先輩に乾杯!

(21)チベットにハマって生きる 在野チベット研究家・ライター
 長田 幸康さん

長田 幸康さん
おさだ・ゆきやす
 1965年愛知県碧南市生まれ。愛知県立岡崎高等学校を経て85年4月理工学部資源工学科入学。野口康二研究室で物理探査工学を学び、89年3月卒業。チベットへの経緯は本文に記載。
【主な著書】
『ぼくのチベット・レッスン』(最新版)01年2月増補改訂 社会評論社
『旅行人ノート チベット』(第3版)02年7月 共著 旅行人
『あやしいチベット交遊記』00年8月 現代書館
『チベット・デビュー』00年8月 オフィス・モモ 
『チベットで食べる・買う―こんなに楽しい聖地探訪』01年9月祥伝社
 理系学生のイメージ……びっしりカリキュラム、2人に1人に近い大学院進学率の高さ、学部4年では研究室にがっちり組み込まれ滞留時間の長さでも文系学生を圧倒する。にもかかわらず、早稲田らしさ欠如の典型のように、理工学部なら「大久保理工大学」などと揶揄される。だが、その「専門性」の鎖を断ち切って出て来るユニークな人材は、タフで優しい常識人だ。このシリーズでも、医者はもとより、落語家・指揮者・何でもござれの「理系早稲田人の系譜」がある。今回は、チベット好きの若者に「バックパッカーの神様」と慕われる長田幸康氏の登場だ。

<初めての「外国」は、好奇心から聴いた海外の短波放送だった>
 『子供の科学』から『初歩のラジオ』『ラジオの製作』へと続く「エレクトロニクス工作大好き少年」は、好奇心から「北京放送」や「ベトナムの声」をよく聴いた。同じ日本語放送で同じ題材のニュースでも「ラジオ韓国」と「朝鮮中央放送」では全く言うことが違い面白かった。為政者がマスコミ操作をすることが子供ながら何となく分かった。こんな無意識の原体験が、長じて旅行好き青年となった時に、中国政府に迫害され続けながらもインドに亡命政府を移し静かに闘い続けるチベットの人々への深い共感へと結びつくことになる。恐るべし、三つ子の魂!

<卒論を出すと、卒業式には出ず、逃げるようにアジア横断へ旅立つ!>
 初海外旅行は大学1年春2月のインド。知り合ったインド人がなぜかチベット難民キャンプへ連れて行ってくれた。「難民キャンプなのに、ヘタなインドの町よりよっぽど清潔で治安も良く、日本人に良く似た人々は、迫害から逃れて来たはずなのに実に楽しそうに暮らしていて驚きました」。実際のチベット行きは大学3年夏。当時は『地球の歩き方』でもチベットは中国のごく一部地域紹介の扱いだった。「でも、僕には、やはりチベット人の物事を悲観的に見ない、超楽しそうな民族性が衝撃的でした」
 技術翻訳で生活する準備はしたが就職活動は一切せず。卒論を提出すると研究室での引継ぎにも出ず、アジア横断の旅へ。中国語は直前の3カ月で修得。「そういえば、卒業証書も受け取ってない!」
 「旅の途中、インドのチベット亡命政府のあるダラムサラで暮らし、チベット語も覚え、すっかりハマってしまって…」。約4カ月滞在後、戒厳令の続くチベットを目指したが、天安門事件の影響で、どのルートからも入れず。さらに、新彊ウィグル自治区のカシュガルで追い剥ぎにあい、貴重品の一部以外すべてを取られ意気消沈。香港まで戻り日本語教師のバイト後、いったん帰国。

<後輩へ…一度は会社員経験を! 夢を追っても他人への共感が重要>
 90年友人たちとミニコミ誌『亜洲人』を創刊。その縁で92年結婚。新婚旅行は6カ月インド・チベットへ。帰国後、業界誌出版社で正社員に。93年、処女出版『ぼくのチベット・レッスン』が上司にバレ、居づらくなり退社。
「この会社員経験は貴重。組織で働く快感も苦労も分かりましたから。日本のマジョリティーは会社員。『会社員がそんなにイヤなら辞めればいいのに』と、つき放して見るよりも、多くの人に共感できるのって楽しい!」
 現在は、チベット関係の執筆を中心に活動し、夏の3カ月はチベット専門家のガイドとして現地で暮らすという生活を送っている。

【URL】http://www.tibet.to

(2003年1月9日掲載)