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2003年度前期分 目次




フリートーク 「ていうか」論

 気になる言葉がある。「ていうか」という言葉である。私自身よく使う言葉だが、意識して使うようにしている。なぜなら、この言葉には、コミュニケーションを蝕む一種の作用があるからだ。

 A:「ねえ、試験の勉強してる?」
 B:「ていうか、この授業ハマリだよ」
 この時期、大学の至る所で耳にする会話だろう。しかし、この会話に奇妙さを感じてしまうのは私だけだろうか。Aは、試験勉強をしているかどうかを聞いている。それに対してBは、問われたことには答えずに、授業の主観的評価を述べている。一般的に「ていうか(と言うか)」は、前語の言い換え、訂正、厳密化、具体化などを表すと考えられる。しかし、この文脈では、BはAの問いを「軽く」否定する意味で「ていうか」を用いている。その後に続くのは、Aの問いとは関係のない、自己本位の主張である。

 私が言いたいのは、「ていうか」という言葉の背後にある小児病的自我である。つまり、自己を絶対化し、それを一方的に相手に押し付ける未成熟な自我のことだ。それは、他者感覚の欠如した自我と言えるかもしれない。時に他者と意見が対立することもあり、他者性を排除したくなる。しかし、コミュニケーションは他者への応答義務を伴うものなのであって、他者感覚を欠いてはコミュニケーションは成り立たない。

 この点について、政治学者の丸山真男は、「自己内対話」を唱えた。丸山によれば、「自己内対話」とは、「自分のきらいなものを自分の精神のなかに位置づけ、あたかもそれが好きであるかのような自分を想定し、その立場に立って自然的自我と対話すること」である。われわれはこの「自己内対話」の実践をとおして、日々のコミュニケーションを見直すべきではないだろうか。
(政治学研究科修士課程1年 齋川 貴嗣)

(2003年7月24日掲載)



フリートーク 「あなたはいくら払えますか??」

 一昨年交換留学でオランダへ行った。そして去年、ちょっとしたきっかけがあってフランスに私費留学した。この夏で留学生活も終わり、ついに2年ぶりに早稲田に戻ることになった。故郷に帰る期待と2年間大学を空けた不安の中、現在荷造りと観光に励んでいる。

 この2年間自分でもよく頑張ってきたと思う。なぜなら当初はフランス留学など頭になかったので、1年分の留学費用しか準備していなかったからだ。フランスでの生活はすべてオランダ留学費用の余りと自分がフランスで稼いだアルバイト代。それでもフランスでは生活ができた。フランスでの生活費が比較的安かったこともあるが、それよりも学費がとても安かったことが大きい。フランスでは権力が国に大きく集中しているので幼稚園から大学まで教育機関はほとんどが公立である。しかも驚くことなかれ、なんと大学での学費は1年で300ユーロ(つまり約4万円)しかも薬が無料になるSeculite Social という保険付き! フランス全土にわたり、幼稚園までも親の収入によって金額が変わるという徹底ぶりだという。これは教育は誰にでも平等にという方針の下での政策である。私もこの1年間フランス教育システムを利用し、留学を無事終了した。

 しかし一つ腑に落ちない点があった。それは早稲田大学に払う留学費だ。2年目の留学では学費の半分を早稲田大学に払わなければならない場合があるという。学費の半分。つまり約40万円。幸い私はそのケースから免れたが、もしそうでなかったなら…。1年間フルにフランスで勉強していた金額よりも、1年間1日も出席していない学籍代の方が高いなんて、いくら国家体制や教育システムが違うといっても納得がいかなかっただろう。

 現在、インターンシップやボランティアなど大学外で多くの早大生の活躍が見られる。そんな中そういった留学費や休学費システムが学生の活躍を妨げている可能性は否定できない。さらなる早大生の国内外の飛躍のために早稲田大学さん、もうちょっと安くしてもらえませんか?
(教育学部英語英文科6年 伊藤 円(まどか))

(2003年7月17日掲載)



フリートーク 「私のスペインタイム」

 私は2001年から2002年にかけて、 早稲田大学の交換留学制度を利用して、スペインのサラマンカ大学に留学した。はじめからスペイン語がぺらぺらだったわけではない。ただスペイン語が好きだっただけだ。「行けば何とかなる!」そう信じていた私は現地で非常に痛い目に遭った。

 勿論、大学の講義はすべてスペイン語。弾丸のような講義に、私の頭はパンク寸前。学部間の正規留学であったため、履修した授業はすべて国際政治のものだった。留学前に立てた、「学部で1番の成績、30単位取得!」という目標は、到底達成不可能に思われた。あまりに準備不足で来てしまった自分と、自分の無能さが情けなくてしょうがなかった。「こんなに辛い思いをするのなら来なければ良かった」。そう思ったこともあった。

 そんな私を助けてくれたのは、他でもないサラマンカの友人との出会いだった。友人との時間が、落ち込んでいた私を本当のスペインタイムに誘ってくれた。1日5食も平らげるスペイン人たちと、1杯のコーヒーを飲みながら広場でくつろぐ時間、日が沈む前にバル(居酒屋)で1杯やる時間、そんなゆっくりとした生活が日本の遥か遠くに存在していることが不思議でたまらなかった。私の生まれ育った日本では、人々は時間に追われて1日を終える。その反面、スペインでは人々は時間を楽しんで1日を過ごす。日本人は1秒刻みで計画を立てるが、スペイン人にとって時間はお腹の減り具合が目安なのだ。そんな親友たちのおかげで私のスペイン語も劇的に向上し、その後の涙ぐましい努力の結果、見事30単位を取得することができた。

 今、振り返って思うこと。目標があればどんな困難も乗り越えられる。後は自分を信じるのみ。勇気を振り絞って留学という世界への扉を、開いてみてほしい。そこには今まで自分が知らなかった、未知なる世界が広がっているから…。
(政治経済学部4年 倉持 有紀)

(2003年7月10日掲載)



フリートーク 「同志社大学からやってきて」

 私は大学四年生のときに同志社大学からの交換生として早稲田大学に来た。もう三年前のことである。当初は先行きが不安だったが、今では指導教授の中野美知子先生をはじめ、研究室の多くの先輩や同期生、授業やゼミをとおして知り合えた友人に囲まれ、あの不安が嘘のようになくなっている。

 派遣期間が過ぎると同時に同志社大学を卒業したが、私はそのまま早稲田大学の大学院に進学した。ある日京都から突然やって来た私に、中野先生が「勉強したい人は大歓迎よ」と言ってくださったこと、勉強を続けていく上で早稲田大学は素晴らしい環境であることなどが、私に進学を決意させたのだ。現在は英語の教員となるための勉強を続けている。また、昨年度からは早稲田実業学校で非常勤講師として働いる。テレビやラジオをとおしてしか知ることのできなかった田辺洋二先生の主催される学会等に参加させていただき、この素晴らしい機会にめぐりあえた。

 高校では反省することばかりで、内心では「どうしようどうしよう」と途方にくれることもあるが、教員になるという夢に一歩近づけたことがうれしくて、頑張っている。なんといっても早実生の元気なこと! 彼らは私にいつもパワーをくれる。あとはもう少し静かに授業を受けてくれると言うことなしなのだが…。教員と生徒の出会いは偶然だが、彼らに出会えた偶然を大切にし、教員としてできるだけのことをしていこうと思っている。

 交換留学に応募したことで、出会うことのなかったかもしれない人々やチャンスにめぐりあえた。同志社大学で交換学生募集の立て看板を見たことが、私の人生を変え、より広い世界に押し出してくれたと思うと、本当に不思議な気がする。私は運良くその機会を得てここにいるわけだが、一人では何もできなかった。早稲田で私の受け入れチャンスを与えてくださった方々に、心から感謝している。
(教育学研究科修士課程2年 村上 幾代)

(2003年6月19日掲載)



フリートーク
音楽の力―映画評「戦場のピアニスト」

 音楽は何のために存在するのだろう。

 大抵の物語の中で音楽は何かの象徴、あるいは感情の表出手段(それも現実には有り得ないほどにダイレクトな)として扱われる。物語の中で音楽は人の心を大きく揺さぶり、変革を起こす。だが本当にそうなのか。音楽はそんなにも偉大な存在なのか。

 春休み、映画「戦場のピアニスト」を見た。ユダヤ人ピアニストが主人公のこの映画、主題は決して目新しくない。音楽、あるいはホロコーストを主題とした映画は既に世に数多く存在しているからだ。ではこの映画の注目すべき点は何処か。それは主人公、そして音楽の無力さではないかと私は思う。

 この映画における音楽は、ユダヤ人差別や戦争といった厳しい現実を変革する力を持っていない。それどころか逆の作用すら引き起こす。例えばドイツ兵がユダヤ人を無理やり踊らせ、嘲笑うシーン。引きずり出された彼等はその後何年も、同じ音楽を聞く度にその時の事を思い出すのではないだろうか。音楽の使用故に、負の記憶の刻印は深くなる。このシーンにおける音楽は平和の使者ではない。

 主人公のピアノもやはり無力だ。彼のピアノは家族の糊口をわずかにしのいだり、ドイツ人将校から命拾いをする、その程度の力しかない。それどころか、ナチスから逃れ潜伏する主人公はピアノを弾く機会自体を奪われる。 音楽は彼の絶望も希望も代弁しないし、ましてや周囲に平和や平等を主張することもない。ピアノ同様主人公もまた無力であり、目の前の現実に為すすべもないまま、独りあがき続けるしかないのである。

 だが。にも関わらず、彼の頭には音楽が響き続ける。鳴らすことの出来ない鍵盤や自分の膝の上で指を動かしながら彼は幻の協奏曲を聞き、隣の部屋のラジオや匿ってくれた婦人のチェロに耳を傾ける。ぎりぎりの状況で生き残ろうとする主人公が音楽に触れているその時だけ、笑みを浮かべるのだ。

 映画の中で音楽はどこまでも無力だ。けれど主人公が生き延びられたのは、彼がいかなる状況にあっても心の中に音楽を響かせる瞬間を持っていたからではないか。そしてそれこそが主人公の、そして音楽の真の力だったのではないかと私は思うのである。

(教育学研究科1年 穂崎 円)

(2003年6月12日掲載)



フリートーク 「スポーツをマネジメントする」

 果たしてどれほどの日本人がスポーツマネジメントという言葉を耳にしたことがあるだろうか。本年度、オープン教育センターの保健体育科目で「国際スポーツマネジメント論」という講座が開講されている。講師はマーティ・キーナート氏である。スポーツコメンテーターとしてテレビに出演されているのを見たことがある方も多いのではないだろうか。氏はかつてマイナーリーグでオーナーを務めた経験もあり、なんとNBAのスーパースターであるマイケル・ジョーダンがかつてメジャーリーグに挑戦した際に所属したチームのオーナーだったのである。スポーツビジネスの現場での経験が実に豊富で、スポーツを多面的な視点から捉え、授業では毎回鋭い指摘をされる。

 例えば、近年、日本ではスポーツ人気の低迷が言われていて、これにはいくらかの対策がとられているようだが、氏は筋違いの対策だと主張する。人気の低迷はスタープレーヤーの不在、選手のけがの多さ、試合内容の低下が原因で、これに対して科学的トレーニングやけがを未然に防ぐ予防医学の重要性を訴える。また、スポーツ医学のほかにも審判技術の向上などによりプレーする環境を良くすることがエキサイティングなプレーにつながり、結果として人気の回復につながるのではないだろうかと言う。そして、その具体的な方法としての審判学校の設立やスポーツドクターの育成など、何らかの形でビジネスとしてスポーツに関わっていくのがスポーツマネジメントである。

 本気でスポーツマネジメントに関わる仕事を目指す人でなくても氏の話は楽しめるし、普段何気なく見ていたスポーツを多面的に見る目を養うことができる講座である。こういった著名な方の講義を受けることができるのが早稲田の魅力でもある。興味がある方はぜひ授業にこっそりもぐってみてはいかが…。
(理工学部3年 生熊 良規)

(2003年6月5日掲載)



不自然な世界 〜「生きる力」の "Spirited Away"

 宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が、長編アニメ部門でオスカーを獲得した。この受賞がイラク戦争の時と重なったことは、たしかに偶然かもしれない。しかし、これは今後の世界がどうあるべきか考えるために与えられた、一つの機会であると思いたい。

 そう思ったのにはわけがある。戦争のさなかに、「生きる」とは何か、を問いかけてくる作品が賞を受けたのである。何も考えずにいられようか。

 千尋は「神隠し」にあって名を失い、両親も人の姿を失うなど、何もかも失ってしまったかに思える。だが、彼女はそこで一番大切なものを手に入れる。「生きる力」である。「生」の姿を直視することで生きることを思う。

 監督の前作「もののけ姫」も「生きる力」を与えるものだった。生きていくために、もがき苦しむあらゆる生き物の、さまざまな命の姿がある。やがてそれらの内面の葛藤は戦いに姿を変えてしまう。しかし、生きるための戦いはあらゆる命を失うものであったのだと、人々は最後にようやく気付いたかにみえる。自然に生き、すべての命が輝きをみせるなかで、人間も人間と戦い続けた「もののけ姫」サンも「生きる力」を得る。そうして、アシタカがずっと願っていたように、皆、ともに生きる道へ進まんと思う。

 いま、ひとつの戦争の姿がある。何のための戦争なのか、分からない。ただ、強い「滅びの力」がそこには渦巻いているように感じられてならない。

 生き物が命をもらい受けることができるのは、生きるための糧としてのみで、だからこそ「いただきます」、「ごちそうさま」と挨拶をし、それが命へ対する敬意と感謝の意である、とずっと教えられてきた。それは自然のなかでしか生きられない人間の知恵であった。いまあの戦争を見ながら、この教えを今後に伝えられるのだろうか。

 自然から、そして当たり前のものから、われわれは離れすぎてしまったのかもしれない。

 いま、あらゆるものたちの「生きる力」がどこかへいってしまっている。
(第一文学部4年 安藤 哲郎)

(2003年5月29日掲載)



フリートーク「アメリカで大注目のアニメ「サウスパーク」」

 例えばテレビを見て「何だよ、それって偏見なんじゃないの?」と思ったことはないだろうか? 貧しい人や一般に「障害者」とくくられる人の生活を映し出す特集や、反対に放送の規定でそれらのことを、まるでないことのように扱ってしまうことに対してだ。そんな「いい子」ぶったストーリーに、テレビ大好きなアメリカ人たちもウンザリしていた。

 ところが、この「サウスパーク」というアニメは、PTAも真っ青になるくらいのスラングや、エグイ描写がある。例えば、主な登場人物はスタン、カイル、カートマン、ケニーという4人の小学生なのだが、スタンは小心者だし、カイルはユダヤ人だし、カートマンは性悪のデブだし、ケニーはホワイト・トラッシュ(クズ白人)の息子で貧しい上に毎回恐ろしい方法で殺されてしまう。また、ティミーという障害児も出てくるのだが、彼は自分の名前しか喋れない。「障害者を馬鹿にしている!」とPTA等から散々叩かれたらしいが、それ自体が一種の偏見に過ぎないことをこのアニメは気付かせてくれる。また普段極めて気付きにくいような場面を「おいおい、やりすぎだよ」というくらいに突出させて描く。それはそれで笑えるが、はっとわれに返るときもある。「このシチュエーションは…!」と気付かされて、思わずニンマリしてしまうこともしばしば。だからこそ、このアニメはアメリカで大ヒットした。

 それじゃあ、いつやってるの? とお思いの方もいるも知れない。残念ながら二月で第5シーズン(全7シーズン放映予定)は終了。でもビデオやDVD、CDなど関連商品はたくさん出ているので、ぜひ一度見てほしい。
(第二文学部2年 鈴木 智子)

(2003年5月15日掲載)



フリートーク 「あなたもCPサッカーに参加しませんか?!」

 CPサッカーは、立位(立って走れる)の脳原性麻痺者が、ゴールキーパーを含めて七人でプレーする競技で、パラリンピックの正式種目である。FIFAのルールに、フィールドが小さい、オフサイドがない、スローインは下から投げる、といった修正が加えられている。現在、主にヨーロッパや南米を中心に20カ国以上で障害者スポーツ種目として競技されており、アジアやオセアニア地区においても、韓国、オーストラリア、台湾、香港そして日本と、ここ数年間で普及してきている。昨年十月には、韓国釜山で開催された「第八回フェスピック競技大会」へ、日本代表チームが初めてエントリーした。

 グラウンドでプレイする七人は筋肉のコントロールが困難な肢体不自由者であるから、何よりもチームワークが必要とされる。空いているスペースへ出すパスは、そこへ走りこむプレーヤーが追いつける距離・スピードを考えて蹴らなければならないなど、常にチームメンバーのことを考える。

 そんなメンバーたちと一緒であれば、誰もがサッカーを楽しむことができると思う。皆さんも私たちと一緒にサッカーボールを追いかけてみませんか?!

新メンバー募集中!
 CPサッカー&フットサル「エスペランザ」は一緒に活動する仲間を随時募集中! サッカーが好きな方なら誰でもOK。月に2〜3回、川崎市・横浜市などで活動している。大会参加は、他県や海外もあり。コーチ・サポーターとして、参加してくださる方も歓迎。興味のある方は、下記までご連絡を!
【URL】http://www.dcns.ne.jp/~yukiojin/
(CP Soccer & Futsal Esperanza 代表 神 幸雄)

(2003年5月8日掲載)



劇評 劇団第三舞台「ピルグリム」

 われわれにオアシスはあるのか。
 「ピルグリム」観劇中、そう思いぞっとした。

 「ピルグリム」は早稲田出身の鴻上尚史氏率いる劇団第三舞台の一九八九年の作品で、今回新たに加筆修正され上演された。
 彼の舞台はいつもダンスにギャグ、派手な衣装や演出に彩られて明るい。が、その底には目を逸らしたままの苦しさがあるように思う。脱出口が見えない状況で笑いは際立ち、時に切ない。

 「ピルグリム(巡礼)」は、売れない作家六本木が連載を打ち切られる場面から始まる。編集者朝霧に新作長編の執筆を勧められた彼はずっと書こうと思っていた最後の物語を書き始める。それはオアシスを探す旅人たちの物語。その道程にやがて、書いている彼自身も巻き込まれていく…。

 ユートピアとオアシス。二つは劇中厳密に区別される。前者がいずれ腐る水溜りとすれば後者は流れる水だ。
 どんな集団にも必ず何らかの歪みは生じるので、永遠の安息たるユートピアを目指す集団は必ず破綻する。それを防ぐには誰かを生け贄にし攻撃するか、集団の枠組みを緩めるしかない。後者の場合、それはオアシスとなる。
 「ピルグリム」はユートピアを否定し、オアシスの創造を暗示して終る。
 暗闇にコール音の響きあう中、六本木はWeb掲示板からメッセージを発し、朝霧はメーリングリストから始まる新しい雑誌を作ろうと息巻く。-新しいツールによる交流ネットワーク。

 だが現実を振り返った時、Webは果たして新しい交流形態を作っただろうか。むしろわれわれはWeb上ですら似た者同士寄り添ってはいないか。結局我々はユートピアを探してしまい、オアシスは破綻し続ける。
 だがそれでも、探していく道程で他者との繋がりを抱きしめ行くことはできないのか。

 オアシスはあるのか。
 ある。が、それだけでわれわれは救われない。
 示される希望は儚い。が、それ故に普遍性があるのではないか、結局私はそう結論付けた。
(人間科学部4年 穂崎 円)

(2003年4月24日掲載)



フリートーク「日中韓学生TV会議」

 皆さん、TV会議という授業スタイルをご存じだろうか? これはそれぞれ違う大学にいながら、TVをインターネットでつなぎ、同時進行する遠隔地ゼミである。中国の北京大学と慶應義塾大学SFC、早稲田大学に韓国の高麗大学が加わり、四校合同のTV会議は去年六月から始まった。

 主なシステムはホームページの掲示板やメールなど文字を使ったやりとりと、TV会議における半リアルな場でのディスカッションとを組み合わせながら異文化理解を図っていく。

 会議の内容設定、運営は学生同士でアイデアを出し合った。テーマや進め方については夏休みに北京へ飛び、慶應・北京大学の学生とface to faceの議論を通じて形作っていった。「携帯電話事情」や「日・中のイメージ」、「受験競争、ゆとり教育」、「恋愛観」、「夢」といったできるだけ身近なテーマを通じて議論することでお互いの考え方、価値観の相違点・共通点など多くの発見があった。

 ただ、実際の会議ではすべて中国語を使ってのやりとり。そんなに容易ではなかったのも事実。自分の考えをうまく表現できなかったり相手の意見を聞き取れなかったりすることも少なくなかった。自分の語学力のなさを痛感させられながらも「次はもっと自分の考えを伝えたい、相手の意見を聞き取りたい」という気持ちが言語を学ぶモチベーションを生み出す。相手を理解したいからその手段として言葉を学ぶという、本来の学びの原点に気付かせてくれるのもTV会議の特徴だ。TV会議での交流に加え旅行や短期語学研修などの機会を活用した直接交流が活発になれば、さらなる相互理解につながると思う。  このような次世代型異文化教育を可能にするITの発達には驚かされるばかりだ。ワセダにTV会議がどんどん普及するのを願ってやまない。
(商学部4年 北出尚之)
※筆者は二〇〇三年三月に卒業

(2003年4月17日掲載)



フリートーク「新年度へ向けて」 

「光陰矢のごとし」。私の大学生活1年目はあっという間に終わってしまった。年齢を重ねていくに従い時間の流れが加速するようだが、それにしても私はこの1年間で何をしてきたのだろうと思い返す日々である。

 「弾いてみたい」。情熱だけで沖縄の代表的楽器である三線を習い始めたが、沖縄出身でもなく風土や歴史も知らない私はすぐに壁にぶつかった。沖縄で勉強することも考えたが、むしろ視野を広げて自分の演奏をした方がいいのではと思い、2001年秋に社会人入試を受けた。二次面接で何度も訊ねられた「本当に通えるのですか?」の問いかけに「はい」と自信をもって答えた私だったが、三線と学業を両立させることは簡単ではなかった。

 私自身の住まいがあり、師匠のいる大阪と、大学のある東京を行き来する生活は、想像以上に時間を取り合った。月曜の午前中に稽古を済ませ、大急ぎで飛行機に乗り、夕方からの授業に出席する。天候不順で飛行機が遅れ、遅刻してしまったこともあった。語学の予習時間が取れず、飛行機や電車での移動中に座れるところがあればテキストを広げ、辞書を引いたりもした。木曜までは午前中に練習をし、午後から授業に出るという生活を送り、金曜日に大阪へ帰って1週間分の家事を済ませた。1年目で不慣れなこともあり、「したいこと」はたくさんあったが、「しなくてはならないこと」の方が多く、学生生活を楽しむ余裕もなかったなぁと少し残念に思う。が、このような生活が送れるのは家族の理解と大学で知り合った友人たちの協力があってこそ。もう通えなくなるのではないかというような危機もあったが、どうにか切り抜けられたのも皆のおかげと深く感謝をしている。

 しばしの充電期間を経て新しい1年が始まった。入学式でゲンコツを作って校歌を歌ったあの日を忘れず、悔いの残らない2年目にしたい。
(第二文学部2年 倉原智子)

(2003年4月10日掲載)