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2003年度後期分 目次




メールについて思うこと

 世の大学生は、メールで普段どのような文書を書いているのだろうか? 大学生の携帯メールで、「はい」と入力すると、すぐに「拝啓」と出てくる人はほとんどないように思う。「元気?」や「おはよ☆」といった友人同士で普段から交わす挨拶から入るメールもあれば、いきなり本題に入る内容のものがほとんどであろう。

 パソコンのメールでも、大体これと似たようなものなのではないだろうか。気軽なコミュニケーションが可能なところがメールの利点なのだから、この使い方には何の問題もない。しかし、社会人になる直前の人間が、このようなメールしか書けないというのは、実は少々問題が生じるのである。

 私がこのことを感じたのは、就職活動中のことだった。就活中は企業から個人的にメールが送られてくることも多く、そのメールの内容が面接の案内で、しかも返信を求められているものだったりすると、「このメールの返事がすでに選考対象なのでは…」などと用心の気持ちが生まれ、神経質な取り扱い方をせずにはいられなくなる。返信期限が設けられているので、書店でマニュアル本を探している暇はない。ひとまずインターネットでいろいろと調べて見よう見まねで書いたものの、やはり自分の言葉ではないので「丸写しにした感」が文面から漂っている。かといって、一から自分で書いてみようとするも、日頃「おはよ☆」という文章ばかり打っていると、自分が思っている以上に、きちんとした文章はすらすらと出てこないものである。

 今も、内定先とのメールによるやりとりがたまにあるのだが、その度に辞書や手紙の書きかた事典を引っ張り出している有様である。普段からの習慣がないと、きちんとした文章は書けない。これからは、友人へのメールも季節の挨拶から始めようかと、本気で悩んでしまう。
(教育学部4年  安田 時絵)

(2004年1月15日掲載)



田舎旅行のススメ

 「こんな田舎さ出てってやる!」そう言って大学の合格通知を握り締め、私は早稲田に入学した。実にありがちである。たしかに東京には何もかもある。お金さえあれば何でも楽しいことができる。私は現在2年生だが、1年の時は本当に毎日が楽しかった。渋谷、新宿、吉祥寺、下北沢。お店に並んであるものはお金さえあればすぐに手に入る。

 しかし、お金が一旦なくなってしまうと、東京には何もないことに気付くのである。私は福島の出身だが、夏にそれを身にしみて感じた。いや、単に暑かったのもある。

 「東京あちーよー。おら田舎さ帰りてえ」。それでわずかな資金でもって、昨年の夏は東北巡りをした。その資金だって服を2着も買えば残らない程度のハシタ金である。まずは実家のある福島へ。何となく寂れた昔の思い出が、あちこちに散らばっている。そのまま友人の居る山形、宮城、秋田、青森… などと東北を巡った。昨年は結局梅雨明けもなく、曇天で半袖はありえない寒さだったし、とくに名所なども巡ったわけではないのだが、田舎には独特のゆったりした趣がある。東西線や山手線を猛スピードで降りていく人たちをぼんやりと考えてみる。何を急いでるのだろう? 田舎にはそんな疑問を持たせる何かがある。

 また物価も安い。水も、食べ物もうまい。夜になると辺りは静まり返る。それが心地よく、環七は公害だよな、などと思ってしまう。とにかく、久しぶりに会った友人や家族。よく行ったお店。眺めるだけでもなんだか顔が綻んでしまう旅行だった。

 結局、最終的にはみんな自分の生まれたところが一番なんだ、と思った。東京生まれ東京育ちの人には分からないことかもしれないが、地方出身者の皆さんは、こんな思いを抱いたことはないだろうか? 今年の春休みは、ちょっと長めに実家に帰ってみてはどうだろうか。
(第二文学部2年  鈴木 智子)

(2004年1月8日掲載)



書評『環境危機をあおってはいけない』
 ―地球環境のホンネを知る大切さ

 今年の夏は低温、長雨、日照不足のためか地球温暖化が何処か遠くへ消し去られたような錯覚にとらわれた。しかし、温暖化は確実に進んでいると言われているし、現に北半球各地で異常気象が相次いで発生した。

 最近読んだ本の中で『環境危機をあおってはいけない―地球環境のホントの実態―』(文藝春秋)がある。これは現在世間に溢れている環境保護論を再検証したヨーロッパの環境保護論者ビョルン・ロンボルグ氏の書いた本で、読むと胸のもやもやが消されるようなそんな威力に圧倒されてくる。

 人類は地球を汚し生態系を崩壊しつつあるという話しが、今まで何度も繰り返されていた。しかし現在手に入る証拠ではこの裏付けは何一つとれていないというのである。例えば地球温暖化は起きてはいるが総合的な影響を見ると未来にとってそんなにすさまじい問題は引き起こさないというし、熱帯雨林は0.5%ずつ切り倒されているが、約80%はいまだ手付かずだという。ある一部の地域、国だけの惨状で環境予測を行うのではなく、グローバルとしての観測が必要と説く。さらに環境論争では短期のトレンドをもとにして一般論が展開されることがよくあるが、長期トレンドを考えに入れる必要もあるとも説く。

 著者は環境にかかわる計測可能な指標のほとんどは、人類の力によって改善を見せているが、今のままでは不十分であると言いたいのである。同時に環境問題に対して楽観論者では困るが、いたずらに狭い視野から見たデータに基づいて策を立て、意思決定を行う悲観論者でも困るというのである。

 取上げられている内容が豊富で環境問題に携わる学生諸君や研究者にとって広い視野で考える大切さを教えてくれる本である。
(理工学総合研究センター客員研究員 建築学科田邉研究室 針ケ谷 純吉)

(2003年12月11日掲載)



私のお気に入り

 私は中学1年生から週1回のペースで茶道を習っている。きっかけは祖母が教えているからだ。

 私は何よりお茶席の空間が好きだ。親しい友人と、静けさの中で季節を感じながら過ごす時間は贅沢この上ない。味わい深い数々のお道具を拝見すること、おいしい和菓子と抹茶をいただくこと、年に数回着る着物も素直に嬉しい。茶道の目的とはつまり真理の究明で、客人をもてなす一服のための修行・修養によって人間の完成を目指すことだ。しかし、普段は変に意識することなく楽しんでいる。

 趣味は茶道だというと、よく「3回まわすんでしょ?」と返される。茶道イコール3回まわすという図式がどうして生まれたかは分からないが、それだけ日常生活から離れたものととらえられているのではないかと思う。私自身10年近く習っていても、茶道の心得を習得できている自信がない。それだけ奥深いものであることは確かだ。

 しかし、茶道はそんなに特別なものではない。自然との融合、日本文化の継承などと、いつも堅苦しいフレーズはつきまとうが、形式を覚えることは二の次だと思う。なぜなら茶道とは、誰もが持っている内面の豊かさを引き出してくれるものだと思うからだ。

 映画を観て感動するのと同じように、お茶席ではさまざまな感動に出会い、またそれを、縁あって同席した人たちと共有できる空間だ。ぜひ一度、お茶席に足を運んでもらいたい。きっと、自分と向き合うきっかけともなりうるだろう。
(第一文学部4年 保持 真理)

(2003年12月4日掲載)



早稲田祭2003の「光」と「陰」と

雨の中、来訪者を誘導する早稲田祭実行委員たち
雨の中、来訪者を誘導する早稲田祭2003運営スタッフたち
 早稲田祭2003が終わった。復活して2回目の「新早稲田祭」。僕個人としては「生テレstyle」というサークルで討論会を企画。討論後の懇談会では3人のジャーナリストから、生きるか死ぬかの数々の体験談を聞き、実りのあるものとなった。

 さまざまなイベント・露店などを企画・運営から約1カ月が経ち、学生たちの思いも多様だろう。僕はその中で、ある人々の姿が目に焼き付いている。

 早稲田駅からの案内、一度に何百人も誘導しなくてはならない交通整理、そして皆が「打ち上げ」でそそくさと大学を離れた後、真っ暗闇でのゴミ拾い…。そう、早稲田祭2003運営スタッフの姿だ。企画・運営・広報など何かしら目立つ仕事から、一度やってみないとその苦労は分からない「陰」の仕事もある。一日中立ちっ放しでも、外で「楽しんだ」サークルのゴミをいくら熱心に拾おうとも、すぐに誰かが褒めてくれるわけでもない。地味で労力のかかる作業だ。そもそもスタッフを希望した当初から「私は陰に徹したい」という人はほとんどいなかっただろう。にもかかわらず、「大変ですね」との声に「いや、いや」と仕事をこなすスタッフたちの笑顔が眩しかった。

 早稲田祭2003の最中、岡山で火傷をした幼児が親から放置され死亡するという凄惨な事件が起きた。今や社会全体が利己主義というペンキで塗り固められているのかもしれない。でも少しでも周りを見渡してみれば「誰かのため」に仕事をしている人もいる。これはほんの一例にすぎない。

 「陰」で支えた人々が最後は「光」輝く。彼らの「一杯」はそれは美味だったに違いない。ゴミ箱いきになったパンフを拾い出し、裏表紙をめくって、名も冠もなき苦労人に思いを馳せてみる。それだけでも明日からの学生生活が、より「光」輝いたものにはならないだろうか。
(政治経済学部2年 高橋 広行)

(2003年11月27日掲載)



熱気あふれる一日

 10月19日、晴れわたる空の下、西早稲田キャンパスに数十店の屋台が立ち並んだ。この日は9月を思わせる暖かい陽射しに恵まれ、雨にたたられることもなく、まさに屋台村日和といった感じであった。

 屋台村とは、私の所属する国際学生友好会が、毎年ホームカミングデーに出店している、5店舗の屋台の総称である。留学生と共に世界の料理を作り、班対抗で売上を競う。かつては早稲田祭で行われていた行事だったが、早稲田祭の中止以降は開催場所を転々とし、数年前からホームカミングデーに出店させていただくようになった。卒業数10年目のOB・OGの方々が来校されるこの日は、数多くの各稲門会や近隣商店なども屋台を出し、腕を奮って料理を売り出すため、なかなかの激戦が展開される。

 屋台は韓国・中国・アメリカ・ヨーロッパ・東南アジアの5店舗に分かれて、各地域の料理を研究し、作るのだが、材料の予算なども考慮しなければならないので、何でも自由に作れるというわけではない。また、班でそろいの衣装を着たり、看板を工夫したりと、オリジナリティーが出せるように各屋台で知恵を絞っていた。

 今回は、早稲田で学んでいる留学生だけでなく、都内の日本語学校に通う学生も加わって、多くの留学生に参加してもらえた。当日がにぎやかであったのはもちろん、前日も留学生と共に試行錯誤して料理を作り、また、夜遅くまでペンキに汚れながら看板書きをしていたのが印象的だった。さらに、中国出身の方に料理を誉めていただけたり、留学生時代を懐かしんで話し掛けてくださる方がいたりと、多くの出会いもあった。普段は見ることのできない、積み重なり築き上げられてきた人の歴史を感じた。国際交流という看板を背負ってはいるが、留学生も日本人学生も皆、一人ひとりがこの行事を楽しんでもらえたのならば、それに優る成果はない。
(法学部3年 滝口 亜希)

(2003年11月20日掲載)



Sharing of consideration

 はじめて自転車旅行をしたのは、去年の夏であった。自転車に最低限の荷物と大きな期待を載せてサークルの仲間6人で大阪通天閣から東京タワーを目指した。

 あれから一年、あの時の達成感に魅入られた私は、今度は、福岡から京都を目指すことにした。

 初めての一人旅、全行程750kmに及ぶこの旅行で、私は多くのものを得ることになった。道中、同じように単独で日本中を自転車で周っている多くの人々に出会った。年齢もさまざまである。60歳を超えるお爺さんが日本中を駆け抜けていたり、同じ大学生もいた。私自身もペダルを踏み込むごとに多くの人と出会い、多くのかけがえのない経験をした。

 そんな中で、道に迷い途方にくれて入った真夜中のコンビニで一人の老人と出会った。店員に道を聞き、店を出ようとした時に、声をかけられた。自転車旅行の道中ではよくある交流である。いつものように、どこから来て、どこへ向かっているのかなどを嬉々と話し、やさしく声をかけてもらい自転車を漕ぎ出すはずだった。しかし、そのお爺さんは、私が野宿だということを知ると家に泊めてくれると言われた。正直、野宿に疲れていた私は喜んで好意に甘えさせていただいた。翌朝、お礼を述べ、後日共に撮った写真を送るために住所をお聞きした。すると、「何で、そんなに礼を言うねん、そんなん必要ない。困っている人を助けるのは当然だし、俺も他の人から多くの好意を受けてきた。お前も誰かに優しくしてやればいい」と言われた。

 お爺さんの優しさに触れ、優しさを自然に分け与えられる人物になろうと啓発されると同時に、「優しさ」は「与える」、「返す」のではなく、「廻していく」ものだと教えられた気がする。そんな風に「優しさ」が循環するような社会になっていけば、みんな気持ち良く生きていけるのかもしれない。旅はやっぱり私を大きくしてくれる。
(人間科学部2年 三木 康裕)

(2003年11月13日掲載)



演劇評「ウーマン・イン・ブラック」 ウェルメイドな舞台への誘い

 弁護士キップス(斉藤晴彦)は、若いころ、恐ろしい体験をした。彼は中年となった今も、決して消えることのない恐怖の記憶に怯えていた。キップスには厄払いが必要だった。今日まで口外せず、封印していた体験を誰かに話すことで、この悪夢から逃れられるのではないか? 話し方は俳優から学ぼう。台本は完成している。1人の俳優(上川隆也)が、キップスの前に現れる。彼はキップスの告白を、芝居仕立てにしようと提案。若きキップスが体験した恐怖の再現ドラマが、ここに幕を開ける―。

 ロンドンのウエスト・エンド発、スーザン・ヒル原作、ミステリー・ドラマ「ウーマン・イン・ブラック〜黒い服の女〜」。私は1992年の日本初演を観て以来、すっかりこの作品の虜になってしまった。

 六都市巡演が始まった9月、まさに初日を大阪で観ることができた。斎藤晴彦は初演時から、上川隆也も1999年の再演時から出ている。私は、久しぶりに友人と再会できる喜びにも似た高揚感の中、開演のベルを待っていた。実際、物語が進むにつれ、2人、特に上川隆也の迫真の演技に、もはや観客という一傍観者ではいられなくなってしまった。いつしか北イングランドの深い霧の中、石畳の上を走る馬車の音を彼らと共に聞き、恐怖の舞台となる館への侵入をも共に試みることになるのだ。心拍数さえも彼らに同調していくかのような緊張感に、ぐいぐいと最後まで引きずり込まれてしまった。最高に素晴らしい初日。観劇後、この上ない幸福感に包まれたのは言うまでもない。

 ぜひ、この緊張感あふれる舞台を堪能してほしい。観ているあなたにも恐怖の連鎖が始まるに違いない。11月20日まで、渋谷・パルコ劇場で上演中。
(第二文学部4年 レアティーズ)

(2003年11月6日掲載)



書評; 読者の背中を押してくれる一人の女性の生き方
 ―『摩優の樹』 風栞社 2003年発行 価格本体2,000円

 砂漠という厳しい環境の下でも、大地に根を張り、空に向かって懸命に伸びていくポプラの樹。摩優は、そんな凛とした生き方を通した女性だった。私の友人の摩優は、学部二年の時、転科してきた。私とは正反対に積極的でタフな彼女を、私はすぐに好きになった。この本は、そんな摩優が癌と闘った最期の二年間(当時、彼女は理工学研究科の学生だった)を、彼女の母横井千香子さんが綴ったノンフィクションである。  一般には、闘病記といわれる本かもしれないが、そこには摩優らしい「生き方」が凝縮されて描かれている。同時にその家族、特に母親の心の動きや緊張感が写し取られている。

 最初は知人にのみ配られる予定だったこの本が、書店に並べられたのには理由がある。これは単なる鎮魂の書ではない。読者はこの本をとおして、苦しい闘病生活にあっても、毅然と、顔をあげ、口をきゅっと結び、まっすぐ前を見て、一歩一歩前進していく摩優の姿を目の当たりにする。そして、その姿に少なからず心を動かされる。そのため、ハッピーエンドではないにも関わらず、読後、不思議と、自分ももう少し頑張ってみよう、という前向きな気持ちが湧いてくるのである。

 摩優と共に生きた千香子さんは、最も彼女の影響を受けた。既に、母、妻、キャリアウーマンという三役をこなしてきた彼女は、去年から大学院生という肩書きも持つ。さらに、本の執筆まで行い、次々と新しい一歩を踏み出している。

 私も、ささやかな変化ではあるが、習い事を始めた。残業や日々の生活を理由に躊躇していたのだが、この本に出会い、自分なりの一歩をやっと踏み出せたのだ。

 なかなか次の一歩を踏み出せないでいる人も、そうでない人も、一読することをお勧めする。ほんの少し、摩優があなたを後押ししてくれるはずである。ぜひお試しあれ。

(理工学研究科2000年修了、キヤノン(株)在職 石川 智恵)

(2003年10月30日掲載)



カナダUBC短期留学

 今年の夏、「一学生」としてではなく「一人の人間」として過ごすべくエクステンションセンターのカナダ3週間プログラムに参加した。初めての海外・留学にカナダを選んだ理由は、カナダの大自然をこの目で見たかったこと、ホームステイを体験できる唯一のプログラムであったことだ。大学はバンクーバーにある広大なキャンパスをもつブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)で、その広さにただ驚くばかりだった。

 授業は午前と午後に分かれていて、クラスメイトには日本人をはじめ、中国・台湾・キューバからの留学生がいた。私のクラスは初級クラスだったが、皆つたない英語でも互いにコミュニケーションをとろうとする姿勢はとても素晴らしいものであった。放課後には、現地で知り合った友達とビーチへ行って夕日を見た。カナダの日没は8時過ぎなのでビーチで何時間も過ごした日もある。ホームステイ先は、カナディアンの女性の家だったのだが、とても親切にしてくれた。私がピンク好きということで、ピンク色のティッシュを買ってきてくれた時はそのちょっとした心遣いがとても嬉しかった。

 帰国前日に行われたフェアウェルパーテイーは最も忘れられない思い出だ。というのも、大勢の留学生の前でスピーチを披露したからだ。つたない英語でのスピーチが拍手で包まれた瞬間、この3週間が決して無駄なものではなかったことを実感した。

 3週間という短い期間だったものの、得たものは計り知れない。確かに最初はカルチャーショックの連続だった。しかし先生や友人、ホストマザーに助けられ、帰るころには「もっといたい」と強く思っていた。「またカナダに戻ってくるよ」、そう誓ってカナダを後にした。
(社会科学部2年 山下 真夕)

(2003年10月23日掲載)



「サウンドフェスティバル」と夏の夜に

 去る8月26、27日に、代々木の明治神宮で開催された野外ライブ「森の中のサウンドフェスティバル」に行った。当日の演奏予定者は、韓国のチャンゴや南米系民族楽器奏者以外、日本の太鼓や笛の方々ばかりだった。太鼓や笛、小鼓などは各地の民俗芸能や歌舞伎や能で見られる囃子で用いられているが、地唄筝曲の筝や尺八と同様、伝承型の演奏がよくある。だが、この演奏会ではそれにこだわらない独創的な演奏が期待できる、と直感した。

 その反面、野外演奏に一抹の不安を覚えた。楽器の音は心地よく聴こえるだろうか、笛や打楽器は響くが、弦楽器等は果たして効果的な演奏となるのだろうか…。

 当日の天候は曇り空。ぶ厚い雲がゆっくりと、代々木の夜空を流れていた。私にとっては初めての明治神宮。会場に入った途端、見渡す限りに広大な深緑の樹木と草原の波に包まれた。幼稚園児からお年寄りの方まで幅広い年齢層の観客が、夏草の上に腰を下ろして、演奏を聴いていた。

 私が行った27日には、江戸囃子のグループや囃子方能楽師で笛奏者の一噌幸弘さん、鼓童出身の太鼓奏者のレナード衛藤さん、尺八演奏家の中村明一さん他多数の演奏家が参加していた。一噌さんの、リコーダーを2本使った妙技にはワァッと歓声があがった。また、中村さんの尺八と筝曲の演奏では、十三絃と十七絃筝を爪で弾く奏法の他に、背面を打ったり、細長いバチを使って木琴のように絃を打つ表現を初めて見ることができた。私は始終、高揚を感じていた。目線は奏者の、巧みな手の動きに吸い込まれた。音響への不安はいつの間にか消えていた。

 夜の「森のステージ」は、色鮮やかな照明が木の葉の深緑と調和して、いつまでも、個性的な演奏に趣を添えていた。今でも鮮明に印象深い夏の夜を思い浮かべることができる。

(商学部4年 中田 周平)

(2003年10月9日掲載)



大学スポーツの魅力

 「スポーツの秋」とはもはや使い古された言いまわしだが、秋は春と並ぶスポーツの季節である。今年も、すでに熱戦が始まっている野球をはじめ、ラグビー、 駅伝、アメフトといったさまざまな競技で熱戦が行われることであろう。

 ところで、スポーツで私が思い出すのは、私の友人が言ったこの言葉だ。「そういえば、早慶戦とか早明戦とか、大学に入ってからそういった早稲田のスポーツを観に行ったことないなぁ」。スポーツを観にいくのが大好きな私は、この言葉を聞き、彼はものすごくもったいないことをしているように思った。スポーツなんてやるのはおろか、観るのだって嫌いというような人はさておき、スポーツを観るのがほんのちょっとでも好きな人は、ぜひ一回早稲田スポーツを観戦してもらいたい。

 大学スポーツの魅力。これは人それぞれだろうが、私は「選手と観客との距離の近さ」という点に魅力を感じる。競技をしている選手は、当然のことだが学生である。同じ学生である選手が真剣にプレーをしている姿は、観ている私にとって、同じ授業を受けているような人がここまで「魅せるプレー」をするなんてすごいなと感じさせる。そのような「自分と同じ立場の人間がやっている」という不思議な、でもなんとなく身近な距離感(これはプロスポーツにはないアマチュアスポーツ特有の魅力である)、私はここに惹かれる。これが私の楽しみ方である。あの競技、あの選手の応援をしたいという人や、応援の雰囲気が好きという人もいるだろう。ワセダが好きだから、という理由もありだろう。大学スポーツを好きになる理由は、大学スポーツの魅力の数だけある。

 そんな自分なりの「愉しみかた」を探しに、この秋、早稲田スポーツを観にいってはいかがですか?
(教育学部3年 田村 拓実)

(2003年10月2日掲載)