えび茶ゾーン
 第991号〜第1005号(2003年4月10日号〜2003年7月24日号)


2003年7月24日号

 早稲田大学の大学院修了後に、遠くの国立大学に職を得ることで教員になってから現在まで、いろいろな学生に出会った▼名門高校の野球部で正捕手にしてキャプテンだったというH君が、私の担当する学部ゼミに入ってきたのは三年時。その時、公園で三日ほど寝てきたのかというのが、彼に対する第一印象。成績は頗る不振、同僚からの軽蔑の視線のなか、ときどき薄ら笑いを浮かべながら二年間を過ごしていた。当時の私はひ弱な教員で、卒業まで、ほとんど会話を交わす機会も作れなかった▼そんなH君が、突如、素晴らしい卒論を提出し、ときに薄ら笑いを浮かべて卒論面接を無難にこなし、サッと卒業していった。これには驚かされたが、この経験は教員を続ける上での貴重な財産となった▼話は変わる。初めて教員の職を得てから十年以上を経て、私は再び早稲田に舞い戻った。すると、ゼミ室で待っていた学生は、私が知っているはずの、それゆえ期待していた早稲田の学生ではなかった。政治的・文学的・学問的に、あまりにも未熟で、私はゼミ生と討論する気力を喪失し、ゼミ・コンパへの誘いも拒否した。その後、学部の専門科目のほか、ヘーゲル・大塚久雄・近代の超克など、なんでもこいの期待通りのゼミ生が続けて入ってきた。私は、一瞬にして元気回復▼以上の情景のなかにいる教員は何者か。独力で「学生として成熟してきた者」にだけ期待をかけ、依存する教員(自己)がいる▼未完成品の学生を飛躍させる迫力を有しない教員がいる。
(Ssk)

(2003年7月24日掲載)


2003年7月17日号

 少子化の時代である。かつての枢軸国はいまや「少子化の枢軸」と呼ばれ、なかでも日本の出生率の低下は著しい。マスコミが警告を発し、政府・自治体に加え民間でもこの問題に積極的に取り組むところが増えている▼この早稲田大学も例外ではない。すでにウィークリーでも報じられたように、四月には西早稲田キャンパスに隣接する保育施設「ももちゃんナーサリー」が開かれ、学内外から三十人あまりの子供たちが集まった。かつてはきわめて珍しかった学問と育児の両立も、これからは徐々に当たり前のことになっていくのだろう▼その一方でこの問題の根の深さは、いかなる政策・施策を通じてもそう簡単には解決されそうにないところにある。少子化とそれに伴う高齢化の問題には、物資的に豊かになった私たちの生活スタイルと大きな関係がありそうだ。子供を育てるコストと個人の生活の豊かさが知らず知らず社会のなかで天秤に掛けられていることは、すでに識者の指摘するところでもある。個人の利益と社会の利益が必ずしも両立しえないところに、少子高齢化の問題は潜んでいる▼必要なことは「子は国の宝である」という愛国的な意識ではなかろう。子供を産み育むことを国力の増強のためというのなら、私たちはいまだ高度成長を夢みていることになる。二十一世紀型の循環社会のなかで私たちが子供たちに求めるべきことは、「もの」の豊かさではなく「こころ」の豊かさのはずである。そのための意識や制度のさらなる変革が、諸分野で求められている。
(た)

(2003年7月17日掲載)


2003年7月10日号

 留学を志す早稲田大学の学生たちに関わることが多くなった。留学の理由を聞いてみると、とにかく行けばなんとかなる、と思っている人もいれば、明確な目的を持っている人もいる。精神を鍛えるために留学する、と本気で言う人も中にはいて、ちょっとびっくりさせられる。お膳立てをすべて大学にしてもらっておいて、精神修養などを持ち出すこと自体滑稽だと感じる想像力はないらしい。そのあたり、なんともお粗末▼作家の石川淳は第二次世界大戦中の一時期、執筆のペースを落とし、その代わり江戸期の文献を大量に読んでいたことがあった。彼はこのときの体験を「江戸へ留学」と名づけている。地理的には同じ日本、同じ東京であっても、「江戸」は異国である。そこで人々がなにを見、どのように考え、どのように生きたのかを、あたうかぎり詳細に緻密に想像すること。彼らの言語を習得し、あたうかぎり彼らの言語で思考してみること。それを基盤に〈いま・ここ〉を考えること。これこそ、本来の、本当の意味での「留学」▼地理的に移動し、物理的に外国を見、なにかを感じることが悪いとは思わない。どんどんやればよい。しかし、想像力が欠如したままいくら「移動し」て外国を「見」て「感じ」たところで、結局その人の知性はお粗末なまま。想像力の欠如は、「見」たり「感じ」たりしたことをそのまま信じてしまうところにこそ、ある。真実はそこにないかもしれないとうたがうことのできる想像力がもっともっと必要なのでは?
(りち)

(2003年7月10日掲載)


2003年7月3日号

 最近、日本でも街づくりにテレビを使おうという動きがみられる。先駆的な活動をするワシントンDCの小さなテレビ局を訪れた。十七年前に開局し、六百人を超える市民が運営を支える。制作者も市民というと、ホームビデオのような映像を想像しがちだが、研修を受け、映像リテラシーを獲得した人々が、多様な番組を制作している。中でも八歳から十八歳までの青少年によるドラマは、テレビが単なる娯楽でなく、日常の問題を解決するツールであることを示してくれた▼制作のきっかけを作ったのはホームレス防止活動に携わるNPOだった。治安の悪い地域に暮らし、自暴自棄になっていた少年たちに、自らをモデルにドラマを制作し、現実と向き合ってほしいと願った▼だが、少年たちはすぐには応じなかった。「自分たちの地域はニュースで繰り返し伝えられる犯罪と貧困の巣窟そのものであり、誰がそんな番組を見るのか」と反発した。周囲の人々に支えられ、作品は一年がかりで完成する。全米のケーブルテレビ局で放映され、少年たちは自尊心を取り戻した。何よりの収穫は、「いったん大衆に刷り込まれたイメージを変えるのは、オルタナティブな視点で映像を創造すること」に彼ら自身が気付いた点であろう▼世界のあちこちで、メディアの「受け手」であることに満足できず、「使い手」として発言しようとする人々が登場している。十二月、「世界情報社会サミット」がジュネーブで開催される。市民のコミュニケーションの権利が協議事項に含まれることを切に望む。
(た)

(2003年7月3日掲載)


2003年6月26日号

 長男が幼稚園に通いはじめた。下の子がいる関係で三歳になる年の四月から通園するという「見切り発車」であった。本人の性格も踏まえての判断であったが、親としては不安を抱かざるをえなかった。しかし、それは杞憂にすぎなかった。長男は毎朝、朝食を終えるといそいそと準備に取りかかり、嬉々としてでかけていく。幼稚園が楽しくてしかたない様子で、二カ月近くがたった今も、皆勤賞である▼学校が憂鬱と感じるのはいつ頃からであろうか。仕事柄、日常的に高校生に接しているが、中には深刻な不登校の状態に陥る者もいる。ひとたび憂鬱な気持ちになると、ベッドから抜け出すことさえ難しいという。両親の懸命な説得もプレッシャーにしかならないのか、状況は一進一退を繰り返すことが多い▼近年、そうした不登校の子どもが増えていると聞く。少子化が深刻な昨今、高校生が強いられる競争はかつてほど熾烈ではないだろう。しかしそれが逆に、競争に不慣れな子どもを増やしてしまったのではないだろうか。そうした「やさしい」子どもにとっては、ちょっとしたつまずきも致命傷になりかねないのである▼不登校では、本人が立ち直ること以外に状況を打破する抜本的な方法はなく、周囲がしてやれることは皆無に近い。できることは、大人たちが向上心を失うことなく努力し、獲得する喜びを子どもに示すことぐらいだろう。良い意味で貪欲な子どもを育てることが求められているのかもしれない▼息子たちのためにも前向きに暮らしたいと考えている。
(Kdt)

(2003年6月26日掲載)


2003年6月19日号

 第1000号である! 第1号が発行されたのは1966年3月20日のこと。爾来ウィークリーは号数を重ね、ついに発行1000回目の記念すべき節目を迎えた。1966年、早大では1月18日に授業料値上げ反対と学生会館運営参加権をめぐる学生ストライキが始まり、6月22日まで続いた。紛争の渦中、学園の広報紙として波乱の船出であった▼ベトナム戦争が終わった年にワセダに入った筆者の記憶にウィークリーは、文字ばかりの週刊新聞というイメージが残っている。もちろん大学当局の御用メディア以外の何物でもないのだが、重宝な情報源として毎週木曜日、キャンパスの配布コーナーに置かれるたびに、あらそって入手したものである。いつしか記事内容も多彩となり、情報もより豊かになったけれど、本紙の基本的な役割は変わらない▼足掛け38年にわたるウィークリーの歩みは、ワセダの歩みに他ならないが、この間学園の変化は大きかった。死人も出たし不祥事も起こった。いっぽう快挙や壮挙、いろいろあった。そうした学園の歴史を映し繋げる縦糸として、いま1000号を達成したウィークリーの編集にこれまでかかわってこられたすべてのスタッフの努力に、敬意を表したい▼本紙はまた、ワセダに集う人々を結ぶ横糸である。そこで提案だが「通巻1000号 ウィークリーで辿る早稲田大学史」といった展示を、大学史資料センターあたりで実現していただけないものか。卒業生にとっても懐かしい企画となるはず。ネット上の展示も面白い。ご検討を乞う。
(お袋さんよ)

(2003年6月19日掲載)


2003年6月12日号

 今年は未年で羊をあてているが「美」の出来たいわれが面白い。文字がなかった数千年前に羊は大切な資源であり、その大きなものが美しいと考えた。また美はおいしいという意味を持っており「美」の語源になったという▼現代の「美」の定義は多種多様で価値観が問われるところだが、いずれにしても受験勉強でおろそかにしていた科目はこれからの人間形成に重大な役割を持つだろう▼日本では科学を害悪と考えている小学生が多いとのデータが出ている。また、理科系を選ぶ若者が減っているともいう。少資源国で技術立国を目指すしかない日本として、これでよいのか気になる▼しかし理系が増えればよいというものでもなく、一個の人間として理性や感性のバランスが保たれていることが大切だ。近年、人体の働きがよく分かるようになり右脳・左脳の役割や相互作用が明らかになったが、もっと右脳の活性化が必要のようだ▼『理系白書』では高校の文理指導をやめて抜本的な入試改革をする。明確な目標がある学生が単科大学や実業系大学に進み、他は大学入学時も文・理に分けず、学部決定は四年生ぐらいでいい。それまで幅広く学びながら専門を模索し、大学院で徹底的な専門教育をすればよい、など興味深い提言もされている▼科学技術の発達によって宇宙が今も限りなく拡大し続けていることが判ったが、予測を遥かに超える巨大な宇宙空間がさらに広がるとどうなるのか。思いを巡らせると些末な人間関係は疎か地球上の諸問題さえも霞んで見える。
(W)

(2003年6月12日掲載)


2003年6月5日号

 新学位課程である専門職大学院として、大隈記念大学院公共経営研究科が本年四月に開校した。この新制度では、教育・研修機関としての大学院での高度専門職業人養成を目的に、修了者には専門職学位が授与され、公共経営研究科の場合公共経営修士(専門職)となる。特に社会科学分野では、公共経営研究科が属する公共政策系大学院をはじめ、法科大学院、ビジネス・会計系、金融経済系、知的財産系等での設置が構想されている。社会科学系専門職学位を取得した人材が、今後日本社会でどのように受け入れられていくのか、これが日本の将来の帰趨を決するとして、過言でないだろう▼従来の雇用慣行では、社会科学系の場合、専門能力よりも潜在能力が重視され、高い潜在能力を採用後の内部教育で開花させることを基本とし、むしろ学部卒で潜在能力の高い人材が優先されてきた。しかし、外部教育への依存傾向と水平的モビリティの拡大が見られる今日、専門職大学院が外部教育機関としてその役割を十分に果たし、有為な人材を輩出するならば、人材市場へのインパクトは、非常に大きくなろう▼そのためには、専門職大学院自身が、カリキュラムと教育方法を十分に吟味して、その任務を全うすると同時に、社会の側でも、是非積極的に専門職大学院修了者を受け入れ、またこの制度を研修機関として活用していただきたい。人材を輩出する大学院と人材を受容する社会の間での相互信頼と協力による相乗効果こそが、日本社会を活性化させる一つの鍵となろう。
(JS)

(2003年6月5日掲載)


2003年5月29日号

 落ちついて勉強できるシーズンになってきた。読書をするには最適の時期だ。講義を聞くにも集中しやすい。新緑の下で仲間と討論するのも楽しい▼しかし学費稼ぎにアルバイトをしなければならない学生諸君もいるだろう。彼らには頭の下がる思いがする▼アルバイトといえば、遊ぶための資金稼ぎとしてこれを行う学生も多い。そして、「アルバイトも勉強の一つだ」と位置付ける人たちも少なくない。確かに、職種によってはアルバイトも勉強の一つになるかもしれない。ところが、「遊ぶことも勉強」と堂々と考える人もいる。こうして「なにもかもが勉強になる」と考える人もいる。こうなると、「なにをしても勉強はできるのなら、わざわさ大学に来なくてもいいではないか」、と考えたくなる▼高い授業料を払って、大学で勉強するとは、どのようなことをすべきなのか▼筆者は、大学で勉強をすることの意味を二つに分類して考えている。一つは知的欲求を満たす楽しみ、もう一つは生活していく上で役立つこと▼例えば、恐竜時代の世界はどんな様子だったか、そんな話を聞くのは楽しい。それも、まだほとんどの人が知らないことを知識として獲得することは痛快だ。これが前者の意味▼一方、勉強することによって、専門知識を身に付け、他者にはなしえない仕事をこなし、同時に自身の生活をうまくやっていく。これが後者の意味だ。諸君、自分なりの、大学での勉強の意味を考えて、悔いのない大学勉強生活を送っていこう。
(せす)

(2003年5月29日掲載)


2003年5月22日号

 民間の会社の研究所、および国立大学と早稲田大学を経験した。各組織の一部を経験しただけで全体像を必ずしも把握していない危険性はあるが、あえて三者の比較を論じてみたい▼まず、民間と大学の違い。民間会社では社長でない限り、常に上司と部下がいる。上司の意向と部下の考えは必ずしも一致しない。そのバランスをどのようにとっていくか、上司に忠実であり部下の反感をかうのか、部下の意見を積極的に取り入れ上司に煙たがられるのか、難しい選択である。大学では上司が存在するという感覚があまりない。部下とは学生なのか、必ずしもそうではない。会社の部下には仕事の報酬として給料を支給されるが、学生からは授業料を取っている。部下の感覚で学生と接触すると大変なことになる。いずれにせよ、大学人の方が民間人より長生きするといわれている。分かるような気がする▼次に、国立大学と早稲田大学の違い。法人化前の国立大学は管理された組織ではない。自律分散型のシステムである。すべての決定権は教員にある。したがって、ネットワークの構成も学生の管理・教育というより先生方の研究を重視した形になっている。早稲田ではどうか。職員と教員がバランスした形で共存している。職員は大学の管理に対して、より積極的に関与している。ネットワークの構成は教員の研究というより学生の教育に配慮した形式となる。早稲田大学では経営を無視出来ない。学生を大切にするというのは当然の帰結か。
(KH)

(2003年5月22日掲載)


2003年5月15日号

 イラクの戦後復興が続いている。しかし、復興の道のりは遠いと言わざるを得ない▼イラク戦争が始まった今年3月、私はオーストラリアの小学校にいた。その学校には、「難民」として入国した子どもたちに英語を教える特別なプログラムがあった。「難民としてアフリカやイラクから来た子どもの中には、公教育をまったく受けたことがない子どももいます」と担当の先生が言った。先生によると、このような子どもたちに英語を教えても、考える力や記憶する力が弱いために、英語が定着しないのだという。私が見学したクラスの、イラクから来たという11歳の男の子は、外見はまったくふつうの子であったが、十分に「英語が話せない」子であった。その子にとって教育を受けられなかった空白の時間の代償は大きい▼早稲田には「平山郁夫記念ボランティアセンター」があり、アフガニスタン復興支援や途上国への教育支援など、国内外のさまざまな社会的文化的活動を行っている。その社会的意義は極めて高い。新入生をはじめ、学生諸君には、このような活動に大いに関心を持ってほしいし、参加も期待したい▼言葉と教育の課題は、途上国だけの課題ではない。本紙5月8日号に紹介された「わにっ子クラブ」は、近年日本で増加している「日本語を母語としない」ニューカマーの子どもたちにボランティアで日本語を教えている。子どもたちが学校で安心して学べる社会を建設することは、どの社会にとっても重要だ。その点は、戦後復興をめざすイラクでも同じだ。
(い)


2003年5月8日号

 今年も三月に逞しくなった学生を送り出し、四月には初々しい学生を迎えた。まさに「集まり、散じて」である▼入学式に新入生にアルファベットの一文字をプレゼントすることとしている。学生には学生生活をスタートさせるにあたり、これからの夢、決意、興味など自分の思いをその文字で始まる単語で表現することを勧めている。今回はEである。学生からenergetic, excellent, empower, ecological, earth, e-Art, e-Learning などの単語が紹介された。どれも学生たちの思いが伺い知ることが出来るもので興味深いが、Easter egg もその一つである。復活祭に子供たちが庭・部屋のあちこちに隠された彩色卵を探す姿に、新しい知見を求め、模索する学生のイメージを重ねてみたそうだ。また、e-Life は早稲田大学が創立百二十五周年を迎える頃の近未来生活を予想するものである。いずれにしても、夢のあるところに未来があるのであり、是非、「初心 忘るべからず」と願いたい▼ところで、昔の学友に会うと最近の学生気質が変わってきているのではないかと聞かれることがある。キャンパスが静かにみえるという。社会の仕組みが複雑になり、何事も確信を持ってイエスまたはノーの発言をしていくことが難しい世の中になってきたことも事実であろう。大言壮語 は必要ない。しかし、必要なときに堂々と情報発信するキャンパスでありたいものだ。
(義)


2003年4月24日号

 新しい年度の始まり。どこの大学、高校、小中学校でも、新しい服を身につけた晴れやかな若者の集いが始まる。会社でも官庁でもまたしかり▼早大の四月は、いつものごとく格段の喧騒の中で始まった。夢を追い続けようとする者あり。一息つこうとする者あり。思い切り何も考えずに好きなことをしまくろうとする者あり。かと思えば自分自身を、自分の生き方を見つめ直し、自分の目標探しをする者あり。それでも長い人生から見れば、「失敗」とか、「落ちこぼれ」といった烙印を押されることなく、すべてが許される「一瞬」のときが大学時代なのかもしれない▼高校生までは家族、学校という世界がある意味ですべてだった。これからは自分の興味と意志次第で、世界はどんどん広がっていく。内面世界も深まっていく。私自身、学生時代には大いなる冒険をした、数々の恋もした。生死に関わるような出来事にも出くわした。好奇心のかたまりになろう。そして、ダイナミックに動いている「現代世界」を見つめ、触れ、そうしている自分との対話を試みてみよう。若いときは、仲間、教師、先輩、恋人、すべての出会いが自分の成長の血肉になっていく▼しかし、すべてが許されるからこそ、君ら自身が自らを律することを意識しなければならないのだ。多分そのことも、前向きにチャレンジしていく中で経験していくことだろう。「夢を持てる者、汝の名を青年と言えり」、尊敬する師が贈ってくれた心に残る言葉です。 
 (SA)


2003年4月17日号

 春は新しい出会いの季節である。ここ早稲田にも、各地からまた若い力がつどった。新しい仲間とそれぞれの青春の時を大いに謳歌してもらいたい。新しく出会う多くの人との熱い語らいに大いに触発されつつ、若き日に自分の力の限界を試してもらいたい。未知の限界や可能性に向けての努力こそ、人類が営々と営んできた尊い行いである▼春はまた、プロ野球開幕の季節でもある。大いなる可能性に向けて、メジャーリーグ・ヤンキースの松井選手も始動した。自己の限界にあえて挑もうとするその姿からは、どこか神々しささえ感じるのは筆者のみか。目を転ずれば、多くのJリーガー達も世界に雄飛して、自己の可能性に賭ける▼競技スポーツは、かつて国家体制の優位を示すために、国威発揚の手段に用いられた。かつての競技場は、武の闘技場でもあった。しかし今、多国籍選手からなるサッカーのクラブチームに代表されるがごとく、スポーツは限りなく国家を後景に退かせた。そこには、未知の限界に挑まんとするスポーツを愛する自立した個人の集まりがある▼外国への旅の途上、旅客機の雲の切れ間から見える大地には、国境はない。その国境をめぐって、二十世紀は戦争の世紀だった。二十一世紀こそ、輝かしいスポーツの世紀にしたいものだ▼折しも今、所沢に新しいスポーツの学部ができた。都の西北、所沢から、二十一世紀をリードするすばらしいスポーツのパフォーマンスとスポーツの研究が発信される。今、スポーツの新しい光が発信される。
(とも)


2003年4月10日号

 早稲田大学に勤務してはや1年。いろいろな新しい発見があった。同時に、「新しいものと古いもの」を強烈に意識した1年であった▼私の好きな思想家に森有正がいる。彼は経験ということにこだわり続けた。それは、自己の深い変貌である。そのことは、自己が絶えず「新しいもの」を創り出すプロセスこそ生きるということを意味していると思う▼早稲田で経験することは、私には「新しいもの」であったはずなのに、いつのまにか「古いもの」になってしまった。早稲田方式とでもよぶことができるやり方に染まっていった。確かに、それはさまざまなことを進めていく上では大切である。そうして、私も仕事を進めている。しかし、何か違和感が残る▼その理由は、私のなかに自らが変わるという促しが感じられなくなっているからだろう。それは、私には居心地のよい社会なのである。そして、「私がこんなに一生懸命に話しているのに、どうしてわからないの」と互いが思う関係、二人称の関係の社会である。そこには、いつまでも「古いもの」を大切している自分がある。しかし、私が変わることはとどまってしまったと感じている▼また、新たな一年がはじまる。しかし、居心地がよくても自らの変貌が生まれてこない早稲田は、きっと誰にとってもつまらない大学になってしまう。それは、互いに批判する精神が薄れていることにほかならない。私を含めて、「古いもの」から「新しいもの」を産み出すような生き方を誰もができる早稲田であり続けたいと思う。
(たぁ)

(2003年4月10日掲載)