えび茶ゾーン
 第1007号〜第1019号 (2003年10月2日号〜2004年1月15日号)


2004年1月15日号

 早慶という言葉に、あぐらをかきすぎていないか。教育面でも研究面でも大きく差をつけられ、新学部・新大学院でも、慶応が既存のものより難しいという評価を受けている一方、早稲田は逆である。こんな書き出しをしたら、愛校心の強い読者から総スカンをくらうかも知れない。でも愛校心と事実とは、別問題である▼企業研修等で早大出身者に会うと、「私も早稲田卒です」とすぐに言ってくる者と、最後まで正体を明かさない者に二分される。後者には研修中、斜に構えている方が多く、発言も控え目である。懇親会で打ちとけると、やっと本音を話してくれるが、「早稲田ではサービスを享受できなかった」という思いをぶつけられることが多い▼入学できれば、4年までは進級できてしまう仕組み。人数が多すぎて、受けたい授業やゼミも抽選だったという経験。最近では徐々に改善されてきたようだが、これらが積み重なって「サービスを享受できなかった」という気持ちが醸成されてきたようだ▼在学中に、良質なサービスを提供すること。こんな基本的な所に、顧客満足の鍵がある。少子化が進む中、量を稼ぐために外(留学生)と上(社会人)に触手を伸ばしているが、そこでもまた、同じ誤りを繰り返していないか。ここ数年、早稲田では大きな変革が次々と行われている。この時期にこそ、すべての仕組みを、顧客満足の視点から、根本的に見直すべきではないだろうか▼自分の業界を「特殊だ」と考えている組織ほど、顧客満足への道程は遠い。 
(匿)

(2004年1月15日掲載)


2004年1月8日号

 電気社会に入って120年、石油社会に入って40年あまり。限られた自然エネルギーの束縛から逃れて、無尽蔵とも思えた化石燃料に依存することで、地球人口60億人を支える豊かな社会を実現することができた。しかし、環境保全や資源保護の観点から、その継続的発展は難しく、脱化石燃料が叫ばれている。人類は燃料として薪炭、石炭、石油、天然ガスと順次炭素含有量を低減してきたが、行き着く先は炭素含有量ゼロであろう。すなわち水素社会が論理的帰結である▼米国ブッシュ大統領が水素燃料計画を発表したのは、昨年の1月のことである。開発には12億ドルを提案し米国をクリーンな水素動力自動車を開発する世界的リーダーにしたいと述べた。このプロジェクトには水素動力自動車の実現ばかりでなく水素エネルギー社会の構築が目されている▼わが国では1992―98年の間にWE―NET(水素利用国際クリーンエネルギーシステム技術)研究が行われた。99年から新たに第U期研究が行われている。これは大規模集中型水素システムから小規模分散型システムへの思考転換に根ざしているといえる▼水素は一次エネルギーではなく、エネルギー・キャリヤーであるが、時としてそれを忘れた論調も見られることがある。筆者はライフサイクルアセスメントの観点から水素技術を分析することに関心がある。水素社会が待ち遠しい。その実現のためにはエネルギー源が必要であるが、自然エネルギーなどを主とした循環型社会に戻れるだろうか。
(祀)

(2004年1月8日掲載)


2003年12月11日号

 先日の『早稲田ウィークリー』によると、学生時代の最大の不安や悩みは「進路・就職など」とのことである。フリーターの増加が社会問題になっているが、「やりたいことが見つからない」、「志望する進路が絞りきれない」などの進路・就職の悩みが卒業までに解決されないと、やむなくフリーターになるという場合もでてくるのかもしれない▼学生の進路や就職の問題に対応するため、大学もキャリアセンター、総合健康教育センター、クラス担任、学生担当教務主任などの制度を設けて対応しているが、私のささやかな経験から言うと、親や兄弟、親友など自分のことをよく知っていてくれる人たちの助言もかなり有効である▼私は学生時代に周囲の友人の影響などもあり一時期ジャーナリストに憧れたことがあったが、生活が不規則になりやすく体力もいるジャーナリストの仕事は、体力のない私には向かないと親に言われた。言われた時は面白くなかったが、後になり、適切な助言のおかげで人生を誤らなくてよかったと感謝した▼大学院への進学のために一旦は就職して資金を稼ごうと考えていた時も、親はしたいことが決まっているのなら回り道をせずにまっすぐ進んだ方がよいと言ってくれた。目先のことに心を奪われて目標を見失いがちな私の性格を熟知しての助言で、これも有難かった▼進路や就職を考える上で大切なのは自分を知ることといわれるが、それはなかなか難しい。自分をよく知る親や兄弟、親友などの助言は、それだけに貴重なのである。
(や)

(2003年12月11日掲載)


2003年12月4日号

 11月ジュネーブはすっかり秋であった。広場や路上を鮮やかに色づいた黄葉・紅葉が埋め尽くす。ご存じのとおり、ここにはILO、WTO、ITUなど国際機関が存在し、国際会議場では世界各国からの代表が集結し、熱い議論を交わしている。世界を凝縮した地球村である▼本学にも多くの留学生が集まり、地球村が形成されつつある。地球村の特徴は異なるバックグラウンドを有する人々が集まっている点である。各人が持つ知識・知恵は他を刺激し合い、新たな知恵の形成を促す。新しい知見を得る絶好の場を提供する。貴重な知恵袋がそこに存在する▼昨年、マレーシアのサラワク大学と共同で、バリオという村に無線技術を用いた通信システムを構築し、インターネットなどを利用可能とするプロジェクトを実施した。最後の日、現地の人々は「システムは確かに素晴らしい。しかし、今回の実験では村の(自家発電用)オイルを数日分も消費していたのです」と。我々は自身の不明を恥じるとともに、彼らの好意に心から感謝したものだ。その経験から学生たちは新たに「e-RAN」プロジェクトを提唱した。eは電子的だけではなく、電気、経済的などをも意味し、各ルーラル地域に相応しいネットワークを持つべきとした。この結論は現地の人々との交流で初めて得られた知識・知恵である▼グローカル・ユニバーシティを標榜する本学ではこの地球村をもっと大切にしたいものである。そして、早稲田ブランドの知恵袋を世界に提供したい。
(義)

(2003年12月4日掲載)


2003年11月27日号

 近年、カナダやオーストラリアの英語圏を中心として、韓国人の海外移住がブームになっているという。定年退職後ではなく、特に小学校から高校生までの子供をもつ親世代が目立っている。その理由として、加熱する子供の教育問題や、韓国の将来に対する不安要因が挙げられている。例えば、ニュージーランドでも、中国と並んで、韓国からの移住者が急増し、オークランド市の郊外では、生徒の30パーセントが韓国からの移住者の子弟となり、英語学級を急きょ増やす高等学校も出てきている。中国人の移民志向は歴史が長いが、韓国の若い世代の移民志向は新しい現象であり、チャイナタウンのように、コリアンタウンが出現している▼この現象は、自国内において学校や会社を選ぶように、自分の住む国を選択して、子供の教育や就職を設計する時代が到来していることを示している。日本においても、グローバル化の進行を背景に、日本経済が沈下を続ければ、近い将来に、海外移住ブームが日本人の間で起こる可能性は十分にある▼国籍や永住権を自由に選択でき、世界が自由な市場となりつつある現在において、日本の大学も、海外の大学も、グローバルなマーケットから学生を集めなければ生き残れない時代となっている。我が早稲田大学も、この国際化時代において、世界中から、「子弟の教育を早稲田大学で」と、親子で日本へ移住してくるような、将来を見すえた魅力ある教育を提供したいものである。
(M・Y)

(2003年11月27日掲載)


2003年11月20日号

 健康で活発な日常生活を遂行するためには生活環境に適応できる身体能力「生活フィットネス」が必要である。「生活フィットネス」は筋力、パワーやスタミナ等の身体機能と身体組成(脂肪や筋肉)により構成されている▼「生活フィットネス」は生活環境により著しく変化する。平均的な生活を送っている場合に比較して、日頃活発な身体活動(スポーツ)を実施している場合には「生活フィットネス」は高い水準を維持することができる。一方、運動不足状態が続くと「生活フィットネス」が低下する▼近年、大学に入学する若者の「生活フィットネス」が低下している傾向が見られる。ある調査によると10年前の若者に比較して現在の若者は約10%の低下が見られる。つまり1年間に約1%の「生活フィットネス」の低下である。その原因は主に若者の運動不足に由来する▼「生活フィットネス」は毎日のように変化する。例えば、体重とウエストを毎日測ってみてほしい。その変化は毎日の生活習慣の結果である。運動しないで食べ過ぎる生活は確実に脂肪を増やしウエストと体重が増え筋肉を減少させる。大学時代にしっかりと自らの身体情報を得る方法を身に付けて、生活習慣をコントロールする技術を獲得してほしいと思う▼「身体教養」とは自らの身体を正確に把握し、理想とする身体を創造するための知識と技術を養うことであると定義する。これからの生活に「身体教養」を獲得したいものである。大学時代はまさしくそのための時間と環境を有している。
(ふ)

(2003年11月20日掲載)


2003年11月13日号

 最近の学生は真面目でよく授業にも出席するという言葉を時々耳にする。確かに私自身もそう感じることが多い。こうなると一昔前にかなり売れた小説で早稲田の教授をモデルにして書かれた『文学部唯野教授』(筒井康隆著)の冒頭にあるように「大学の講義は12分遅れて始まり12分早く終わるのが常識とされている」というようなことはまずあり得ない▼「学生生活調査」なるものが毎年6月頃に行われている。その調査の中で「授業に興味を持つ学生は9割だが授業に満足している学生は3割」という結果が気になる。「校風」や「教育研究内容・レベル」に期待を持って早稲田を選んでいるにもかかわらず「教授陣」に魅力を感じている学生はあまりいないと報告されている▼今年度からe-スクール(インターネットを利用した通信教育課程)が人間科学部でスタートした。BBS(電子掲示板)を介して学生たちは教育コーチや教員に質問や討論をしかけてくる。自分の行った授業へのフィードバックをリアルに目の当たりにすることから、こういうスタイルの授業は教育の質を確実に変化させる。何年間も使い回した講義ノートで授業を行う「唯野教授」はもはやそこには存在し得ない。通信教育課程の授業内容が通学制のそれより劣るという通説が通用しなくなる時代は間近だろう▼質の高い授業を行おうと思えば準備にも時間がかかるが、期待に胸を膨らませて入学してくる学生に「教育者」として応える「まごころ」と「心意気」が必要とされている。
(み)

(2003年11月13日掲載)


2003年11月6日号

 本学OBの劇作家に「中景の喪失」と題する一文がある(別役実『馬に乗った丹下左膳』)。プロ野球のテレビ中継と球場の観戦の違いを枕に、わが国には「当事者をすべて極端な近景においてとらえ、…すべてのことを近景に抱えこみ、生理的な親近感と嫌悪感でのみそれらを区別けすべく、得体の知れない呪縛力が働いているかのような気さえするのだ」と指摘する。私小説化する世界▼20年近く前に読んだこの一文がいま想い出される。情報通信技術の発展が招来したグローバリゼーション時代に、中景が喪失して「近景が近景でなくなり、遠景が遠景でなくなりつつある」と思えるのだ▼最近『バカの壁』がよく読まれているそうだが、飛躍を承知で言えば、「中景の喪失」は脳の快不快で世界を理解し社会が設計されているという脳化社会論とも通じていよう。そして、言葉の連想が許されれば、問題なのは脳一般の壁ではなく吉岡忍が喝破するように「自分以外はバカ」の時代なのだ▼ここキャンパスでも、個性重視の教育が、若者たちに自立脅迫となり「自己完結型の孤立人間」を、ムカツク若者を生み出しているとある心理相談員は分析する▼ネット心中事件を池田清彦が正しくも論評する。個性重視の教育が「肥大した未熟な自我を個性と勘違い」させ、「誰も本当の私を理解してくれない」と心中仲間を募らせる。だが、「さしたる才能もない人間が、あと40年も平凡に生きられたとして、それ以上どんな人生を望むというのかね」▼中景、地域社会、互助、凡庸の復権を。
(沼)

(2003年11月6日掲載)


2003年10月30日号

 学生さんが自由闊達にものを言い、行動するのが早稲田のアイデンティティーの一つといわれてきた。早稲田学生文化賞応募の顔ぶれを見ても、スポーツから弁論活動に至るまで実に多岐にわたっており、本学に渦巻く大きなエネルギーを感じる。一方で、授業で質問しない、質問しても答えない、など無気力な学生も少なからず見受けられる。悲しいことに新聞種になるような事件に関わる者も▼多様性という意味では早稲田の伝統は脈々と生きていると言えなくもないが、ステークホルダーを強く意識しなくてはならない昨今、ミニマムを保証する仕組みがなくてはならない▼業績をあげている強い企業を見ると、いくつかの特徴がある。従業員の間で価値観が共有されている、各人の行動が企業の目的に連動している、整理整頓や挨拶の励行などチームプレーの基本が徹底されている、などである。これらは顧客に対するサービスの最低水準を保証し、その水準を上げるのに貢献している▼実業界ではISOなどの認定制度が流行だが、大学にもその波が押しよせている。例えば理工系の場合、JABEEと呼ばれる技術者教育の認定機構による認定を受けなければ、卒業生の活躍の場が著しく制約される可能性がある。企業に入り、海外で他国の技術者とのプロジェクトに参加する場合など、この認証を受けていない大学の卒業生は仕事に参加できなくなることも▼今こそ、時代の変化を先取りして進歩発展していく早稲田のもう一つのアイデンティティーを生かす時代といえる。
(H.K)

(2003年10月30日掲載)


2003年10月23日号

 教員として日本で教えるようになってびっくりしたのは、学生が「トイレに行ってもいいですか?」と聞くことだ▼授業中に「トイレに行ってもいいですか?」と聞く日本の学生は、小学生のように幼いままにとどまっている。大人なら、このような質問は恥ずかしくてできない。この質問は、アメリカの大学ではまれだと思う。もちろん基本はトイレを授業前に済ませること。そして授業中教室を出る必要が生じた場合、きりのいいときを待って、先生に「ちょっと失礼します」とか、「すぐ戻ります」と言って教室を出る。これがアメリカ流であり、大人の礼儀だ▼私がアメリカの高校を卒業して、アメリカの大学に入ったとき、かなりのジャンプを感じた。それは「責任存在へのジャンプ」であって、子供扱いから大人扱いに変わったことが大きかった。だから私は日本に留学したとき、日本の大学の教師が私を子供扱いするのが、いやだった▼日本とアメリカの学生の違いはいろいろあるが、一般的に日本の学生の方が幼いと言われる。一つの理由は、「トイレに行ってもいいですか?」と聞くことができるような学生と教員の関係にあると思う。しかし日本の教員と学生の関係には、良い面もある。ゼミの先生との関係は特別で、アメリカの場合は、そこまで親しくなることはない。また、一年が終わると、多くの学生が私に、「一年間、ありがとうございました」と言う。アメリカでは普通には聞くことがないこのような挨拶は、とても気に入っている。
(KE)

(2003年10月23日掲載)


2003年10月16日号

 長い夏休みが終わりキャンパスに人の姿がもどってきた。秋色の気配を日ごとに強めてゆくこの季節はキャンパスがいちばん美しく見えるときである。そして何気ない本の一節や会話の言葉から過去の記憶が思いがけなく鮮明によみがえってきたり、しばらく会っていない友人のことが不意に思い出される季節でもある。昔オーストリアのウィーンにいた頃この季節になると黄色く色づいたカスターニェン(マロニエ)の葉がいっせいに落葉して道路をまるで黄色の海のように埋めていたのを思い出す▼そんな季節になると乾いた冷気の感触とともに、何か長い小説―現代小説よりM・ユスルナールの『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』などの歴史小説のほうがよい―を読みたいとか、音楽会―これもマーラーやブルックナーのような暑苦しい音楽よりラヴェルやプーランクのような音楽がよい―にいってみたいというような欲求がわいてきたものだった▼こんな言いぐさは一昔前のカビの生えた教養主義の遺物だと揶揄されそうだが、ときには立ち止まって自分の内部を見つめなおすということも大切ではないかと思う。そしてそれは、文学や芸術との出会いを通してしか得られない精神的経験が自分を見つめなおす上でかけがえのない糧となることを知るときでもある▼一年でいちばんまわりの世界が―ということは自分自身も―美しく見えるこの季節、いつも外の刺戟や情報に向かってフル回転している感覚の触手を少し内部の世界にふりむけてみたらどうでしょう。
(J・J)

(2003年10月16日掲載)


2003年10月9日号

 初めてヨーロッパへ行った時、歩きながら物を食べる人があまりに多いのに驚いた。しかし、今では日本でも歩行中の飲食は珍しくなくなっている。たしかに、町をぶらぶら歩きながら飲み食いするのは楽しいし、何より伝来の行儀作法を破るという意味での解放感がある▼物にはいろいろ食べ方がある。本当のご馳走ならきちんと坐って堪能する(ローマ時代には寝転がっての饗宴が催されたそうであるが)。立ち食いそばは当たり前だが立って食う。だからと言って、立ち食いそばがまずいわけではない。内田百の言葉を借りれば「美味いまずいは別にして美味い」のである▼では煙草はどうであろうか。歩行喫煙はすべきか否か。幸か不幸か、筆者は大昔二年間ほど喫煙した経験しかないが、その頃の記憶をたどると、煙草を美味いと感じたのは主に食後の一服であった。歩き煙草をして、美味かったとか、心が晴れ晴れしたという記憶はない。しいて言えば、吸殻を路上にポイ捨てする快感ぐらいであったろうか(時効!)▼煙草は、酒やコーヒーと並ぶ嗜好品である。嗜好品とは『大辞林』によると「栄養のためでなく、味わうことを目的にとる飲食物」のこと。煙草は「味わう」ものである。したがって、歩きながら(仕事をしながら・会議をしながら)喫煙するのは、正しくない。嗜好品である煙草に対して失礼千万な行動と言えよう▼喫煙者諸君、諸君の愛してやまない煙草を心して味わうとともに、(自らと隣人の)健康にも十二分な配慮をお願いする。 
(K・I)

(2003年10月9日掲載)


2003年10月2日号

 冷蔵庫やエアコンのない生活が、もはや私たちに考えられないように、携帯電話のない暮らしにももう戻れないだろう。テクノロジーは先に進むしかない。しかし技術が進歩しても、私たちの思想やマナーはしばしばそれに追いつかない。先日JR東日本は、電車内の携帯電話マナーに関する新方針を打ち出した。メールは可、しかし優先席付近での使用は禁止▼これだけ携帯が普及しても、心臓ペースメーカーに対する影響について、私たちに科学的な了解はない。たとえわずかな確率であっても、ペースメーカーに悪影響を与えるなら、公共の場で携帯を一切使ってはならない。人命に関わることである。影響がないなら、ペースメーカーを持ち出してマナーを云々すべきではない。今回のJRの方針は、曖昧である。「優先席付近」とはどこまでを指すのか、悪影響があるなら、それは何メートル以内のことか。多分私たちは、圧倒的多数の快適さのために、ペースメーカーをつけたわずかな人のおびえを無視するのであろう▼道路交通法では、運転中の携帯電話使用を禁じているが、実際に携帯を使っても、罰せられることはない。通話中に事故を起こすと、初めて違反点数2点、反則金9千円が課される。一方シートベルトを着用しないと、事故の有無にかかわらず違反点数1点が課される。シートベルト非着用でも、おそらく他人に迷惑をかけることはあるまい。法律はご親切にこちらを取り締まりながら、他人に害を与えかねない運転中の携帯は見逃すのである。 
(朋)

(2003年10月2日掲載)