先輩に乾杯! |
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(19)絵本の魅力に取り付かれ、これが私の生きる道! 絵本翻訳家 山本 桂子さん
好奇心旺盛なまじめ少女が自由闊達な青春時代を送り、大学を出て銀行に勤めて寿退社。専業主婦となり母となり、勉強を重ねて絵本翻訳家となる。一見「保守本流」にも見えるが、人生いろいろで、そう簡単には生きちゃいない。「主婦にだって選択肢も可能性もあるのだ」と軽やかに我が道を行く。 <「言葉」をいじるのが好きだった!> 「翻訳は英語より日本語の問題。絵本には言葉で塗り潰さない魅力があり、豊かな行間も必要です。やさしくキレのある言葉が勝負。読み聞かせが多いので、耳からのリズムにも耐える日本語で、字数も少なくする必要があります」 「高校時代から『ダジャレ女』と言われ、銀行員時代も『預金勧誘キャンペーン』の標語なんかよく入選して図書券もらってました。子供の頃から「言葉」をいじるのが好きだったので、英語も好きになったのかも…」 <「出版翻訳では食べていけない! 正業を持ちなさい」> 翻訳学校の先生に言われたこの言葉で発奮。1年でインストラクターに採用された。しかし、児童文学の市場は狭く翻訳者の裾野は広い。学校に通ったり添削指導者を続けながら、絵本翻訳コンクールに応募し、自分の訳した絵本をわが子に読み聞かせる日を夢見ていた。 <設計図は白紙に。でもマイペース!> ところが、1年後、持病が悪化してまさかの入院、インストラクターも通学も辞めざるを得なくなった。母親になるのもお預け。翻訳との糸もぷっつりと切れたかに見えたが、ここでメゲてはダジャレ女の名がすたる! 翻訳雑誌で独学しながらコンクールに応募し続け、ついに、数少ない絵本翻訳専門のコンクールの1つ「いたばし国際絵本翻訳大賞」を98年に受賞。 <待望の赤ちゃんが、最優秀賞を運んで来た!> 応募者数最多の「遊学館外国絵本翻訳コンクール」には94年から毎年応募し続けたが頂点は極められなかった。99年8月、結婚9年目にして待望の出産。ここで念願の子育て開始。母は強し! 高年齢初産で産後の体力回復が多少遅くても、育児に疲れても、1年後の締め切りを目指して燃えた。ついに7回目の応募にして最優秀賞を受賞。まさに最愛の娘が引き寄せた宝物だ。「まるで演歌みたいに『苦節7年』でした」。この作品が出版社にも評価され処女出版となるという幸運まで付いてきた。 以後、この出版社(株)文溪堂から計3冊、彼女の「やさしくてキレのある」翻訳絵本が発行されている。 (2002年10月24日掲載)
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