先輩に乾杯!

転職なんか怖くない!…レベルの落ちない4回の転職
 黒瀬 明子さん


黒瀬 明子さん
くろせ・あきこ  1971年千葉県生まれ。父の仕事で4歳から12歳まで在米。1990年私立桐朋女子高校を卒業し、同年4月早稲田大学法学部に入学。応援部チアリーダーズ責任者として活躍。1994年3月卒業と同時に食品会社に就職し営業部所属となる。1996年9月から1999年12月まで量販店で販売を1年、本部商品部で3年半輸入業務を担当。1999年12月末より2001年12月まで外資系量販店の日本進出1号店の立ち上げスタッフとして勤務。2001年12月から2003年4月まで外資系ネット通販会社で商品仕入に従事。2003年4月から潟潟eイルネットワークスでディズニーストアのバイヤーとして勤務し現在に至る。
趣味:スノーボード、旅行

 早稲田を卒業して即就職する学生は、毎年6割を切っている。大学院進学・留学・資格試験準備の伸びもあるが、派遣社員やフリーターの増加という現実がある。これまで平等公平な入学試験を勝ち抜いてきた早大生(ことに女子学生)にとっては、初めて味わう不透明不平等な就職戦線。その上、就職しても、大卒後5年以内の転職率が30%以上といわれれば、将来への不安は両手に一杯だ。でもダイジョウブ。あせらず決してあきらめず自分に正直に働いていれば、就職も転職も怖くない!

中高6年間体育会系+大学4年間応援部=我慢の10年

 彼女は帰国子女だが「日本的上下関係を拒絶し、明確に自己主張する帰国子女」と一括されるのは嫌だ。アメリカにだってイジメも差別もあり、おとなしい子も自己主張できない子もいた。彼女もオットリ型だった。かくして彼女は中高6年間、厳しい体育会系クラブで、上級生からの厳しい指導に耐えた。そして、記念受験で入ってしまった早稲田では、応援部チアリーダーズに所属。珍しい環境にとまどいながらも、4年でチアリーダーズ責任者となり辞める機会を逃して卒業まで続けた。「人生でムダなことは何もない」と感慨に浸るものの、他の生き方もあったのにとも思う。燃焼した青春にも後悔はあるのだ。「もう後悔だけはしたくなくて、結局10年で4回の転職。これは10年間の体育会人生の反動かもしれない」と笑う。

転職には「立つ鳥後を濁さず」のエネルギーが必要!

 早く自立はしたかったが、自分が何をしたいのかという就職への明確な目的意識はなかった。就職後は家にお金をきちんと入れ、さらに貯金もし、親を説得して独立。やっと自由を獲得!
 最初の仕事は営業で、飛び込みの営業だけは慣れなかった。でも、転職のポイントは「前職への不満ではなく次の仕事への期待」が大切。給与・待遇・仕事の質を下げずに転職するには、結局は同業種間の転職となる。だから「立つ鳥後を濁さず」の精神が不可欠で「もう絶対に転職はしない」と思うほどエネルギーがいる。
 「私の場合は消費財のバイヤーですが、その世界でキャリアを積んでいくことになるので、人間関係を壊さないのは基本です。いつ昔の同僚が上司になるか、かつての仕入先が顧客になるかわかりません。どんな仕事でもその業界は狭いもの。だれが相手でも誠実に対応し、礼儀正しく仕事はきっちりと片付けていく。そうやって築いた人間関係の中で次の仕事を紹介されたりすることもあります」
 10年間全く継ぎ目無く働き続けてきて最近少し疲れぎみ。「そんなに頑張らなくてもいいよ」という男性が現れたら即結婚しそうな雰囲気も。「それもいいですね。でもお相手が…」と言いながら、この日一番の笑顔を見せた。

(2004年5月27日掲載)

Copyright (C) Student Affairs Division, WASEDA University. 2004 All rights reserved.
First drafted 2004 May 27.