逐される。ここで露呈しているのは、「やさしい」者たちこそが最も暴力的であるという逆説である。
60年代末、『アメリカの鱒釣り』(晶文社、1975年)によってヒッピーの教祖に祭り上げられたブローティガンは、その後アメリカでは忘れ去られた。しかし日本やフランスでは熱心な読者により現在まで読み続けられている。詩と散文の間という特異な文体で記された、ポップな笑いに満ちた作品は、死や性や貧困や孤独などへの深い認識に基づいている。たたき上げのポストモダニズムとでもいうべき彼の諸著作のすごさは、むしろ今世紀になってはじめて読み得るようになったという気がしてならない。幸運なことに、日本の読者は彼の作品を、藤本和子によるこれ以上ない名訳で読むことができる。彼女のブローティガン理解がどんなに深いものかは、すべての細部までが美しい『リチャード・ブローティガン』(新潮社、2002年)に容易に見て取れる。彼への思いゆえに彼女は日本語を変え、その言語的革命から村上春樹や柴田元幸が生まれてきた。その文学史的意義は計り知れない。
(2004年7月8日掲載)
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『早稲田パブリックマネジメント 第1号』編集 片岡 寛光 他
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<評者>
篠田 徹 (しのだ・とおる) 社会科学部教授 1959年生まれ 1990年4月嘱任 担当科目:ソシオダイナミクス |
やや! これは本気だ。なにがって? 6月1日に創刊された新時代のガバナンス創造誌、題して『早稲田パブリックマネジメント』である。編集は早稲田大学大学院公共経営研究科のスタッフ。つまり公共経営研究科の機関誌である。
こういうものが出ると聞いて、タカを括っていた。これまでの地味で控えめな研究科雑誌と似たようなものだろうと。ところが予想ははずれた。日経BPと組んで編集された雑誌の装丁の豪華で、カラフルで、わかりやすいこと。
本気なのは雑誌のつくりばかりではない。インタビューに答えるゲスト、テーマについて対談する教授陣、連載を含め多彩な執筆陣。その写真から、発言から、ただならぬ空気がみなぎっている。
確かに内容は、初学者には面食らう。「アウトカム・マネジメント」「PFI」などなど、誌面にはカタカナが多い。しかし恐れるなかれ。よく読めば、メッセージは明快だ。「何のためにやるのか、それをいつも考えよう」。
行政が、企業が、そして市民グループが、仕事をしたとする。その時ぼくらは、ついついできたモノ、なされたコト、数字や姿に目を奪われがちだ。そしていつのまにか、それは何のために始められたかを忘れてしまう。仕事は誰かや何かに向けられて行われる。その誰かや何かが、その仕事のおかげでどこまで満たされたのか。それがわかるまで、ぼくらは納得してはいけないのだ。
みんなで何をめざしたのか、いつもそのことを忘れないこと。いつもそこに立ち返って、やり方や出来ばえを考えること。それを本気で考える「公共経営」ってステキじゃないか。そんな予感で一杯な『早稲田パブリックマネジメント』。そこには熱い風が吹いている。
(2004年7月1日掲載)
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『Harry Potter and the Prisoner of Azkaban』J. K. Rowling 著
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<評者>
大鹿 智基 (おおしか・ともき) 商学部専任講師 1976年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:簿記原理、専門英語講読(会計)、他 |
間もなく、ハリー・ポッターシリーズ第三作である「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の映画版が公開される。ホグワーツ魔法学校での生活が三年目に入ったハリーが、いつもの仲間たちと冒険を繰り広げる。心待ちにしている読者も多いことだろう。ここでは、原著に触れることをお薦めしたい。
日本の英語教育を受けてきた多くの皆さんは、英語学習というものに対し、たくさんの単語やややこしい文法を覚える、というマイナスのイメージも多く持っていると思う。もちろん、外国語を学習する際に、暗記しなくてはならないことがたくさんあるのは致し方ない。しかし、早稲田大学の一員である皆さんには、すでにそれなりの基礎力が身に付いていることも事実である。この機会に確認してみてはどうだろうか。
本書は元々子供向けの書物であるため、比較的平易な文章で書かれている。また、ストーリーの流れが分かっていれば、理解の助けになるはずである。読み方のスタイルをいろいろ試してみるのも一案だ。知らない単語が多少あっても全体を把握する練習をしてみるのも良いし、逐語訳ができるくらい丁寧に読んでみるのも良いだろう。章ごとに変えてみるのも面白いかも知れない。
また、同じ英語でも、原著であるイギリス版と、アメリカで販売されたアメリカ版が存在する。私たちが日本で学習するのはアメリカの英語を基本としているので、アメリカ版のほうが読みやすいと思う。しかし、余裕があればぜひとも両方を手にとって、その違いを実感してみると、楽しみながら活きた英語を学べるに違いない。ハグリッドのスコットランド方言がどのような表現になっているか、など興味のねたは尽きないはずだ。
(2004年6月24日掲載)
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『東洋学の系譜』 江上波夫 編
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<評者>
河野 貴美子 (こうの・きみこ) 文学部専任講師 1964年生まれ 2004年4月嘱任 専門分野:日本中古文学、和漢比較文学 |
明治以後、西洋の新しい学問の大きな波が押し寄せる中、「東洋学」に取り組んだ学者たち。本書は、哲学・史学・文学・語学等、さまざまな分野において近代日本の東洋学を切り拓き、生みの親、育ての親となった東洋学者の人と学問を紹介する評伝集である。
取りあげられるのは、那珂通世・林泰輔・市村次郎・白鳥庫吉・内藤湖南・高楠順次郎・河口慧海・服部宇之吉・狩野直喜・鳥居龍蔵・鈴木大拙・桑原隲蔵・岡井慎吾・津田左右吉・新城新蔵・大谷光瑞・鈴木虎雄・加藤繁・濱田耕作・羽田亨・諸橋轍次・武内義雄・青木正兒・石田幹之助の計24人。各評伝は、それぞれの人物にゆかりの、学界を代表する研究者が執筆を担当している。
執筆者は、先人の業績を整理しつつ、それを研究史全体の中に位置付け、適切な評価を加えている。したがって本書は、日本の東洋学の軌跡と水準を知るための良質のガイドブックとなっている。豊かな学識と壮大な理想、そして年月を経てもなお価値を失わない優れた研究は、感動的でさえある。
一方、本書のぜいたくは、第一級の学者たちの学問に対する姿勢や・こ・だ・わ・りを伝えるエピソードが随所に織り込まれていることにもある。学問の世界の魅力を惜しみなく語ってくれる本書を、専門領域を異にする学生諸君へも薦めたい所以はここにある。
本書は、雑誌『しにか(SINICA)』に創刊号から連載された(1990年4月〜1992年3月)各評伝を単行本としてまとめたものである。姉妹篇として『東洋学の系譜』〔第二集〕と『東洋学の系譜』〔欧米篇〕もある。その『しにか』は本年3月をもって休刊となったが、21世紀の東洋学は、さらに多彩な系譜を紡いでゆくはずだ。
(2004年6月17日掲載)
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『博士号とる? とらない? 徹底大検証!―あなたが選ぶバイオ研究人生』 白楽 ロックビル著
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<評者>
赤間 高雄 (あかま・たかお) スポーツ科学部助教授 1957年生まれ 2004年4月嘱任 専門分野:スポーツ免疫学、スポーツ医学 |
細胞、個体、あるいは人間の生命現象を解析するバイオサイエンス(生命科学)研究の関連領域は応用領域を含めて広範囲にわたり、世界中で多数の研究者がバイオサイエンス関連研究に日々取り組んでいる。バイオサイエンスの研究の進歩は急速で、その研究成果がメディアで取り上げられることも多い。人間が生きているという生命現象そのものや健康に生きることについて、世の中の関心が高いのは当然である。バイオサイエンスに興味をもって勉強している学生も多いと思う。バイオサイエンスの知識については、教科書、参考書、および専門雑誌などが数多く出版されているので、十分に勉強することができる。しかし、バイオサイエンスの研究者をめざす学生が進路について考えるときに参考となる本は少ない。本書は、バイオサイエンスの研究者にはどのような進路があるのか、博士号はどういうものか、大学院進学のメリットはなにか、といった疑問に答えてくれる本である。
本書の著者は「白楽 ロックビル」というペンネームを使っているが、本書の著者紹介にあるように、お茶の水女子大学理学部助教授で第一線のバイオサイエンス研究者である。本書は、気楽に読めるようにとの著者の意図のためか、独特のくだけた表現が多くなっており、ときどき話題が脱線する箇所もある。しかし、本書の内容は、多くの資料の詳細な検討と著者の人脈による広範囲な第一線の研究者に対する調査に基づいて書かれたもので、バイオサイエンス研究者の実状を知ることができる。バイオサイエンスの研究者をめざす学生はもちろん、それ以外の学生や他分野の研究者も興味深く読める本と考える。
(2004年6月10日掲載)
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『アルケミスト』パウロ・コエーリョ 著、山川絋矢・山川亜紀子 訳
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<評者>
奥迫 元 (おくさこ・はじめ) 社会科学部専任講師 1969年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:国際関係論 |
進路選択に迷い、手がかりは欲しいが、気分が塞ぎがちで「固い」本は読む気になれない。そんな時には肩肘を張らずに「柔らかい」本を開いてみるのもよいものだ。
私がこの本と出会ったのは博士課程在籍中のことだった。物語は、自分の「夢」を信じる羊飼いの少年サンチャゴが、住み慣れたアンダルシアを離れ、「宝物」を求めてエジプトのピラミッドへと向かう旅の話。当時、先がどうなるかも分からず、かといって引き返すこともできなくなっていた大学院生の私は、自らをサンチャゴ少年に重ね合わさずにはいられなかった。
これ以上物語の詳細に立ち入るのはよそう。その代わり、ここでは私がこの本で発見することのできた知恵について述べてみたい。
まず、何かを選ぶということは、気付くと気付かずとにかかわらず、何かを捨てることに他ならないということ。だとすれば、自分の選択とそれに伴う「代価」に対しては自分で責任を持ちたい。
次に、選択を迫られる時点では、選択の結果は常に不確実であり、むしろ不確実であるからこそ自由でありうるということ。だからこそ自分の未来の不確実性に正面から向き合える勇気が欲しい。
さらに、人生には思うにままならないこと(「雨の日」)が多々あり、このような「雨の日」こそ、自分が試されている時であるということ。試練の時を挑戦の機会として受け止められる心の強さを持ちたい。
最後に、何が役に立つか、何が無駄か判断する力など今の未熟な自分にはないということ。だから、出会う人や言葉や機会を大切にするためにも素直でありたい。
人生とは「自分探し」の旅なのではなく、「自分を作る」旅なのかもしれない。皆さんはこの本からどんな知恵を発見するのだろうか。
(2004年6月3日掲載)
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『脱藩ベンチャーの挑戦』飯塚 哲哉 著
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<評者>
池永 剛 (いけなが・たけし) 情報生産システム研究科助教授 1964年生まれ 2003年4月嘱任 担当科目:システムLSI設計、並列処理LSI特論、他 |
バブル以降、日本に活力がなくなったと言われて久しい。実際、1988年に50%以上あった半導体産業の世界シェアは、現在25%にまで落ち込んできている。政治面、経済面いずれにおいても効果的な手が打てておらず、ジリ貧状態が続いている。戦後の安定期を終え、昨今、黒船は東(アメリカ)からだけでなく西(アジア諸国)からも到来しており、まさに日本は、前門の虎、後門の狼という厳しい状況にある。この様な時代を乗り切る鍵は、幕末の危機の時と同様、組織(藩)の枠組みにとららわれることなく、リスクを負いながら自らの理想を追った坂本竜馬の様な存在にあると強く感じる。
本書は、ザインの飯塚氏の自叙伝である。脱藩ベンチャーという言葉が示すとおり、東芝という巨大組織を自ら離れ、さまざまなリスクが渦巻く中、ザインを起業し、日本を代表する半導体ベンチャーに育て上げた。また、JASVAを設立し、日本の産業復活のため精力的に活動されている。本書は、江戸時代の歴史書ではなく、現代のさまざまな事象が記述されたものであり、今取り組むべきことの具体的な示唆に富んでいる。
飯塚氏は、幼年期から大学、東芝時代にかけて常に一流の世界を歩んできた、所謂エリートである。ザインの成功は、氏の才能によることは間違いない。一方で、日本のエリート層は、巨大組織に同化することでリスクを回避し、安定を求めていることがほとんどであり、変動期の足枷となっている。以前、氏と直接議論させていただく機会を得たが、その点を特に問題視されていた。また、勝ち戦を知らないバブル以降の世代が、逆に焦燥感を持っていないことにも危機感を持たれている。本書に刺激を受けて、リスクを厭わない真のエリートを目指していただけたら幸いである。
(2004年5月27日掲載)
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『歴史を学ぶこと』鹿野 政直 著
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<評者>
大橋 幸泰 (おおはし・ゆきひろ) 教育学部 専任講師 1964年生まれ 2004年4月嘱任 専門科目:日本史研究(日本近世史) |
歴史ほど繰り返しそれを学ぶ理由が問われる学問はない。いわゆる実学のそれがあまり問われないのと対照的である。歴史を学んで直ちに実社会で役に立つということがほとんどないからだろう。なぜ歴史を学ぶのかという問いに対して納得できる答えを得るには、実際に自分自身で歴史を学びながら考えるしかないのだが、本書はその問いへの解答を模索している人々にとって良い導き手となるはずである。
岩波書店が夏休みに開いた高校生セミナーという催しをもとにしているので、本書のスタイルは高校生に語りかけるかたちをとっている。しかし、本書は歴史に関心を持つすべての人々にとって最適な入門書であるだけでなく、すでに歴史学を学んでいる人やその研究・教育に関わっている人々にとっても、歴史学を志した初心を呼び覚ます書として広く読まれるべき本だと思う。
本書からもっとも学ぶべき点は歴史に向き合う姿勢である。それは他者への想像力を豊かにしようとするものであり、本書にはそれを実現するための示唆的な言葉がちりばめられている。「小文字の歴史」、「にとっての視点」、「マイノリティーの問題」などがそれにあたり、そうした視点によって、私たちを取り巻く価値観や常識・秩序を相対化することが提起されている。
近年、学問をめぐる状況は社会の要請に応じて実学重視の方向に傾斜しつつあるように見える。もちろんそうした学問の在り方を全面否定するつもりは毛頭ないが、大局的に見た場合、学んですぐに実践で役に立つとは限らない、歴史学のような"虚学"がもっと学ばれるべきではないかと私は考えるが、いかがであろうか。
(2004年5月20日掲載)
(2004年5月24日修正)
『霊山』 高 行健 著、飯塚 容 訳
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<評者>
本山 哲人
(もとやま・てつひと) 法学部専任講師 1969年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:英語 専門分野:エリザベス朝演劇 |
千万無量の期待や喜びを抱いて迎える新学期。それらはいつしか、大隈重信像を毎日仰ぐ感動が、鬱陶しく茂る青葉に消えた桜の花に追随するかの如く消散する頃、怏々とした戸惑いへと変貌することがある。そして、毎年必ず幾人かの学生は、最初は熱心に授業に出席していたのにも拘らず、それ以後行方知れずになってしまう。
『霊山』の主人公も、誤診での癌告知という、人生観や価値観を揺るがす大転機を経て、自分自身や自らの置かれた立場に疑問を抱くようになる。それを機に北京を後にして、古い民謡収集を口実に四川の山村を跋渉するのである。そこで彼が目の当りにするのは、文化大革命の波を受けつつも守られている古い社会であり、同時に、社会から逸出しようと足掻きながらも完全に決別することができずにいる自らの姿でもある。そして、その終着点で垣間見る真実とは…。
高行健は、画家、劇作家としても活躍を続け、2000年に中国語圏で初めてのノーベル文学賞を受賞している。ただ、彼を中国の作家であると言い切ってしまうと語弊がある。彼の作品は中国ではなく台湾で出版され、彼自身も1987年に渡欧して以来、母国には戻らず、97年にフランス国籍を取得している。1989年9月に書き上げられ、自伝的要素が強い『霊山』には、拠所を失った者の居心地の悪さや苦悩が叙されている。
この作品では夢と現が曖昧に描かれている。それ故に主人公の意識が躍如となり、また読者も彼の自己探求の旅に惹き込まれていき、共感を覚えるのであろう。自分の居場所や自分自身を見失ってしまったとき、『霊山』の主人公とともに旅立ってみてはどうだろうか。
(2004年5月13日掲載)
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『博士の愛した数式』小川 洋子 著
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<評者>
松居辰則 人間科学部助教授 (まつい・たつのり) 1964年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目 統計学、コンピュータシステム、プログラミング |
ここ20年間ほど仕事柄、専門書や論文ばかりを読んできた。最近は、右脳のためにいわゆる「やわらかい」本を読むようにしている。そんな中で「博士」「数式」というタイトルだけに惹かれて読んでみた・・・困ったものである。
この話には、記憶力を失った天才数学者(博士)、と家政婦(主人公)、10歳の息子(大の阪神ファン、頭の形が√のように平らなので、あだ名はルート)が登場する。博士は事故の後遺症で記憶が80分しかもたない。そして、数学者らしく(?)変わり者である。
博士は日々の生活で数や数式を見つけては、数学的な意味と、素晴らしさをわかりやすく説く。その中には主人公とルートへの思いやりや優しさがある。「誕生日が28日」と聞けば、28が完全数であることから、その素晴らしさを説く。また、主人公とルートも、80分を見事に利用し変わり者の生活を支えてゆく。その中にも博士への思いやりや優しさがある。そして、そのつなぎになっているのが数や数式なのである。
このような3人の生活が進むにつれ、主人公とルートは数や数式を楽しみ、自ら数や数式の性質を見つけ、そこに喜びを感じるようになる。3人の生活は知的に豊かになっていく。それは、天才数学者にしてみれば自明な発見かもしれない。しかし、博士は大いに褒め、称え、先へと見事に導く。時は流れて、ルートは成長し、中学校の数学の先生になる。その姿を見て博士は心から喜び、旅立つ・・・
「せつなくて知的な至高のラブ・ストーリー」と紹介がされている。博士は数学者である前に、数楽者だったのかもしれない。数学を学習する者、特に数学に対して苦手意識をもっている者には勇気を、数学を教える者には「何か」を与えるであろう。まさに、右脳に栄養が送られた気がする。
(2004年5月6日掲載)
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『ヨーロッパの分化と統合―国家・民族・社会の史的考察』
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<評者>
厚見 恵一郎 (あつみ・けいいちろう) 社会科学部 助教授 1967年生まれ 1996年4月嘱任 担当科目:政治学史 |
EU統合が「ヨーロッパ」という概念の再検討を促していることは間違いないが、これまでEU統合の前史としてのみ描かれがちであったヨーロッパ統合史研究に、奥行きと幅を与えてくれる邦書が登場した。本書は、それぞれ専門の地域・時代・学科領域を異にする15人のヨーロッパ史研究者が、「分化と統合」をキーワードに、古代オリエントからギリシア・ローマ、中世・近世から近・現代の東西ヨーロッパとロシアにおける、政治・経済・法制・社会・宗教・文化などの諸側面にアプローチした論集である。
これまでの日本におけるヨーロッパ統合史研究は、個別の事例研究と特定観念の伝播史研究とに分裂しがちであった。統合的「ヨーロッパ」の起源も、ローマ法やrespublica christiana、あるいはウェストファリア体制といった特定の統合イメージに収斂されて解釈された。本書は、「ヨーロッパ統合」の起源やレベルの多義性を前提としつつ、それらが分化と統合を繰り返すことで形成されてきた「ヨーロッパ」の歴史的実態に迫る。その意味で、個別史やトンネル史にとどまらない「ヨーロッパ統合の文明史」と呼ぶにふさわしい内容となっている。
政治思想史を専攻する評者にとっては、東欧への目配りがきいている点、言語文化論や知識人論が積極的に扱われている点、市場的効率性の観点からのみ語られがちな通貨・貿易統合を社会史的文脈に投げ返している点、などが新鮮であった。ヨーロッパに興味がある人のみならず、人類がなぜ分化と統合を繰り返すのかを考えたい人に、貴重な歴史的素材を提供してくれるであろう。
(2004年4月22日掲載)
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『グレート・ギャツビー』 フィツジェラルド 著 野崎 孝 訳
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<評者>
木村 啓二 (きむら・けいじ) 理工学部専任講師 1972年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:コンピュータ アーキテクチャ |
「ロマン」なんて、今どき口にだして恥ずかしい言葉はない。現に、こうして「ロマン」と打鍵していてもこそばゆい感覚がある。しかし、この小説を一言で語る際に「ロマン」以外の言葉を私は知らない。もう少し言葉を使えるなら、これは追い求めていたもの、失ってしまったもの、滑稽なもの、哀しいもの、醜いもの、そして美しいものの物語である。
主人公のギャツビーは、ただ一人愛した身分不相応の女性ディズィを取り戻すために、危ない橋を渡り一財産を築き豪奢な邸宅を建てパーティーを夜ごと繰り返している。彼にとっては、邸宅もパーティーも彼女を再び呼び寄せるための単なる手段に過ぎない。そして悲劇的な結末。あらすじをこうやって書き連ねたところでそれほどの意味はない。
執念とも言える一人の女性に対するこれほどの想いは、この小説が世に出た当時であっても常軌を逸していたことであろう。また、舞台設定が第一次大戦後のニューヨークなら登場人物たちの行動も今読むとずれているようなところもあり、要するに古くさい。それでも、ギャツビーの一途な夢やその夢を叶えるために成した行動に想いを巡らすと、口に出すのも恥ずかしいような言葉を思い出し感じ入ってしまうのである。この物語は悲劇的な結末で終わる。しかし、ギャツビーはその悲劇的な結末も含め自分のとってきた行動に、そして追い求めてきた夢に後悔などしていないのではないだろうか。むしろ満足しているのではないだろうか。そう私は思っている。
最後になったが、この物語はニックという語り部によって綴られている。このニックによる導入部とエンディングが特に美しい。ぜひとも味わっていただきたい。
(2004年4月15日掲載)
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『アフガニスタンの診療所から』 中村 哲 著
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<評者>
桜井 啓子 国際教養学部教授 (さくらい・けいこ) 1959年生まれ 2004年4月嘱任 担当科目:Introduction to Islamic Culture |
ホンモノの国際協力とは
国際協力に携わるための条件はと聞けば、英語は当然。できればもう1カ国語。理論的な思考に明快な表現技術、豊かな教養に確かな専門的知識…といった答えが返ってくるだろう。もちろん、これらを否定するつもりはないが、本当に大切なのは、もっと別のものではないか。
著者中村哲氏は、アフガニスタンが脚光を浴びるずっと以前の1984年から今日まで、医師として現地で、らい病治療に携わってきた。最初に氏の活動拠点となった病院は、パキスタン北西辺境州のペシャワールにある。住人の多くは、アフガニスタンとパキスタンの両国にまたがって暮らすパシュトゥーン族で、部族の掟とイスラームが融合した独特の規範の中に生きる誇り高き人々である。
本書は、著者のペシャワールでのらい病根絶治療やアフガニスタンでの診療活動などを平易に紹介したものだが、そこに描かれているのは、世界の矛盾が凝集する地域に生きる人々の実情であり、医師として人間として、土地のしきたりを敬い、彼らと苦楽を共にしてきた著者の生き方である。
著者は、1988年のアフガニスタンからのソ連軍撤退後に、世界から援助合戦にやってきた国際機関が、現地に何をもたらしたのかを見逃さない。国際援助という大儀や論理の押し付けを横目でみながら、「どだい人間の思想などタカがしれている」と諦観する。
昨年冬JICAの短期専門家としてペシャワールに赴任することになった私は、行きの飛行機で氏と乗り合わせ、お話を伺う機会に恵まれた。「助けることは助かること」という著者の言葉は、ホンモノと直感した。
(2004年4月8日掲載)
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